2000年3月31日、それは突如として発生した。
数十年に1度の周期で発生する、有珠山の噴火である。
2000年のそれは、道内有数の温泉地で知られる洞爺湖温泉の目と鼻の先、そして道央と道南を結ぶ主要路線である国道230号線の直下において発生したのである。
突如とは言ったものの、数日前から始まった前兆地震によって、周辺地域に素早い避難指示がされる。
これによって一人の死傷者も出さずに済んだ。
今回は、そんな2000年の有珠山噴火によって発生した災害遺構を見に行ってきたので、ご紹介したいと思う。
まず最初に立ち寄ったのが、「洞爺湖町火山資料展示室」(内部の写真なし。というか撮り忘れた。)
噴火被害の直前まで現役の消防署(もっと言えば、周辺5町村による広域消防組合の本部庁舎)だった。
すぐそばで発生した噴火によって、土地が隆起し、床が傾いてしまった。さらに、現在展示室として使われているのは2階だが、1階は国道跡にできた沼によって浸水してしまった。
建物内部にはいってみると、なるほど確かに傾いている気がする。
火山のエネルギーの凄まじさを感じた。
建物を出て向かうは西山火口散策路、の前に国道230号線だったところを遠望する。
少しわかりにくいが、画像中央に黄色いセンターラインが登っていっているのが見えると思う。
噴火前、この道は海に向かって下り坂だったという。
地面の隆起によって下り坂が一気に登り坂へと変化した。最大70mの隆起が観測されたようだ。
前述した「沼」は、こうして出来た窪地に水が流れ込むことで形成された。
いよいよ西山火口散策路を進む。
この先、↑と比較にならないほどの衝撃を何度も受けることになる。
散策路はかつての町道「泉公園線」の旧道におおよそ沿って整備されている。
当時は↑の消防署のすぐ南側で国道にぶつかる線形をとっていた。
(赤丸が現在地)
この白い車が放置されているのはまさしく国道と町道の合流地点なのである。(真偽の程はわからないが、あらゆる記事でマスコミの記者が使用するも、身動きが取れなくなって放置したレンタカーであるという。)
沼の水位が上昇すると完全に水没し、冬季は雪が重積する。
見るも無惨な姿に変わり果てたこのファミリアは、永劫この場に遺されることだろう。
散策路を進む。
こちらの旧町道も登り坂になっているが、かつては同様下り坂であった。
また、コーナーのカントも明らかに急になっているから、これもやはり大地の力によるものだろう。
最初の「びっくりポイント」にたどり着く。
見ての通り、道路だった場所が階段状になってしまっている。
地震活動の結果、何重にも断層が形成された。
中央に生えた木の成長ぶりが、時間経過を物語る。
長くなりそうなので続く。