ありのままの生き方ナビゲーター 伊藤直幸です。
今日も、「世界一の幸せもの」を増やしていきますよ(^o^)
【僕の生きる道】と題して、
・自分を大切にして、
・自分本来の、ありのまま姿を取り戻して、
・素直な気持ちで「世界一の幸せもの」で生きるまでに、
悩んだり、迷ったり、喜んだり、笑ってきた【僕の人生の真実】を、赤裸々に語っています。
前回のお話はこちら
前回は、本当は「仕事が嫌だったんだ」とお話しました。
好きでもない仕事だけど、「何となく無難にこなして生きていれば良かった」と思っていたのです。
その一方で、退屈感、人生が窮屈なようにも思えていたのです。
「そんな日々をよく、我慢していたんだな」って、今は思っています。
#49●それ、本当にやりたかったこと?
「働く人の環境を良くしたい!」という思いがあって、誰かのことを考えて「いいなぁ」というのを自分が創り出したかった。
ただ、そういうことに気がつかない(気づけない)僕だったから、無意識に「本当はそのときに感じていたであろう感情」を、ギュウギュウと心の奥へ詰め込んでいました。
仕事は上手く立ち回れたので、それなりにしていれば良かった。
家のことは妻に任せて、相談があったときに答えていれば問題はなかった。
職場(摂津にある製作工場)から家に帰るまで1時間40分。
電車4本とバスに乗って通っていた。
毎日同じ電車、同じ車両、同じ席に座って。
毎日が同じようで、心のどこかに感じていた退屈感と人生が窮屈に思えていたこと。
帰り道、天神橋筋六丁目で途中下車をして、好きなパチンコを打って気晴らしをしていた。
そうすることで、本当は見なくてはいけないことから目をそらしていた、、、
「何がしたい?」
「僕はどう生きたい?」
そんなことを心の奥では思っていたけど、僕自身は気づかなかった。
あるとき、「働く人の環境を良くしたい!」という思いと、「パチンコが好き!」という思いが交差した。
「そうか! パチンコ店で働く人の環境を良くしてみよう!」と思った。
「パチンコ店で働いてみよう!!」と閃いた!
それからというもの、僕は「タウンワーク社員」を毎週のように、周りの人に気づかれないように影に隠れて読むようになった。
パチンコ店の求人を隈なく探していた。
見つけても、年齢制限で引っ掛かったり、職場が自宅から遠いなど、条件に合う会社は見つからなかった。
パチンコ業界の転職会社に登録したものの、業界未経験で年齢も高いとあって連絡もなかった、、、
それが、1年程続いた。
36歳になった僕は諦めきれず「タウンワーク社員」を毎週のように、周りの人に気づかれないように影に隠れて読んでいた。
5月の終わり頃、「タウンワーク社員」に”パチンコ店運営業務”と書かれた求人広告を見つけた。
そこには、「パチンコ店の業務改善」と「運営スタッフ募集」と書かれていて、業界未経験でも可とあった。
この広告にひかれた僕は、妻にパチンコ店に転職したいことをドキドキしながら言った。
僕 「パチンコ店に勤めたいと考えてるねん」
妻 「、、、、、」
重い空気が漂う、、、
黙っている僕。
しばらくして妻がこう言った。
妻 「なんでパチンコ店なん? 今の仕事を続けてたらえぇやん?」
僕 「、、、、、(答えることを考えている)」
僕 「働く人の環境を良くしたいと思っていて。パチンコも好きだし、、、」
明らかに妻は、「何を今更言っているの?」という感じだった。
それは、幼い息子がいるにも関わらず、よく分からない仕事を始めようとする僕への不満だった。
けれども、僕はそのとき(どういうことを言ったかは憶えていないけれども)上手いことを並べて、転職をすることを押し切ったのでした。
応募して、面接を受けて内定をもうらうことができた。
内定先には1ヶ月ほど時間をもらって、つむら工芸を退職。
辞めるときに、マジメで辞めそうにない僕が転職をすることに、みな驚いていた。
僕の心の中は、「働く人の環境を良くできる」と転職を前向きに思っていた。
転職をしたら、自分が変われるような気がしたのです!
つむら工芸の本社で最後の挨拶を終えると、16年4ヶ月勤めた思いが出てくるかと思いきや、そうでもなかった。
転職前の職場で楽しく働いていたようで、「実は、思い入れなんて何もなかった」のだと、今は思います。
でも、たくさんの経験で学んだこと、今の自分を助けてくれていること、繋がっていることがあったのは間違いないです。
初めての転職が「本当にやりたかったこと?」と、自分に疑問を投げかけるのは、それから3年後のことです。
次回
>> #50「海底に沈んでいく僕が見たもの」
お会いできるのを楽しみしています!