こんにちは、じきです。

 

 

 私は、一昨年末に20年ほど勤めた会社を退職し、現在はアラフォーヒモニートをしております。

 

 

 今回は、そんな私が在職中にパワハラを受け休職した際の、精神科通い等についての経験を書きます。


 

 不快に感じる人も居ると思いますので、嫌な場合はいつもどおりブラウザバックお願いします。

 

 

↓ 私にとって、世の中は常に修羅場です ↓

 

 

 

 

「精神薬」との闘い

 

 

 私は過去記事のとおり、私は会社員時代に受けたパワハラにより心身のバランスを崩したことがきっかけで、精神科への通院を余儀なくされました。

 

 

 

 そのため、私が精神薬を服用し始めたのは、当時私が休職をする直前頃からとなります。今からおよそ12年前程の出来事です。

 

 

 

 私は、それまで生きてきて精神薬を服用した経験はありませんでした。

 

 

 そのため当時は、このパワハラのせいで、今後長期間に渡り、精神薬等と不毛な向き合い方をしなければならないとは、夢にも思っておりませんでした。

 

 

 

 実際に、はじめて精神薬を飲んでから、完全に断薬するまでは10年以上の期間がかかりました。

 

 

 

 これも書こうと思えばいくらでも書けそうなので、無駄話ばかりになりそうですね。

 

 

 紆余曲折を経て休職へ

 

 

 さて、繰り返しになりますが、私は当時の転勤先の支店に居たクレイジー・サイコパスおじさんからの、パワハラ騒動にて完全にノックアウトされました。

 

 

  そして、適応障害との診断をうけ、休職するに至りました。

 

 

 

↓ 参考 サイコパスおじさんとの出会い ↓

 

 

 

 この適応障害という言葉ってなんとも便利で、医者のために作られたような病名だなと感じてしまいます。診断に困ったらコレ!!的な…

 

 

 

 私なりに一生懸命闘病しましたが、結局、いくら通院を続け、医者の指示通りに服薬しようとも完治はしなかったです。

  むしろ、精神薬の副作用で、身体の至るところに変調をきたしました。

 

 

 

  なので、未だに精神医療というものに関して、ある種の疑念を感じます。

 

 

 

 当時、これでもかというほどの大量の精神薬を処方され、その副作用により黄疸・尿漏れ・手の震え・逆流性食道炎等を発症していました。

 

 

 

 そのくせ、精神薬を飲んだからといって、全く精神的に楽になったわけではありませんでした。

 

 

 

 私の休職の目的は、精神薬の摂取量を減らし果ては断薬するためだったと言っても過言ではありません。

 

 

 

 すべての副作用が苦しかったですが、その中でも特に逆流性食道炎は、格別に苦しかったです。

 

 

 

 胃の弁が働かず、仰向けで寝るだけで胃液が胃から溢れ、スーっと食道を伝ってきてしまい、夜中に胃液で喉が焼け付くようにむせて強制的に目が覚めるということを繰り返しました。

 

 そのため、睡眠不足に陥り非常にきつかったですね。

 

 

 真夜中の眠気に加え、胃液のゲロ臭さ食道の荒れも相まって、本当に気分が沈んだのを覚えています。

 

 

  こちらの要望により処方?

 

 

 私は精神科に通院中、実に様々な精神薬を処方されました。精神薬はかなりの種類がありますが、その効果ってなんとも言い難いものです。

 

 

 正確には、数多くある脳内の成分のうち、自身の脳に足りなくなってる成分をピンポイントに補完する精神薬を、無事に処方してもらうっていうのが超大変なのです。

 

 

 

 まずはピンポイントで適切な表現と言葉を用い、自身の症状や基礎的な特性・特徴等正確に医者に伝える必要があります。

 

 

 

 そして、その言葉を適切に医者が解釈した場合にのみ、適切な精神薬が処方されるわけですが

 

 

 

 

 

 これが本当に、下手なギャンブルをするよりもよほど博打だと思っています。

 

 

 

 

 

 例えば、私が「Aという意味」で伝えた言葉、医者に「Bとして解釈」されても駄目です。

 

 

 

 私がCという意味」で伝えなければならなかったのにDという伝え方」をしてしまった等も駄目です。

 

 

 

 自身の伝え方が下手でも駄目解釈の相違があっても駄目。

 

 

 いずれの場合も、結果的に、自分の症例に適さない誤った薬等を処方されてしまう可能性が非常に高いです。

 

 

 

 精神医療は、患者側も医者側も、大変難しい作業をこなさなければならないのだと思っています。

 

 

 

(相互理解の難しさ)

 

 

 

 私自身は転勤族であったこともあり、県を跨ぐ転勤の都度、距離的な問題等により、通う病院も変える必要がありました。

 

 

 

 それらの都合により精神科には何ヵ所も通いましたが、精神薬をとりあえず数うちゃ当たるみたいな感じで、むしろ「どの薬がどのくらいほしいですか」と聞かれることすらありました。

 

 

 

 

 

 どの薬がどのくらいほしいですか、とは???照れ笑 

 

 

 

 

 処方する薬の種類や数を、初診なのに医者から患者側に尋ねるなんてこと、あるんですかと。

 

 

 

 

 私が精神薬の知識なんて持ち合わせているはずもなく、もやもやしながら以前と同じ薬のことを伝えました。

 先生の見立てを信じることしかできないこちら側にも落ち度はあるのでしょうけれども。

 

 

 

 自分の身を守れるのは自分だけ、とはよく言ったものです。

 

 

 

 どのような分野においても、ある程度は自分の責任と知識で、自分に必要な治療・情報等の取捨選択をできる力を身につけなければならなかったのでしょう。

 

 

 

 事実、長期間にわたり通院していても、私と同じ病院に通っている他の常連患者さん達について、月日の経過とともに通う患者数が減ることは皆無でした。

 

 

 

 

 むしろ新規の患者がどんどん増える一方だった印象です。

 

 

 

 

 治せないのに、「医療」……?

 治せないのに、「薬」……??

 

 

 

 死んだような顔をして、私と同じ病院に通院を続ける常連患者さん達を見るたびに、モヤモヤとした気持ちが沸き上がるのを感じておりました。

 

 

 

 カイジより博打してますよ。

 投薬での治療は、もはや博打のようで、治るか否かは文字通り運否天賦です。

 

 

 

 しかも、数ある薬の中に、体調を治すことの出来る当たりくじが含まれているかどうかすら、定かではありません。

 

 

 

 精神薬の当たりをくじを引き損ねた場合は、躁鬱等になったり、更に感情のコントロールを失いかねません。

 

 

 「医療」なのか、「薬」なのか?

 

 

 こと精神科に関連する医療行為に関して、これらは果たして「医療」や「薬」と呼べるのか、今現在も謎だと思っております。

 

 

 

 風邪の時のように、医者に通い通院・服用等をすれば一応快方に向かっていくなどということは、少なくとも私自身は欠片も無かったです。

 

 

 

 無論、すべての精神医療をひとくくりに無駄・博打扱い等するのはあまりにも乱暴なのは承知しております。

 

 

 

 患者一人一人の環境・能力等によっては、そもそも投薬だけでは根本的な問題を解決できないケースも多々あるため、精神薬自体を一概に無意味とは言えません。

 

 

 

 また、先天性の疾患で、病名がはっきりしている場合等ならば、精神薬はある程度有効なのだと思います。

 

 

 

 

 しかし、いずれの場合でも、やはり「完治」はしない

 

 

 

 

 先天性の精神病を患っていらっしゃる方は、多くの場合は薬によって症状が治る等ということはであり、生涯に渡り薬を飲み続けます。

 

 

 後天性の精神病を患った場合ては、精神薬がそもそも「薬」として機能しているのかすらも、前述のとおり運否天賦状態です。

 

 疑心暗鬼のまま、それでも体調の改善を願いながら大量の精神薬を飲み続けます。

 

 

 

 所詮効果は人それぞれという精神医療というものに対して、疑念が拭い去れないのです。

 

 

 

 胴元が勝つ仕組みの博打のようにも感じます。

 患者は治らなくても、医者は儲かりますからね。

 

 

 

 いらない物質の過剰摂取

 

 

 こんな単純な話ではないと思いますが、仮に、自身の脳内のAという物質に過不足はないのに、医師への伝え方・解釈ミス等により既に充足しているAという物質を補完する薬を要求・処方された場合自身の脳内のAという物質が過剰になってしまいます。

 

 

 

 事実、投薬こそが大きく精神のバランスを崩すきっかけになることも、かなり多いのだと思います。

 

 

 

 私自身も、処方された薬の副作用等により、更に症状が悪化したというケースもありました。

 

 

 

 精神的にも、肉体的にもです。

 

 

 

 ひとつの病院だけ行っていたわけではなく、転勤等により何か所か通う病院を変えざるを得ませんでしたが、どの病院もそこまで大きく診療内容が変わったようには思えません。

 

 

 

 私が問診をうけた数多くの医者の合言葉

 

 

「以前の病院では何を処方されておりましたか?」です。

 

 

 

 

 参考にする程度ならわかりますが、以前と症状・環境が違っても処方量を増やす!とかで終わるケースも多かったです。

 

 

 

 結果の伴わない、症状が緩和も改善もしない薬を処方され、それでも「医者」が見立てた薬だからと思い、飲み続けていました。

 

 

 

 

 そしてその結果、さらに身体を悪くしていきました。

 

 

 

 

 無気力になったり、ぎゃくに心臓がバクバクいって連日完徹してしまったり、人間関係が破綻したり、ど早漏になったり、色んなパターンがありました。

 

 

 他人のせいにばかりは出来ない、が。

 

 

 あれこれ言いましたが、医者が一方的に悪いとは思いません。

 

 

 薬で精神の補助が出来ても、あくまで、実際に環境を変えたり、現状改善のための行動をしていくのは患者側なのです。

 

 

 

 また、医者の治療云々というより、そもそも日本社会のあり方・価値観に適合しない脳を持って生まれてしまったケースは、医者通いでどうこうなるものではない気がします。

 

 

 

 どんな種類の精神薬をいくら処方されようとも、脳の根本の型式・脳内で精製されるホルモン物質等の質・量が、そもそも実社会向きじゃない場合なのであれば薬なんていくら飲んでも無駄だと思います。

 

 

 

 私自身は、ほいほいと処方される薬により、実際私の実生活に相当弊害があったのも事実です。

 

 

 

 しかしそれは、医者自体もさることながら、私自身の低能力や、病んで病院送りにされるほどに社会の空気感が重苦しいの等が根本的な原因かとも思います。

 

 

 

 周りの迷惑にならないように自己研鑽に励んだとしても、クレイジーなサイコ気質の人間と関わった瞬間に、人生の歯車が狂います。

 

 

 

自己責任?

 

 

 さて、それらの状況を引き起こしたのは、すべて自身の生き方のせいですので自己責任。という論調は嫌いです。

 

 

 

 この自己責任という言葉、非常に軽々しく感じます。

 

 

 

 与えられた環境、持って生まれた能力、脳の性質・能力・家庭環境等は、千差万別です。

 

 

 

 負けん気で根性がある、努力できる、仕事が好きになれる等の脳の性質身体能力、生まれた家庭の貧富、身の周りの人間の質等…

 

 

 

 

 それらは、万人に与えられた基本ステータスではないのです。

 

 

 

 

 

 私は、実際に精神薬を飲んでみて、良くも悪くも、人間は脳内物質の割合ひとつで、行動力があるとかポジティブである等の、実社会を生きる上で重要な要素まで影響を及ぼすことに気付きました。

 

 

 

 なので余計に、最初から「実社会を生きていく上で優位な脳内物質」が充足した脳を持って生まれた超ラッキーな人にこそ「自己責任」などという無責任な言葉を放ってほしくないと感じます。

 

 

 

 また、脳の性質や能力等と同じく、自身をとりまく環境等も千差万別です。

 

 

 

 様々な良い環境があろうかと思いますが、解りやすいのは実家・親族等が裕福な場合です。

 

 

 

 正直、金銭面での自身や親の老後の面倒を先々まで意識する必要が薄れるというだけでも、実家等が裕福な人というのは、私からすればチート級です。

 

 

 

 それらの、生きていきやすい脳の性質・能力・環境等というとてつもない幸運の産物を初期装備出来ている人には、ある種の視野の狭さを感じるケースが多いです。

 

 

 

 ご自身の感覚的には、それらの幸運が当たり前のこと過ぎるのか他人のことに対して実は鈍感だったり、冷徹なまでに厳しいという人が、相当多いように思います。

 

 

 

 自身の脳の作りが実社会的に生きやすい造りであったり、環境等の周りからのお膳立てが生まれながらにしてある程度整っていた人というのは、他と代えがたい素晴らしい素質の持ち主であると思います。

 

 

 

 

 そして、これまでも何度か同じこと言っておりますが、やはり同じ感想を抱きます。

 

 

 

 

 そういう、恵まれた状況下で人生を過ごせてきた人達はめっちゃくちゃ運が良いと。

 

 

 

 

 根本的に、人生の難易度自体が違います。

 馬鹿にしているわけではなく、本当にイージーです。

 

 

 

 

 だからこそ、自分とは違う脳の性質や環境等に生まれた者の苦悩を、理解することは難しいのでしょう。

 

 

 

 正直、そういった類のイージーな人生送ってる人「正論」めいたことを言われると、腹立たしく思うこともあります。

 

 

 

 文字通り「言うは易し」です。

 イージーに見えたって、実は大変なんだよプンプン!!

 

 

 ならば、そんな御方とは、今すぐ身体取り換えっこして人生やり直してみましょうと提案したい照れ

 

 

 

 

 多くの人間は、結局のところ実体験からしか真の苦しみを感じとることは出来ないのだと思います。

 

 

 

 

使えるものは何でも使おう。

 

 

 今現在苦しんでいるお方、先天性の疾患等のお方、いずれも精神薬の服用のみでは、今後どうこう出来る可能性が、わりと薄いと思っています。

 

 

 

 環境を変えろというのも、言うは易しの非常に難しい注文ですが、やはり精神薬の服用のみで解決できる問題というのは、多くの場合は非常に狭い範囲だということだけはお伝えしておきたいです。

 

 

 

 苦しい時こそ、恥も外聞も捨て、頼れるものは頼り、使えるものは使い、何とか生きていければいいですね。

 

 

 

 人を殺すのも多くの場合は人ですが、助けてくれるのもまた、多くの場合は人であると思います。

 

 

 

 

 いつにも増して、記事が怨念のような内容になってしまいましたが、「人を壊す」ということが、こういう不毛な感情を生みだす元凶の1つなのは事実でしょう。

 

 

 

 精神的に摩耗することを避ける意味でも、他人の土俵で戦う機会を、少しでも減らしていければいいなと思います。

 

 

 

 

 次回は、休職中の生活について記載していこうと思います。

 

 

↓ 医療機関の利用は、かならずしも最善手ではない ↓