まあちゃん〜飾らず楽しくまっすぐに〜

まあちゃん〜飾らず楽しくまっすぐに〜

地方在住の37歳。不安症治療中。お笑いが好き。人見知りやけど、人と話すのが好き。パンが好き。最近パン作りはお休み中。コーヒーに再びハマりつつある。

行ってきました。


あいにく生理前で、なんとなくやる気でない、眠い、頭動かな〜い状態で、義務感を必死に絞り出して行ってきました。笑


受診するといつも、前回の受診から今日までどんな感じだったか聞かれるので、

行く前に先生に何を話そうか、頭の中で文章を作るんですけど、今回は特に落ち込んだこともないし、困ったこともないし、頭動かないしで、どういう風に話そうか迷った。


結局、調子はいいと思うことと、それでも気になることを話した。


劣等感を感じたり、自己肯定感の低さはどうもまだ根強く残っている。

先生曰く、それらの改善はまだもう少し時間がかかるらしい。


人と比べないようにしているけど、学校の保護者とかと関わるのが少し怖い感じがある。

仲良くしたいけど、受け入れてもらえない時にかなり落ち込むので、それを防ぐために、そもそもあまり関わりたくないという心情になる。


しかし、落ち込むとかの感情はかなりコントロールできるようになった気がする。


図書館で本も借りてきたし、どんどん自分をアップデートして、伸び代を増やしたい。

つい先日、県外の親戚の家に3日間程お邪魔してたんですけど、たぶん家にWi-Fiが無くて(聞いたわけじゃないからあるかも)、私の携帯の料金プランは1ヶ月3ギガまでなので、寝る前の動画は諦めて見ませんでした。


そんな3日間を過ごして思ったこと。


私はいかに「自分のために自分の人生を使ってなかったか」ということ。


動画を見ている時間を、自分や他のことに使えたら、その蓄積は凄い時間になると思う。


動画はタダで見れるけど、他人の作った動画を見ることは、逆に自分の人生の時間を他人にタダで渡しているようなもの、そんな風に感じた。


もちろん、動画を観ることで楽しかったり、気持ちが休まったり、癒されたりすることもある。


しかし、それが当たり前になると、もっと見たい!となって必要以上見てしまう。

面白くなくてもただただ見てしまう。実はそんなに見ていないのに動画を流してしまう。

そんな状態ならば、自分のために自分の人生の時間を使いたいと思った。


親戚の家から帰ってきてから、少し考えてからアプリのボタンを押すようになりました。

かわいいカバンが欲しいけど、

私はもう財布を持てない体になってしまった…。

財布が持てない、というのは、

出産してからというもの、荷物を少しでも軽くしたい!という思いから、私は財布を持ち歩くのをやめた。


小銭やカードが直接入れられるようになっているカバンを買ってからというもの、一度買い換えたけど、やはり同じような機能のあるカバンにして、結局5年ぐらい財布を持ち歩いていない。


もちろん何の不便もなく、なんなら今以上にカバンが重くなると考えるとしんどい。


同機能のある違うカバンにしてもいいのだが、気に入るものが無いことも多い。

今日も雑貨屋さんで見てみたけど、これだ!というものには出会えなかった。


私はもう一度財布を持つようになることはあるのだろうか。