こんにちは、じきです。
私は、一昨年末に20年程つとめた会社を退職し、現在はアラフォーヒモニートとして過ごしております。
今回は、そんな私が在職中に休職をした時の体験を書きます。
不快な方はいつもとおりブラウザバックお願いいたします。
↓ ハラスメント・いじめ等する者は殺人犯予備軍です ↓
さいこぱす
私がずっと勤めていた会社は、とても転勤の多い職場で、毎年のように人間関係も仕事内容も変わるという環境でした。
そんな中で、なんとか必死に日々を生きていた私ですが、20代なかば・就職から5年目にて、ついにある人と出会ってしまいます。
その人の名を、仮に【サイコさん】とします。
私は当時、地元から、他県の支店に転勤したばかりでした。
おまけに、激務の部署に配置換えとなり、転居や人間関係や仕事内容等のすべてに不安を抱えながら、新しい支店へ赴いたのを鮮明に覚えています。
この時のように、転勤の都度、県をまたぐことも多く、ほぼ転居が必要になるわけですが、まず、転居するだけでも、本当に大変です。
ゆっくり転居の準備が出来るわけでもなく、転勤の辞令をうけてから2週間以内くらいに、会社内外のすべての作業を完了させなければなりません
現住所の家賃水道ガス電気等のすべてを止める作業、転居先のアパート等を探す作業、そして転居先で新しく水道ガス電気等を開設する作業等を、会社内の仕事の引継ぎと平行して行います。
他にも、住民票等の変更のために市役所に行ったり、クレジットカードの基本情報をネットで更新したり、免許証の書換に警察署へ行ったり。本当に、とにかく忙しいです。
ちなみに余談ですが、引っ越し業者に依頼する際に、注意すべき点があります。
引っ越し業者に見積依頼をした際、たとえCMで見るような有名企業であっても、1回目の見積時点では普通に割高な料金で査定額を提示してきます。
そのため、個人的には複数の業者による相見積もりが必須であると思っています。
めんどくせー…
ですが、相見積もりをした場合と、しなかった場合とでは、引っ越し代金が4万円~5万円くらいの違いが出てくるケースが多いです。
それにしても、相見積もりだの市役所巡りだの、大変かつ面倒くさい作業を多数こなしたのに、行く先に待ち構えているのがやりたくもない仕事とかサイコさんだなんて、人生罰ゲームにも程があります
優しそうな外見
さて、話を戻します。
新しい支店の私が所属する部署で、私と2人ペアで仕事をする40代半ばの中背小太りの男性が、サイコさんでした。
ニッコリ
サイコさんは、特徴的な太眉で、パッと見は本当に優しそうです。とてもじゃないけど外見だけではヤバい人であるという想像がつきません。
もちろん、外見だけで人柄などわかりようがないということは重々承知しておりましたが。
サイコさんは、私が転勤してきた初日に支店の中を案内してくれたりもして、最初はむしろ親切な人なのだと思っていました。
新しい支店だけどこんな人とペアで仕事出来るのは幸運なことだとも感じていました。
また、配属先の直属の上司も、人当たり良い人だと感じていました。
その上司は、はじめての事務でわからないことが多々あるだろうけれど、ペアで仕事をするサイコさんに聞いて少しずつ仕事内容を覚えていってね、と仰りました。
サイコさんも上司の前では「一緒に頑張ろう」と、温和そうな笑顔を作りました。
(ニッコニッコ)
その笑顔を見て、私も、サイコさんと一緒に頑張るんだと、気合を入れたのを覚えています。
しかし、その気合は即日消滅します。
出会って半日で豹変
新しい支店へ着任した日の午後、事務マニュアルを読んだ上で、二人一組のペア仕事なので、役割分担等の確認のため、サイコさんに話しかけた時のことでした。
サイコさんは私を一瞥し、先ほどの温和な表情とは打って変わって無表情で、小声で私に耳打ちしました。
「ちょっとこっちこい」
そう言うと、サイコさんは、部署から少し離れた小部屋に向かいました。
私は、仕事の話をするのかと思い、マニュアルとメモを用意し、サイコさんを追ってすぐにその小部屋に向かいました。
…
……
小部屋の中に入ると、サイコさんはドア前に立っており、電気がついておりませんでした。
そして私が、電気を探して壁を確認したその瞬間、サイコさんはドアを閉め、物凄い形相で私の方向き、ドスのきいた小声でこう言い放ちました。
「ふざけてんのか、てめぇよぉ」
彼が小声だったのは、小部屋の外に声が漏れないためだったのでしょうね。
感じるんだよ俺ぁよ
そのとき、私はわけがわからなくて、「え?」とだけ言ったのを覚えています。
その後もサイコさんは続けざまに、初対面の時の温和な様子を微塵も感じさせない形相のまま、ドスの効いた小声で、次々と私に言葉を投げかけてきました。
「てめぇよ、なんなんだよその態度は…」
「馴れ馴れしいんだよ、なぁオイ」
「いい加減にしろよ」
私は、やはり全くわけがわからなくて、気が動転しました。
一言声をかけただけなのに、なぜこんなにも、この人を激昂させてしまったのだろうかと。
私は、サイコさんの気分を害すつもりはなかった旨を必死に伝えましたが、サイコさんの答えは
「感じるんだよ俺ぁよ」
と、取りつく島もない回答でした。
私は、サイコさんのことを、初対面の印象では温和そうな人だと思っていたため、私に向けられた敵意むき出しの形相が、あまりにも恐ろしかったのを覚えています。
そして、この短いやりとりだけで、仕事のことには一切触れず、サイコさんは小部屋を立ち去り、自席へと戻りました。
私も、この一連の突然の出来事に気が動転して心臓がバクバクと鳴り、かなり混乱しておりましたが、自席にすぐ戻りました。
サイコさんの席は、私の隣です。
私が自席に戻ると、サイコさんは、自席周りの職員と談笑しておりました。
もちろん、先程の小部屋の話ではなく、世間話です。
その様子は、やはり温和そうに見え、とてもじゃないけれど先程の小部屋で起こったことを言うような人物には到底思えないものでした。
その様子を見た私は、何か自分の態度が良くなかったのだと考え、言いだしづらいけれど仕事のことを頑張って聞こうと前を向きました。
つらい日々
私は、自分なりに色々と四苦八苦し、可能な限り色んなアプローチの仕方で、サイコさんとのコミュニケーションを図りました。
しかし、初日の件以降もずっと、サイコさんは私に対して非常に辛辣なままでした。
厄介なことに、周りの人がいる前では、温和なのです。
ニコニコニコニコ
上司も周りも、サイコさんに対し、特に悪い印象は抱いていないようでした。
しかしサイコさんは、私と社用車で出張する時など、基本的に私と2人だけの空間になると、決まって態度を豹変させて接してきました。
…ネチ…ネチ…ネチ………ネチ…………
私に対し、攻撃的で意味不明な問答を延々と繰り返す・無視する等、あからさまな敵対心剥き出しの行動を繰り返しました。
そんな毎日を過ごすうちに、みるみるうちに自分自身の気持ちが追い詰められていくのを感じていました。
転勤してきたばかりで、ただでさえ土地勘のない場所で相談出来るような知り合いも近くにおらず、毎日が、不毛で意味不明で、そして不安でたまりませんでした。
その状態のまま半年ほど経過後に、私はさすがに日々のサイコさんの言動がしんどすぎて、それらのサイコさんの言動を上司に相談をしました。
それを聞いた上司は信じられないといった様子でした。
その後、ようやくこぎつけた上司との三者面談では、サイコさんは私が証言するような言動を微塵も表に出さず、それどころか私を気遣うような素振りすらやってのけました。
役者が過ぎます。
すげぇ舞台俳優です。
サイコさんは、仕事が出来る人なので信頼も厚く、政治力の高い、人間関係を外堀から固めていくタイプの人です。
転勤してから1年もたっていない私の言葉は、無念にも、上司等に額面通りには受け取られませんでした。
そして、ぶっ壊れました
その環境で、1年耐えました。
が、丁度1年経過というところで、ついにぶっ倒れました。
診断名は適応障害。
それから私は2年間ほど休職を余儀なくされます。
休職の直前には自殺未遂もしています。
休職を伝えた時、サイコさんは私のことを過剰に心配する様子を周りにアピールしていました。
今現在は、組織内で偉い立場まで出世したサイコさん。
あなたから見たら、私など本当にアホに見えていたことでしょう。
私が至らない点も、そりゃ沢山あったことでしょう。
しかし、だからといえ、それが私の時間と健康を奪う理由として許されるわけではないと思います。
休職2年で心身が完全に元通りなんてことはなく、闘病も復帰するのも、物凄く大変でした。
それこそ、つい最近まで病院通いは続いておりました。
私は、在職していた20年程の期間中に、サイコさんレベルのヤバイ人には数えるほどしか会ったことがありませんが、世の中にはこういう類いの人は相当数いるのだと思います。
世界有数の自殺者人数を誇る日本という国、伊達ではありません。
サイコさんみたいな人が上に立つ会社組織ひいては社会では、そりゃ病む人の数が右肩上がりになるのも無理はありません。
日本て、仕事以外の面は、ほんと物凄く良い国なんすけどね。
諸外国に比べれば治安良いし、ご飯とても美味しいし、景色綺麗だし。
しかし、仕事に関する諸々のハードルの高さだけは異様です。
そこがもう少しなんとかなれば、より暮らしやすいのだろうに。
一回、人のことを壊した経験のあるサイコパスだけの詰所みたいな部署を創設して、壮絶な同士討ちをしてみてほしいです
次回は、休職中の生活等の話をします。