ムーチョでございます。

連休はいかがお過ごしですか?

うちの塾のGWは3日から6日だけですが、塾によっては2週間近く休んじゃうとこもあ
るとか。
生徒が「いいなあ」とか言って羨ましがっていましたが、そんなに休んじゃってもいいの?いいなら休みたいけど?という感じです。
実際問題、4月にやったことがすべて抜けてしまいそうで、コワくて休めません(笑)

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今日は、教える側の視点でお話しします。

うちの塾も小さいながらも数名の講師がいるので、出来るだけ授業研修をやるようにしています。

個別指導は、集団指導に比べれば授業技術が必要ないという話を聞きますが、私は必ずしもそうではないのではないか、と最近感じています。

確かに、個別指導では、集団指導では必須と言えるパフォーマンス能力やリーダーシップ能力は比較的低くてもさほど問題にはならないでしょう(全く無いというのは問題ですが)。

しかし、個別指導には個別指導なりの授業技術があり、その技術を支えるマインドセット(思考法)が必須です。

その中でも特に重要なのが「察する」技術です。

「察する」

とても日本人的な響きのある用語です。

以心伝心的な、あるいは読心術、あるいはテレパシー的なものを連想する人もいるかもしれません。

もちろんそんな、特殊能力ではありません。

要は、生徒がどこがどうわからないかを「察する」技術のことです。

もちろん、「察する」以前に、こちらからストレートに「どこがわからない?」あるいは「どこまでわかってる?」みたいなことを聞く必要があるのは言うまでもありません。

ただ、それだけでポイントをついた指導が出来ると思っているうちは、はっきり言って素人だと思うのです。

個別指導の最大の利点は、文字通り「個別」に見ることができる点なのですから、今相対している生徒が発している独自の信号を読みとってこそ、プロの講師と言えるのではないでしょうか?

独自の信号というのは、ちょっとした表情に現れる場合もあるし、手や指の動きの変化に現れる場合もあるし、声のトーンに現れる場合もあるかもしれません。

「ああ、この子の『わかった』っていう時のこの口調、本当はわかってないけどこっちに遠慮して言ってる時の口調だな」

「ああ、この子のぼんやりした表情は、一見何も考えていないように見えるけど、実は考えてるんだな。しばらく様子をみよう」

これらを読み取って、生徒の本当のニーズをキャッチし、そこをしっかり指導していけるのが個別指導の最大の強みです。

日常生活でも、「察する」のが上手な人と下手な人がいます。

「ああ、私は『察する』のが下手だから向いてないのかも…。」
と、悲観する人もいるかもしれませんが、それには及びません。

なぜなら、私自身、日常生活では人の気持ちを「察する」ことがぜーんぜん出来ない人ですが、いつの間にやら講師に個別指導の研修なんぞをする立場になったのです。

「察する」技術は、日頃の授業で生徒とのやり取りを密に行い、フィードバックを繰り返すことで、後天的に身につけることができるスキルなのです。

私のような自分勝手な人間でも、努力と経験で十分身につけることができるスキルだということです。

他にも「教える」ということに興味のある方は、以前書いたこちらの記事も一読ください。