賛嘆措く能(あた)わざる | 天宮光啓塾 生かせいのち(生き方塾)

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生かせいのち

南無大師遍照金剛

合掌

皆さん、おはようございます。




昨日は、小雨模様の中、





明日からの巡礼に先立ち、我等が宗祖弘法大師空海尊者のもとへ。



$密教行者のブログ(報恩の輪)




とかく、私達人は誰でも「完璧」な自分を求め、





パーフェクトな強い存在に憧れるもの。





しかし、"完璧な存在"だから人々は尊敬の念を抱いてくれるものなのか。






自分自身を実際以上に「大きく」・「強く」、






「強大」に見せ、威圧する必要が本当にあるのか。






「賛嘆(さんたん)措(お)く能(あた)わざる」





賛嘆せずにはいられない、「真の尊き人物」とは。






完璧な存在だから、そうなのか。






完璧だから、皆が心から深く尊敬するのか。






ありのままの自分を、卑下せず、尊大にも振る舞わず、






他の人々に敬意や、尊敬の念をもって接する事の出来る「人徳者」にこそ、






私達は、心から敬意を、尊敬の念を抱くのはないでしょか。






もし、そなた「過ち」と悟ったならば、





恥や外聞、プライドに囚われることなく、





素直に、正しき道を、尊き教えを仰げ。





そなた、過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ。





過ちを改めざる、これを「真の過ち」という。





人は皆、誰でも皆、過ちを犯してしまうものである。





過ちを犯しても、これを改めようとしないその「不徳の心」こそ、





恥ずべき「真の過ち」であり、





「真の勇気」を、まさに見失ったその瞬間である。





合掌