自慢は本当に悪いことなのか?パート2 | 道はいろいろ

道はいろいろ

生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

 

の続編です。

 

人と人とが話すことは

個人的なものを誰かと共有すること

 

自分が頑張ったことや

成し遂げたことや得意なことも

人に話したくなるのは当然のことではないだろうか?

それをもし誰にも話さなかったら

その人の体験は誰にも共有できない。

 

なのになぜ自慢は良くないと言われるのか?

という反発を持っていました。

 

もちろん言い方の問題はあるだろうが

自分が頑張ったことを知ってほしい

すごいと認めてほしいという想いは

すべての人が持っているような気がする。

 

それをいうなら

偉人の話でも成功者の話でも

それどころか日常会話で自分のこと話すのも

すべて自慢と言えなくないだろうか?

 

すべての人が人に話したいと思う動機

話すということのすべてに

自慢と同じような心が

根底にあるような気がした。

(と、話せなくなった自分を正当化しようと

こういう考えになったのかもしれないが・・・(汗汗))

 

確かに鼻につくことはあると思う

感情を刺激される

鼻持ちならないと思われる

でも言わないと他の人が共有できない

同じことに興味がある人にとっては必要な情報のはず

 

単に言い方の問題なのだろうか?

しかし謙虚に言おうが横柄に言おうが

心の中身は同じなのではないかという気がして引っかかっていた。

 

・・・・・・

 

書きながらだんだんと整理がついてきました(^^)。

 

自慢になるか自慢にならないかは

絶対的な価値基準ではなく状況次第

聞く人が望んでいることに

答えようとする場合は自慢ではない

聞きたくないのに聞かされるのが自慢

 

話したいときは

相手が望んでいるかどうかを

察知する心配りが必要

 

心の中の傲慢さが

話し方に現れて

自慢という形になる。

 

そうか!

私が話せなくなったのは

自分の中の傲慢さを隠すためだったのだ!ガーン

(汗汗滝汗

 

 

<追記>

これって結局自分で気付くしかない・・・

他人に指摘されても反発するに決まってる・・・ドクロ