昨日は、小雨模様の中、
明日からの巡礼に先立ち、我等が宗祖弘法大師空海尊者のもとへ。

とかく、私達人は誰でも「完璧」な自分を求め、
パーフェクトな強い存在に憧れるもの。
しかし、"完璧な存在"だから人々は尊敬の念を抱いてくれるものなのか。
自分自身を実際以上に「大きく」・「強く」、
「強大」に見せ、威圧する必要が本当にあるのか。
「賛嘆(さんたん)措(お)く能(あた)わざる」
賛嘆せずにはいられない、「真の尊き人物」とは。
完璧な存在だから、そうなのか。
完璧だから、皆が心から深く尊敬するのか。
ありのままの自分を、卑下せず、尊大にも振る舞わず、
他の人々に敬意や、尊敬の念をもって接する事の出来る「人徳者」にこそ、
私達は、心から敬意を、尊敬の念を抱くのはないでしょか。
もし、そなた「過ち」と悟ったならば、
恥や外聞、プライドに囚われることなく、
素直に、正しき道を、尊き教えを仰げ。
そなた、過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ。
過ちを改めざる、これを「真の過ち」という。
人は皆、誰でも皆、過ちを犯してしまうものである。
過ちを犯しても、これを改めようとしないその「不徳の心」こそ、
恥ずべき「真の過ち」であり、
「真の勇気」を、まさに見失ったその瞬間である。
合掌