自分と深く繋がれないときは、呼吸を見るといい。
自分と深く繋がれているときは、ワクワク興奮していても、きっと呼吸が深くまで入り、肺が奥まで開かれた感じがする。
でも、繋がれていないときは、肩が内側に入り、浅い呼吸を繰り返している。
自分と繋がれていないとき、恐れや義務感で、体が緊張状態になっている。
だから、呼吸も浅くなって、どこに集中してよいのかわからなくなる。
一方で深く呼吸できているときは、自然とサードアイに意識が置けるようになる。
そうなると、自分が何を欲しているのか、何がしたいのかがわかりやすくなる。
外側に意識がいっているとき、つまり自分ではない何者かになろうとしているときは、呼吸は浅くなる。
何者かになろうとしているときは、その裏に自己否定が含まれているから。
「こんな自分ではダメだ」
「もっと強くならないと」
そうなると、ありのままの存在は否定されたと感じ、萎縮する。
萎縮したままでは、どれだけ頑張ろうが結果は思わしくない。
そんなときは、成長できなくても、良い結果が残せなくても、等身大の自分とともにあるだけでもう十分であることを思い出そう。
分離が起き、自分とかけ離れた存在に頑張ってなって、成長できたとしても…
必ずひずみで反動がくるから。
誰かになろうとしてピンと張りつめたところで、どこかで糸が切れる。
そしてダウンタイムが長い。
最も近道なのは、等身大の自分でできることを積み重ねていく地道な作業。
それが一番、地味で時間がかかるけれど早い。
ああそうだ。
呼吸が浅くなっているときは、自分を感じたくないときだ。
こんな弱い自分なんてキライ
そうして、自分を感じないようにする。
これが浅い呼吸の正体。
だから否定された心が、入れてくれないんだ。
だから繋がれないんだ。
そうだよね、誰だって、
あんたキライ
そう言われて仲良くなりたくないもの。
それを、自分にしているのね。
あなたは何者にもならなくていい。
弱いあなたのまま、夢は叶えられる。
誰かになる必要はない。
弱いなら弱いなりの、やり方があるんだから。
さあもう一度、肺の奥までしっかりと空気を吸い込もう。
自分で在ることを、奥深くまで感じるの。
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