今年はじめの河北新聞オンラインニュースに、今回の依頼者さんの記事があるのを見つけました。その一部を、修正して転載します。

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<安らぐ正月>

 新居が立つのは、あの日、押し寄せる津波に気付いた場所。東京電力福島第1原発から約18キロの避難区域の中にある。
 南相馬市原町区の依頼者さんは、昨年(2014年)6月、自分の畑に家を再建した。

憧れていたログハウス。以来、毎日のように訪れている。まきを割ってストーブにくべる。

火と向き合う時間が至福の時だ。

 個人で介護タクシー業を営みつつ、原町区のみなし仮設住宅のアパートで1人暮らししている。

東日本大震災後4度目となる正月は、特例宿泊を利用して自宅で迎えることができた。

「アパートより周囲に気兼ねしなくていい」と相好を崩す。


<愛着消えず>
 震災時、自宅で強烈な揺れに見舞われた。高台の畑に行くと津波が来るのが見えた。

慌てて自宅から車で逃げた。間一髪だった。
 自宅はがれきに埋まり、原発事故が重なった。先の見えない避難生活の始まりだった。

約1カ月間、須賀川市の親類宅に身を寄せた後、原町区の小学校で過ごした。
 「帰るのは無理だな」。暗い予感を抱きながらも、地元への愛着を消すことはできなかった。
 事故から約1年たち、自宅と自由に行き来できるようになった。

原発20キロ圏内とはいえ、自宅周辺の放射線量は原町区の避難先より低い。
 「この年でよそに行って仕事はどうなる。俺の住む場所は慣れ親しんだここしかない」。

2013年の正月、自宅再建を決めた。


<夢の起点に>
 建屋(ログハウス)の完成は予定より半年遅れた。車庫や外構の整備はこれからだが、流失した氏神様は祭っている。暖かくなったら、原町区の介護施設に入所している母に見てもらおうと考えている。
 
依頼者さんは、
現在(
個人で介護タクシー業を営みつつ)、がれき拾いなど農地復旧の仕事にも従事している。
 現場が新居に近くても、宿泊が認められるのは特例期間に限られる。
 寝るためだけに(みなし仮設住宅の)アパートに帰らなければいけない。
 避難区域の帰還について、南相馬市は164月の目標を掲げる。
 約30世帯の集落にどれだけの住民が戻るのかは分からない。
 が、「とにかく一日でも早くここで暮らせるようにしてほしい」と願う。

  仕事の傍ら、依頼者さんは、地元のスポーツ少年団でサッカーのコーチも務めている。


「旧宅跡にフットサルコートを整備できたらいいな」
 集まった人々に、ログハウス前でバーベキューを振る舞う。

 

 そんな日が来ることを夢見ている。

 

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私達が伐採した竹林の跡地が、フットサルコートになるかもしれません。

原町を大切に思っている人が、次の選択ができるように、
JILCAは、今後も、お手伝いしていきたいと思います。
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 さて、ボラセンを後にして、原町にて入浴後、常磐道を南下し、常磐富岡ICを経由して、楢葉町の天神岬を訪れました。

 楢葉町は、小高と同じように、避難解除準備区域です。
本年4月から75日までを、帰還準備宿泊期間として、宿泊が許可されて、9月5日に避難指示が解除されることになりました。

天神岬は太平洋を一望できる高台の岬です。

南側には木戸川が流れており、震災時はここを津波が遡上して被害がありました。
その奥には、広野火力発電所が
見えます。

 木戸川の上流側は、汚染土の保管場所となっています。


 展望台から、震災後に沖に設置された風力発電設備を見ることができます。

天神岬公園は広くきれいなところですが、訪れる人がほとんどいません。
ここには、しおかぜ荘という温泉施設あります。 
現在リフォーム中ですが、避難解除に合わせて、9月に再開れる予定です。 
住民の方や除染作業をされる方だけでなく、皆が利用できるようになるようです。

潮風を追い風にして、
浜通りを大切にする人びとを
JILCAは、今後もお手伝いしていきたいと思います。



*JILCA東北ボランティア情報はこちら

http://www.jilca.org/



(作成 A.K.)

ならはPAを後にして、道の駅
南相馬で朝食をすませ、小高のボラセンに行きました。



 震災から、4年が経過しました。



南相馬では、放射線の影響を配慮して、震災直後に立入禁止
となり、その後、それほど放射線が高くないことから立入禁止が解除され、それから3年が経過した区域があります。

 この区域では微少量の放射線が確認されたため、夜間の宿泊は、禁止されていました。

 しかし、この場所を大切に思う人たちの尽力で、来年4月に立入禁止が解除され、住民が帰還できる予定となっています。

 このため、最近は、帰還に向けてのボランテアの依頼が増えています。 

 今回の作業内容の説明を受けています。 ボラセンから北の方角に5km程のところの原町区の避難解除準備区域の方の依頼です。

 ウッドチッパーを積み込みます。 

6号線沿線海岸側の依頼者さん宅周辺の竹林の伐採をお手伝いすることになりました。 

ここは津波の被害を受け、竹林の根本には、まだ、 がれきが散乱しています。 


 私達はこの様子を確認し、作業前にミーティングして、『危険予知活動』をはじめました。

・刈払機で竹林を刈る時に、刃が飛ばしたがれきにあたって、けがをする。
という危険があることを確認し、その対策として、
・刈払機で作業するときは、周囲2m以内に人がいないことを確認する。

・刈払機の作業中は、近づかない。
ことなどを、確認し合いました。

実施した作業は以下のとおりです。

①広い面積を確保できるところは、刈払機での伐採  


②周辺部と斜面部は、手ノコによる伐採
③伐採した太い竹は、高速切断機または 手ノコにより90cmに切断


④伐採した細い竹は、ウッドチッパーにて、破砕。



こんなに、鬱蒼とした竹林が
なくなっているのが、おわかかりいただけるでしょうか。
1日半の作業で、竹林はなくなりました。
すっきりしたところで、集合写真です。

*JILCA東北ボランティア情報はこちら

http://www.jilca.org/


(作成 A.K.)


 東京駅前からJILCAバスで、南相馬に向けて出発です。



 
今回も、アクティブな皆さまに参加いただきました。
 バスは常磐自動車道を通り、
 中郷サービスエリア(SA)で停車休憩 しました。

そして、 早朝、ならはパーキングエリア(PA)に立ち寄りました。
 ここは、今年の2月に開業したばかりの新しい施設です。
 ここには、サッカー日本代表の銅板のレリーフが
設置されています。
この展示は、震災前に、楢葉の高校生が企画しました。
 施設の開業にあわせて、企画された元高校生もレリーフの除幕式に参加されたそうです。
                                              本田選手は、左足

長友選手は、右足
                      川島選手は、右手

代表選手の手足に、ふれ合うことができました。


(作成 A.K.)
超難産ツアーでした。参加者集まらず、一時は催行中止の危機に見舞われました。

参加者は、3月27日に7名、一週間後の4月3日も7名。ダメだダメだ。




                             もうこれしかない
一本釣り

必死の呼びかけに、何人もの方が万障繰り合わせて参加してくれました。
ようやく催行決定、よし行くぞ

よし、行くぞ

ところが





JILCAバスが無い マイクロバスで行きます







南相馬に向けてなごやかに出発







18日早朝に道の駅南相馬に到着。快晴のボランティア日和です。






ボラセンで機材積み込みです。主要機械はチェーンソーなのに、2台しかない。後は手鋸です。





依頼者様の庭は手入れがゆきとどいていました。
桃と桜が綺麗です。





ミッション①  この丸太の山を別の集積場に移動。簡単と思いきや、下の方の丸太は玉切りされていないことが発覚。







ミッション② 竹林伐採および切断、集積。



今回、初めての試みとして、
作業開始前にKY活動を実施しました。





このようなボードが欲しいですね。次回までに準備しましょう。












チェーンソー部隊は切って切って切りまくりました。






運び隊は一輪車と




軽トラで、ひたすら運びました。





積み重ね隊は、積んで積んで、





トントントン。





竹取部隊は、





切って、切って、90cm長に切断。ボラセンの指示は90cm~100cm。切断数が多いために
いつの間にか長めになります。110cm以上になると、巻き尺を持った棟梁が厳しく指摘。






大量です。





土曜日作業終了後、松本センター長と一緒に記念撮影





日曜日の朝、宿泊所の裏で一枚。



日曜日も継続作業です。
依頼者様がボラセンに作業依頼をしたのは、昨年の10月です。
窓の側には丸太の山があり、竹林が鬱蒼としており、帰還に当っては窓からの景色をスッキリと
したいというのが、依頼作業内容でした。
半年の時間が経過し、お父様が脳梗塞を発症し、お母様は足腰が弱り歩けなくなりました。
一日中寝ていることになり、窓からの景色はますます重要になってきました。







窓の側の丸太の山は無くなりました。
しかし、あちこちに丸太が残っています。
まだまだ作業が続きます。







あまりのハードワークに、このようなお茶目なベテランの行動が場を和ませてくれます。







時間切れで途中終了となりましたが、美しい庭でチーズ。







帰りに、飯崎の枝垂れ桜を見学。ちょっと遅かった。残念。


帰還困難区域
常磐道を浪江ICで下りて、6号線を南下。帰還困難区域を縦断します。


大熊町
大熊町のバリケードです。







双葉警察の被災パトカーを見学。







JR富岡駅で紀Pさんと合流。帰路の運転のために電車でかけつけてくれました。



ありがとう
皆さん、お疲れ様でした。

(作成 棟梁)
こんにちは
4月前半の南相馬号の活動報告です❗


今回はリピーター限定参加のツアーとさせて頂いたため、ビッシリ満席となった前回と違い、ゆったり広々快適な夜行バスの移動となりました。


現地に到着したらまずは、ボランティア活動センター(ボラセン)へ。

こちらは3月に移転をして、4月1日から新たにスタートしたボラセンで、この日は移転後初めての週末でした。


この日集まったボランティアは、JILCAともう1団体、個人参加の方々50名くらい。

時の経過と共に、ボランティアの数も少なくなっているそうです。



活動内容の説明の前に、ボラセンのセンター長から移転の経緯についてお話を伺いました。

震災がきっかけでスタートしたボラセンですが、今回で5回目の移転だったそうです。

これまで、色んな苦難を乗り越えてきたが最後の最後まで被災者の立場に立ってやっていく。

新しいスタートに、熱い思いをお聞きすることが出来ました。



この日の活動は、2組に分かれての活動です。

活動場所と活動内容が書かれた指示書に沿って、必要な道具と資材を準備します。




A班は、仮設住宅から復興住宅へ転居する方の引っ越しお手伝い。
※プライバシー配慮の為、活動写真はありません


狭い仮設住宅に対して、ビックリするほどの荷物の量。

そこに住む前は、きっと大きく立派なお宅に住まわれていたのが想像できます。

窮屈な仮設暮らしから、一歩前進し新しい生活へ。

全ての悩みが払拭できたわけではありませんが、依頼者さんの門出の日にお手伝いできて私達も嬉しくなりました。




B班は今後更地にするお宅の庭木の伐採です。


始めに、被災物の片付けと草刈りをしました。



メンバーの中でチェーンソー講習を受けられた方が木を伐採します。


集積所へ運びやすいように、伐採した木を90㎝くらいの長さにカットします。


お宅の裏手に、梅の木が綺麗に花を咲かせていました。

もうすぐ満開になるこの木にも、伐採の指示がありました。

生きている木を切らなければならない理由を考えると、やるせない気持ちでいっぱいです。


このお宅の依頼者さんには、今回お会いしませんでしたが、活動後我が家に訪れた時、どんな思いをされるだろう。

それでも、前に前進するために必要な事。

少しでも前向きな気分になっていただけていれば、私達もやった甲斐があります。


活動終了後、銭湯へ行く前に「もち処 木の幡」へ


名物の凍天は揚げパンの中に餅が入って、ふんわりモチモチ


疲れた身体に、美味しく染み渡りました。


お風呂、夕食を済ませ、今回お世話になる宿泊場所に到着した頃、この日はちょうど皆既月食の日で、みるみるうちに満ち欠けする月を見ることが出来ました。

次に皆既月食が、日本で見られるのは2018年。

その時はどんな日本なのかな?

色んな思いを胸に、この日は終了。

お疲れ様でした。










活動2日目、生憎の雨です。


この日の活動は、主に竹の伐採です。


竹を伐採する人。
細かくカットしてトン袋に入れる人。


いっぱいになった袋を



集積所へ移動させやすいように、一ヶ所に固めます。

みんなで力を合わせて、えっほっえっほっ!

午前中だけの活動でしたが、たくさんの竹をトン袋に積める事が出来ました。


雨の中にも関わらずイキイキ活動して下さったJILCAの精鋭達とセンター長の松本さん、集合写真です。

新年度最初の週末、皆さんお忙しい中ご参加下さりありがとうございました!


大きなお風呂で疲れた身体を癒した後、
東京へ帰る前にちょっと寄り道。

津波の被害にあったJR富岡駅周辺を視察しました。

少し前まで立ち入ることもできなかったこの地域なので、手付かずの被災状況が4年経った今でも広がります。






その後、3.11で殉職された二人の警察官が乗っていたパトカーに手を合わせに行きました。

最後まで住民に避難を呼び掛けたお二人の勇気と、震災の悼みを後世まで残していこうと保存されることが決まったそうです。



その後、富岡駅のお隣竜田駅へ。
JR常磐線は現在こちらの駅までが運行されています。

線路の向こうにキレイな桜(?)が咲いていました。



震災から4年が経ち、春の訪れと共に、少しずつ南相馬も変化しています。


JILCAはこれからも、現地の方の心に寄り添い活動していくぞ!と決意を新たにした南相馬号でした。



(作成者 R)