1/5の記事 で、「仕事疲れる、通勤疲れる」といったことを書いたのですが、翌朝の出勤時のこと。
家を出るのが定刻より1分遅れました。
最寄り駅でいつもの電車に乗れないと、会社に着くのが10分近く遅れて、それでも5分前には着くのですが、その日はエレベーターが異常にならんでいて(22階なので階段は選択できず)、遅れたって大丈夫、と開き直ったところタイムカードを打刻したらちょうど9:00
(断っておくと私は遅刻もしないし、欠勤もないです。)
わぁ、ぎりぎり間に合ってよかった~!・・・・・と同僚と盛り上がったのですが、ギリギリなのは私たち二人だけ。みんな早目に着てるから
今までは「ぎりぎり間に合った~」をラッキーなことととらえていたのですが、この日は妙に違和感がありました。
私はいつも、ギリギリセーフ=運の良いこと、時間が余る=もったいない、と定義していました。
スポーツジムで人気のプログラムは整理券をもらうのですが、ギリギリもらえるとラッキー!と思うけど、ゆとりを持って早くいって前の方だったりすると、
「あ~、これなら家であれもしてこれもできた。もっと遅くても良かった」と思ってしまい、そんな日におそ~く来て整理券貰ってる人をみると「いいな~、遅く来たのにもらえて・・」となるのです。
朝、予定より早く目が覚めると「もったいないから二度寝しよう」とかも同じこと。
睡眠時間が減るのは「損」て決めてたんです。
でもって、子供たちもいつもギリギリまで寝ています。
昨日はスーパーのレジで、財布にお金があまり入っていなかったことに気づいて、どうしよう
と思ったら、小銭を合わせてギリギリセーフ
確かにラッキーだったけど、これってあまり嬉しくない。
財布の中身は「ゆとり」があったほうがいいに決まってる。
これは、時間だけじゃなくて、お金も、もしかしたらほかのことも同じ思考だったんです。
無駄がない=いいこと
ゆとりがある=もったいない
この場合のもったいないは、食べ物なんかを無駄にすることとは違って、合理的じゃないとでも言いましょうか・・そんな感じです。
私がそう定義していたから、いつもお金は必要なギリギリしか入ってこなっかったのです。
必要な時は不思議と主人の給料があがり、お金がかからなくなるとなぜかボーナスが減る。
もったいないと思うから「ケチる」癖がついてしまう。
宇宙には時間もお金も愛情も、空気と同じくたっぷりあって、出しても減らないらしいので、こんなにギリギリセーフじゃなくても良かったんです。
早く行って、ゆとりで待ってたほうが、ギリギリで慌てて行って間に合わないよりずっといい。
お金だっていつもゆとりがあって、何でも迷わず使えてほうがいい。
私はゆとりがあるのが好き
と定義を変えました。
そしたら、たまたま仕事が連休で、朝から何かとささっと片付いて、スポーツジムも余裕で整理券貰えて、こんなにのんびりと過ごしたの何か月ぶりだろうって言うくらい「ゆとり」があるんです。
無駄があってもいい、合理的じゃなくてもいい、ゆとりがあるのが私は好き