約一月ほどの期間ではあったがいろいろな出来事があった。
特に、修行の地、土佐の高知では豪雨に落雷、強風に突風・・・
幾度も行く手を阻まれ、何度も足が止まりそうになった。
あの時はとても苦しかったはずなのに・・・
今になってはどれもこれも懐かしい想い出。
その昔、歩き遍路は「仏の尊き教え」を己が身をもって学ぶための、
内なる「仏」と出会うための修行の道であった。
● 発菩提心(ほつぼだいしん):「悟り」(仏の教え)、「心の安らぎ・幸せ」への道を求めること
白浄(びゃくじょう)の信心(しんじん)を発(おこ)して 無上の菩提(ぼだい)を求む
願わくは自他(じた)もろともに 仏の道を悟りて
生死(しょうじ)の海を渡り すみやかに解脱(げだつ)の彼岸(ひがん)に到らん
おんぼうじ しった ぼだはだやみ
● 三昧耶戒(さんまやかい): 菩提心を得るまではどんなことがあっても負けないという誓い
われらはみほとけの子なり ひとえに如来大悲(にょらいだいひ)の本誓(ほんぜい)を仰いで
不二(ふに)の浄信(じょうしん)に安住し 菩薩利他(ぼさつりた)の行業(ぎょうごう)を励みて
法身(みほとけ)の慧命(いのち)を相続し奉(たてまつ)らん
おん さんまや さとばん
三昧(心を一つのことに集中して動じない状態)、煩悩を断ち、無上の悟りを開く。
人生、悲喜交々(ひきこもごも)、
楽しいこと、嬉しいことばかりが続かない。
苦しいこと、悲しことも交互にやってくる。
しかし、どんな困難が降りかかろうとも、
たとえ、どんな試練に遭おうとも、
どんな悲しみに心が折れそうになったとしても、
けっして、あきらめたり、投げ出したり、弱音を吐いたりせず、
最後の最後まで「菩提心」(ぼだいしん)を大切に一心にやり遂げてみること。
これこそが、私達がこの世に生まれてきた本当の意味、「仏道修行」なのかもしれない。
これからも、決して後ろは振り向かず、
前だけを向いて、
心の安らぎ・幸せを探して、
希望の明日へと一歩、また一歩、
仏の道を、前進、前進。
合掌