僕の生きる道 #11「自分の気持ちとお金に対するイメージ」 | 幸せと豊かさに愛されている 伊藤直幸公式ブログ

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ありのままの生き方ナビゲーター 伊藤直幸です。

今日も、「世界一の幸せもの」を増やしていきますよ(^o^)


【僕の生きる道】と題して、

・自分を大切にして、
・自分本来の、ありのまま姿を取り戻して、
・素直な気持ちで「世界一の幸せもの」で生きるまでに、

悩んだり、迷ったり、喜んだり、笑ってきた僕の人生の真実を、赤裸々に語っています。

 

 

前回のお話はこちら

>> #10「言えない優しさと、悲しさと」

 

 

中学3年生になった僕に、高校受験が待ち構えていました。

 

 

と、その前に修学旅行があり、2泊3日で黒部ダムと上高地に行きました。

 

そのときの思い出がほとんどなく、貸し切りの団体列車と観光バスに乗り、トロリーバスで黒部ダムに行ったことと、黒部ダムのスケールがめっちゃすごかった、ぐらいの印象しかないです。

 

 

前回の記事にも書きましたが、このときの僕は「自分の気持ち」を出すことができませんでした。

 

今は、自分の気持ちを素直に言えるようになり、「自分の気持ち」が出せない理由が分かるようになりました。

 

 

気持ちを出すことができない、自分の中に隠してしまうのは、

 

お母さんに対して「いい子」でいようとする思いが強くて、ある意味”優しい子”なのです。

 

けれども、隠している「自分の気持ち」が心の中にどんどんと溜まっていくうちに、「自分の気持ち」が見えなくなってしまって、分からなくなってしまうのです。

 

 

だから、「自分の気持ち」が分からない。

 

「自分の気持ち」を出すことができない、苦手になるパターンになります。

 

 

でも、「自分の気持ち」が全く無いわけではないのです。

 

”見えなくなっているだけ”なのです。


 

僕は大人になって、色んな体験や経験を通じて学んだこと、本を読んで気づいたこと、自分と向き合うことによって、「自分の気持ち」が出せない、分からないことに自分で気づきました。

 

 

誰もが「自分の気持ち」を持っているんだけど、

 

「自分の本当の気持ち」を素直に言っていい、

「他人(お母さん)の顔色を気にすること無く、自分の気持ちを話すことを、自分自身が許せているか?」

 

これが自分の中で腑に落ちて、実は、自分自身がそう決めていた(信じていた)=自作自演であることに気づいたとき、本当の自分の気持ちを「誰の顔色(特にお母さんの)」を気にすること無く言えるようになる、と僕自身がさらに気づいたのです。

 

 

僕の中で、中学生の記憶(だけではないけれど)があまりないのは、

 

僕の心の中に、確かに「記憶の箱」があるけれど、今も見ないようにしているかもしれないし、記憶力がなかったのかもしれない(笑)

 

 

3年生も夏休みを過ぎると、高校受験のことを考え出して進学校を決めていきます。

 

僕は何を思っていたのか、工業高校の「電気科」に進みたいと思ったんです。

 

 

そのために、本命の県立の工業高校「電気科」を受験するために、いわゆる「滑り止め受験」をしました。

 

私立高校の「電子科」に併願して、受かったら合格をキープしつつも、本命が合格したらキャンセルをするのです。

 

 

今の高校受験のシステムが知らないので、併願制度ってあるのかな?

 

自慢じゃないけれど(恥ずかしい方か)、僕の息子は高校に行ってないので全く分かりません、、、(そのお話も、かなり先になりますが書くつもりです)。

 

 

私立高校の「電子科」に併願で合格。

 

入学金を前払いで「10万円」を収めます。

 

キープ代ですね。

 

30年程前の10万円って、今にしたら20万円ぐらいの価値になるのかな、、、

 

 

お母さんと入学金の話をしていると、お父さんが会社勤めから帰ってきて、お母さんから入学金のことを聞いて、えらく怒ったんです。

 

「何で、そんな(行くか)分からんもんに金払わな、あかんねん!!(怒)」

 

 

そのときの僕は、めっちゃ怖かった!!

 

 

僕のお父さんは、普段「いい人(優しい人)」だったので、穏やかで、怒ることはめったになくて、物分りのいいお父さんだった。

けれども、
このときは怖かった!

 

 

お父さんからしてみれば、朝早くから会社勤めで働いて稼いだお金が、お父さんがよく分からない=何も無く消えてしまうことに使われることが”無性に腹立たしく思えた”んですね。

 

 

このときのお父さんは、お小遣い制で、お母さんから1日300円ぐらいだったかな、をもらって会社に勤めていたから、そのお小遣いの何ヶ月分が、よく分からないこと(納得がいかないこと)に使われるとなったから、気持ちが分からなくもない。

 

 

お父さんが「そんな腹立たしい、悲しい気持ちだったんだろうな?」と、僕なりに気づくようになったのも、ここ2、3年とか。

 

さっきの話で言えば、僕の素直な気持ちが言える、表現ができる前ぐらいから。

 

 

僕は、入学金の前払いのときの出来事によって、僕の【お金に対するイメージ】が、バーンと出来てしまいました。

 

そのイメージは、「無駄なこと(と思えるようなこと)にお金は使ってはいけない」です。

 

 

それは、自分を喜ばすこと、嬉しいこと、ワクワクすること。

 

人を喜ばせること、人のためになることであっても、僕にとって「無駄なことにお金は使ってはいけない」になったのです。

 

 

「無駄なこと」は、見返りがない、かたちがないモノです。

 

そんなことにはお金を使うと”勿体無い”になるのです。

 

 

もう一つは、”お金は真面目に働いて手にするもの”

 

”楽して、手にしてはいけない”と思い込んだのです。

 

 

時間どおりに働く、会社に勤めて働く。

 

「それがいい」と、僕は無意識に信じていくようになりました。

 

 

【お金に対するイメージ】が変わってきたのは、ここ2、3年のことです。

 

 

自分を喜ばすこと、嬉しいこと、ワクワクすること。

 

そういったことにも、お金を使えるようになってきたのです。

 

そのことは、人生を振り返りながら順に書いていきます。

 

 

次は、本命の高校受験の話です。

 

 

次回

 >> #12「熱にうなされながらの高校受験」

 

お会いできるのを楽しみしています!