こんにちは、じきです。

 

 今回は、一昨年末に20年近く勤務した会社を退職し、現在アラフォーヒモニートである私の、懐事情等について書いて行こうと思います。 

 
 
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↓ 「生き方」について、非常に参考になった書籍です ↓

 

 

 

 保有資産・親族からの援助の有無等

 

 

 まず始めに私の、保有資産の合計額は2,500万円程です。

 内訳は、預金1,500万円保有株1,000万円程です。

 

 

 これらは、私が会社勤めしていたおよそ20年程の間に、仕事で得た給与でコツコツと貯めた資産です。

 

 

 現時点の預金は上記よりも多額ですが、今後約2年間は在職時の基準で住民税・健康保険料等の諸経費がかかるため、それらの諸経費を概算で差引後の可処分所得として、預金1,500万円と表記しております。

 

 

 ちなみに、私の実家は裕福ではなく、金銭面で親や親族に頼るといった選択肢は一切ありません。

 

 

 両親ともに収入は相当に低く、両親は相続によるお金を切り崩しつつ生活をしております。

 

 

 祖父母世代まではわりと頑張っていた家系だったので、相続のお金を細々と使っていけば、両親だけならば、私が仕事をしてお金のアシストをしなくてもギリギリなんとかなるかなという印象です。

 

 

 

 ですが、私に関しては、そういった「突発的な収入」や、親族からの金銭面の援助については、今までも無かったし、これから先もないものと考えております。

 

 

 

 そのため、私の社会人時代以降において、自分に与えられた金銭面の環境は、頼れる者は自分自身のみという状態でした。

 

 

安全圏は、はるか彼方

 

 

 さて、2,500万円という金額については、これから先ほぼ働く気がない私にとっては、お世辞にもセーフティーな水準であるとは言い難いものです。

 

 

 

 会社員としてしか働いたことがない私が、これから先も自分の資産を増やす・あるいは減らさない手段としては、年齢的にも能力的にも、会社員であり続けることが一番の近道であったことでしょう。

 

 

 

 むしろ、円高・戦争・自然災害激化・衣食住費用の高騰・強盗等の質の悪い犯罪の増加

 

 

 これだけの不安要素がありながら、給与という一応安定している定期的な収入源を、アラフォーという私の年齢でわざわざ自ら手放すのは、ある意味自殺に等しい行為とさえ言えましょう。

 

 

 

 実際本当に、お金を稼ぐ、貯めるというのは容易なことではありません。

 

 

 

 昔読んだカイジという漫画で、借金を返せない債務者達が自身の命をかけ2,000万円を獲得するゲームに参加させられるシーンがありました。

 

 

 その際、参加者の債務者たちが、命をかけてるのにたった2,000万円しか貰えないのか不平を漏らすシーンがあるのですが、それに対し主催者側の人間が激高し、仮に凡人が労働で2,000万円という金額を貯めようとするならば、途方もない時間と苦労が伴うということを語ります。

 

 

 

 そして、金は命より重いという言葉を突きつけます。

 

 

 

 それを読んだ当時の私は、何を大袈裟なと思っていましたが、実際に20年間程働いてみて、少なくとも私には、労働し、お金を貯めるという行為がマジで死ぬほど大変でした。

 

 

 

 そして、長期間に渡り実生活をこなしていく中で感じたことは、命より金が重いかはともかくとして、やはりある程度の自由を確保するためには、お金が必要なのは明白だろうということです。

 

 

 

 私自身は前述のとおり、仮初の自由を得るため、貯金・投資等を出来る範囲で行っていましたが、現在の資産を築くだけでも20年近くの年月を要しました。

 

 

 

 有名ユーチューバー等の、稼ぐ人なら数カ月で貯めそうなお金でも、私のような凡人以下の能力の人間には、多大な時間がかかってしまいましたね。

 

 

 

 正直、現時点での保有資産では、特別何かが楽になるわけでもないです。

 

 

 

 むしろ、使おうとすればあっという間になくなる金額なので、ある程度預金等があろうとも、継続して定年を目指し働き続けることが一般的なのでしょう。

 

 

 NO FIRE

 

 

 それにも関わらず、私は昨年末頃に仕事を退職しました。

 

 

 

 これは、俗に言うFIREとかいう格好の良いものでもなければ、綿密な戦略によるものでもありません。

 

 

 

 ただ単に、仕事というものに縛られて、うんざりする毎日から抜け出したかったのです。

 

 

 

 時間等とお金を天秤にかけたとき圧倒的に時間や心のゆとりの方が、私にとっては優先度が高かったのです。

 

 

 

 私にとって、仕事に1日の大半の時間を費やすことや、日々仕事に追われることにより常に新たな悩みを抱え続けてしまうのは毎日軽い自殺未遂を繰り返しているような感覚でした。

 

 

 

 実際に私は、日々の労働の過酷さやパワハラに嫌気がさし、過去に1度だけ、自殺を決行しようとしたことがあります。

 

 

 

 結果的には未遂で終わりましたが、成功してしまっていても何らおかしくはありませんでした。

 

 

 

 

自殺未遂

 

 

 以前の記事で、私が20代半ば頃に、同僚のサイコパスおじさんに追い詰められ休職した話を書きましたが、自殺未遂が起こった時期は、その休職直前頃の話です。

 

 

↓ 休職中はこんな感じでした ↓

 

 

 

 当時の私は、封鎖した自分の車の中で、一酸化炭素中毒により死のうと考えていました。

 

 

 

 練炭は元々持っていましたが、不足している物品をホームセンターで購入し、火をつける作業の段階までいきました。

 

 

 

 幸か不幸か、練炭自体が壊滅的に湿気っており、火がつかなくて結果的に断念というなんとも間抜けな結末を迎え、今に至ります。

 

 

 

 練炭自体は随分と前から調達していたのが仇となりましたね。

 

 

 

 あの時、自殺の下準備が終わった後も、練炭に火をつけようとするまでには、なかなか踏ん切りがつかず、車内で相当時間が経過していたと思います。

 

 

 

 未練、後悔、不安。

 実に様々な感情が、脳内を駆け巡っていました。

 

 

 

 当時私は25才くらいでしたが、お金もなかったし、お先真っ暗と思っていたのに、いざ死のうと思うとやはりとても恐ろしかったですね。

 

 

 

 散々苦しかったことを思い浮かべ続け、ようやく練炭に火をつけようとチャッカマンを点火した際

 

 

 

「やっと、おしまいだね」

 

 

 

 (カチッ)

 

 

 

 そう、呟いたことを覚えています。

 

 

 

 

 今思い返すと、よくあんなこと実行したなと感じます。

 

 

 

 

 練炭が湿気っておらず火がついていたら、ほぼ確実に死んでいたと思います。

 

 

 

 とても苦しい気持ちで自殺の道具を用意したことや、決行するその瞬間のあの気持ちを思い返すと、未だに冷や汗が出ます。

 

 

 

 この一件のこともあり、あんな思考に陥ってしまうくらいなら、生きていくための手段を模索しつつも、とりあえず仕事からは解放されたいなと常に考えておりました。

 

 

赤字でさえなければ

 

 

 お金の話に戻します。

 

 

 基本的に、今月末の預金残高が、前月末の預金残高より1円でもプラスになっているのならば、全然OKかなと思っています。

 

 

 

 退職前は、毎月およそ手取り22万円ほどで、転勤も多かったため、ずっとアパートでの賃貸一人暮らしをしておりました。

 

 

 

 家賃・光熱費・通信費等の固定費及び、食費・遊行費等の変動費を支払ったのち、貯蓄に回せるのが平常月は毎月34万円ほどでした。

 

 

 

 在職中は、日々仕事でのストレスが多かったこともあり、特に食費にはお金をかけてしまいがちで、朝はともかく昼夜は外食なんていうことはざらにありました。

 

 

 

 過食になり、朝昼晩3食特盛つけ麺を食べ体重が90キロを超えたこともありました。

 

 

 

 

 

 私は、家計簿をつけています。

 

 30代後半に差し掛かった頃、家計簿を見直し、自分の求める生活水準に必要な金額について、あらためて考えました。

 

 

 

 貯蓄がある程度貯まってきた際に思ったのが、月々大きく赤字にならない程度のお金を工面・あるいは両親以外の誰かに頼るという選択肢がとれるなら、無理して「正社員」をしている必要ないなぁということでした。

 

 

 

 会社員時代は、本当に毎日がストレスフルで、職場内外の好き勝手なことを言う多数の人間を相手にしたり、加齢により責任ばかり重くなっていく現状が嫌で仕方なかったです。

 

 

 

 時に、夜も上手く寝付けないくらいのストレスを抱えながらも働き続けたとして、仕事から解放されるのは何十年と先になるわけです。

 

 

 

 きっと、その何十年後かまで仕事をしていた場合、今よりはある程度まとまった金額の預金を手にし、退職金を満額もらい、老後はある程度安心となるわけでしょう。

 

 

 

 でも…それらはあくまで老後のことなんですよ、やっぱり。

 

 

 

 会社員を続けていた場合、退職するまでの期間は残りおよそ30年程です。

 

 

 

 私は、そんなにも長い間、気持ちの大部分を仕事に支配されたまま生きていきたくなかったのです。

 

 

「老後」という果てしなく遠い未来

 

 

 過去の記事で、在職中にパワハラを受け休職した際大量処方された精神薬の副作用で身体に様々な支障をきたした時のことを書きました。

 

 

↓ 私の薬漬けの日々 ↓

 

 

 その時は、逆流性食道炎や尿漏れを起こしたり、指先がぶるぶると震えて物を掴むのにも苦労したりと、身体が思うように動かせない状態になっておりました。

 

 

 そして、同時にふと思いました。

 

 

 老後の、段々と自分の身体の自由が利かなくなっていく感覚というのは正に、当時と同じような感覚を味わうような気がするんです。

 

 

 

 普段自然と身体を使っているときは意識することはありませんが、身体って、下手な機械よりも精密機械のようなもので、一度バランスが崩れてしまうと立て直しは困難です。

 

 

  当時、本当に身体が言うこときかなかったし、病院通いをしようと薬を飲もうと、元通りにはなりませんでした。

 

 実体験しなければピンとこないことでしょうけれど、治らないとか徐々に身体が悪くなるというのは、真綿で首を絞めるような不安を感じます。

 

 

 

 あの時の状態を思い出すたびに、今後加齢していき、自分の身体が思うように動かせなくなるというのは、相当に不便なことなのだろうと憂鬱になります

 

 

 

 また、加齢により、徐々に食べるものが制限されたり、食が細くなってそもそも食べること自体も難しくなっていきます。

 

 

 

 そんな風に、自分の身体が思うようにならなくなってきたタイミングで、お金だけが潤沢にあったとしても、あまり使い道が無いなぁと感じました。

 

 

 

 私は子供が居ませんし、冒頭でもふれたとおり、親に関しては援助しなくてもギリギリなんとかなりそうなので、猶更そう思いました。

 

 

 

 もちろん人それぞれ健康寿命は違いますし、老後も変わらずパワフルな方も沢山居ることでしょう。

 

 

 

 ただ私自身は、会社員時代の生活を続けていった場合を想像した時、未来の自分の健康にそこまで期待が持てませんでした。

 

 

 

 仕事を続けていたら、ほぼ確実に老後になるよりも早い時期に身体をぶっ壊していたと思います。

 

 

 

 ただでさえ一度、完膚なきまでに壊れているので、もうあの状態にはなりたくありません。

 あれは、生を実感出来ない。

 

 

 

 それに…仮に、私が定年まで働いて預金に余裕が持てたとしても、私のことだから恐らく謎に万が一のことを考え、日銭を稼いでいた会社員時代と同じくなるべく赤字にならないように生活し、結局はその多額の預金をビビって使うに使えず死ぬのでしょう。わかります赤ちゃんぴえん

 

 

 

 貯金やお金を稼ぐ手段は、そりゃ理想を言うならあればあるだけ良いとは思います。

 

 

 

 とはいえ、実質的に使うであろう額以上に稼いだり貯めこむ必要は無いとも思っています。

 

 

 

 老後は果てしなく遠く感じるものの、人生過ぎてしまえばあっという間です。

 

 

 

 

 そんな人生を過ごす中で、自分自身が苦しむ時間の割合を減らす選択肢を積極的に取り入れたいと考えております。

 

 

 

 そうやって頑張らない方向の選択肢を取り続けた結果、しかるべき時になって後悔しても時すでに遅しでしょうか。

 

 

 

 どのみち、頑張ってても頑張らなくても、時間は等しく過ぎていって、やがて等しく死に、誰がどのような人間だったのかなんて等しく誰の記憶にも残りません。

 

 

 

 教科書に残るような人物のことすら、その多くは名前が多少わかる程度のもので、自ら知ろうとしない限りはその功績や人柄なんて記憶に残りませんもの。

 

 

 

 ですので、何をして生きていっても、別にどうでも良いような気はします。

 

 

 

↓ 自分に合う生き方って大事かと思います ↓

 

 

 

 

とりあえず、支出額は小さく。

 

 

 今までの私の大きい支出は、仕事で発生したストレスをリフレッシュすることに関係するものが多かったです。

 

 

 

 なので、そもそも仕事に1日の大半の時間を割く生活をしていなければ、外食もほぼする必要なくなりますし、ストレスによる無駄な散財も減るのではないかと思いました。

 

 

 

 もちろん、人それぞれ欲求が違うので、あくまで私のケースの話です。

 

 

 

 高いものが欲しい、子供が欲しい、マイホームが欲しい等の目的がある場合は、嫌でも働かざるを得ないでしょう。

 

 

 

 逆に働くこと自体が苦じゃない・苦が少ない人に関しては、思う存分馬車馬のごとく働けばいいと思っております。幸せの形は人それぞれです。

 

 

 

 

 何をしていたって「万が一」はあります。

 何もしていなくたって「万が一」はあります。

 

 

 

 

 退職&ヒモとなり生殺与奪を他人に委ねるという、とっても大きいリスクをとっている私は、他人よりも万が一の起きる確率が相当大きいでしょうけれど、悔いはありません。

 

 

 

 とりあえずミニマムな生活を心がけつつ、昼夜逆転・超自堕落生活を楽しみます。

 

 

 

 現在の状況は、他人から見たら常識からかけ離れている状況でしょうけれども、まぁ私はこれくらいの方が楽しいです照れ

 

 

 次回は、そんな私の現在の生活等について書いていこうと思います。