自然界の意志と人間の理想 | 道はいろいろ

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

自分の中ですっきりしないことがあるので吐き出してみたいと思います。

(読んだ方がすっきりしなくなったらごめんなさい。)

 

競争、争い、個人主義、貧富の差、いじめ

これらは元を正せば自然界から来ていると思います。

 

自然の掟

食物連鎖、弱肉強食のピラミッド構造

自然淘汰という自然界の非情な法則

 

食物連鎖は、人智を超えた自然の掟としてただ受け入れることを要求される。

あるいは神の罰と、あるいは神に対峙する悪魔と意味づける。

 

いったい何を拠り所にすれば良いのか?

 

ある人に都合の良いことも他の人には害になる。

人間に都合が良いことも地球や他の動物には害になる。

人間が家を建てたらそこに住んでいた動物は追い出される。

今私が住んでいる家もたぶん1000年前は自然で、動物や昆虫が追い出された。

ペット愛は素晴らしい。

でもペットとはそもそもどういうものだろうか?

 

すべての生き物は自分中心あるいは種族中心なのが本来の姿なのだと思う。

すべての生き物は、それぞれに本能的な部分で、自分あるいは種を存続させる意志のようなものを持っている。

だからそこに必ず競争や争いはある。

淘汰するのは人智を超えた力でそこに人間界の善悪はない。

 

だが、なぜ善や悪の概念が人間にはあるのだろう?

人を傷つけることが復讐として自分に返ってくるという経験からなのか。

淘汰される側になる恐れからなのか。

動物にしている行為に善悪の概念が欠けているのは、復讐される恐れが少ないからだろうか?

 

なぜ人間は神という概念を作り、人類を神に選ばれたかのように位置づけできるのだろう?

他の動物に対する人間の悪が善悪の概念からすっぽり抜け落ちている。

それでいて、鬼畜、けだものなどという言葉まで使いさらに動物を卑しめる。

恥ずべきこととしか思えない。

傲慢にしか思えない。

利己主義にしか思えない。

 

これらの批判は当然自分自身にも向けられる。

 

食物連鎖は、抗い難い大きな力によって定められた過酷な掟

おそらく人間は、淘汰される側にならないための努力と共に、食物連鎖という掟そのものにも抗おうとしたのだと思う。

 

私も抗いたい。(菜食主義になる根性はないですが・・・)

誤解されたら困るのですが、私は善や道徳を否定しているのではありません。

むしろ非常に大事なものだと思っているからこそ、先に述べた事柄が引っかかっているわけです。

 

人間が食物連鎖という掟に抗うために作ったのが善悪の概念や道徳だと思います。

それは根底に食物連鎖があるということを忘れてしまうほどにきれいなもので覆い隠されてしまった。

そして人間だけに都合の良い善悪観を作り上げた。

その善悪観を前提にさらに多くのことが作り上げられ、その善悪観は不動のものとなった。

 

善悪とは何か?

道徳とは何か?

人間が、食物連鎖という自然に抗い、理想として目指したものだと思う。

 

なぜ私はこういうことを考えるのだろう?

人間というものの業を暴くことで人類を敵に回し(笑)、自身も人間なので(笑)余計に悪いし、なおかつ個人的にも罪悪感を感じ、踏んだり蹴ったりである。

でも事実としか思えないから、考えたことは無かったことにはできない。

抗い難いものにたいする虚無感、無力感

 

この思考を変える方法は、新しい事実を付け足して今までの事実に違った意味を持たせること。

 

善悪は一つのものの違う側面

光と闇、陰と陽

切り離せないもの

悪という概念は、人間も含まれる食物連鎖という自然界への恐れから来ていると思う。

善という概念は、自然界への恐れから逃れたいと人間が願い目指したものだと思う。

 

真我、ワンネス、集合的無意識について考える。

みんな繋がっている。

宇宙とも繋がっている。

ということは捕食者と被食者は同じ。

人間の体の中でも淘汰がある。

人のせいじゃない、神のせいでもない、自分のせいだとしたら・・・?

虚無感は別のものに変わるような気がする。

 

目指すものに向かって試行錯誤しながら進む。

あとは天に任せる。

淘汰するのは人智を超えた全体という力

結果はどうであれ自分も全体のための一翼を担える。

 

 

動物は本能に突き動かされて生きていると思う。

人間もまた自由意志と思っているが、ほとんどは潜在意識に操られているのだと思う。

しかし動物には、本能的に体に刷り込まれた洗練された動作がある。

迷いのない動作(迷うこともあるようです。)

今を生き、迷いなく生を謳歌し、迷いなく恐怖する。(ように勝手にイメージしています。)

人間は5%の顕在意識で素晴らしい英知を形にできたが、逆に顕在意識があるために潜在意識が自分を苦しめることも多いような気がします。

 

傲慢や利己主義は悪いという考えと人間のしていることを考え合わせると人間を卑下しなくてはならなくなり、自分も卑下しなくてはならなくなる。

逆に人間を賛美するのは傲慢だと思うが、自分を卑下することから逃れられる賢明な方法だったのかもしれない。

傲慢と自己卑下には切っても切れない相関関係があるのだと思う。

 

思考も波動

人間は5%の顕在意識で意識的にいろいろな波動を出すことができる。

出す波動を変えることによって引き寄せる因果も変えることができる。

5%の顕在意識で95%の潜在意識を有効活用することができる。

5%の顕在意識で95%の潜在意識をダメにすることもできる。

 

5%の顕在意識を上手に使って95%の潜在意識を有効活用できたらどれほど素晴らしいことだろうか!