抽象世界が物質世界を作る方法(あくまで私の暴走推理ですので・・・汗汗) | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

輪廻転生や魂に関する話を本やブログで読むと、人はやりたいことを決めて人として生まれてくるが、ほとんどの人は生まれた途端それを忘れてしまうとのことです。

 

忘れる理由については最近思い至ったのですが、やりたいことが言語ではなく抽象的なもの(仮に念と呼び、しかも異次元の存在とします(笑))で異次元(笑)にあるからだと思います。夢の内容をすぐ忘れてしまうように。

 

想像するに、時間のない異次元の世界に「念(あるいは魂?)」とでもいうようなものが漂っていて、それはいわゆる過去生のカルマであり、それが悪いものなら課題であり前世の心残りであり、それがこの世に生まれる動機であり(文章が長すぎる!ムキー)、この世に生まれると「意識」の働きによって現実化するようにと促します(あくまで推理ですので・・・汗汗)。

 

個体としての人間に発生する「意識」の役割というか目的は、もしかすると抽象物の現実化かもしれないと思います。

異次元への扉が松果体やチャクラです。

この世に生まれるということは=抽象物(念)を具体的なものにすること(最近思いついた推理です。汗汗」)

 

今まで体験したあのこともこのことも全ては、「念」を言語で表せる具体的な形(ストーリー)にしたもの。

出発点は異次元(笑)に漂う「念」で、「意識」によって自動的に具体的な現実を作る。

「悲しい念」ならば悲しいストーリーを。

 

 

 

 

今まで自分に起こった出来事が自分のスタート地点(現状であり課題)だと気づくまで、それは現実化され続けます。

やりたいことが今世の目的になるわけですが、課題がある場合、自分が変わらなくては達成不可能で、行動は変わるための手段です。

行動によって「満たされない念」を「満たされた念」に変える。

***するのが目標というのは「満たされた」の具体的な形です。

 

変わるには一定量の成功体験が必要なのだと思います。

だから、勇気を出した行動も逆効果になることがあります。

私の場合、どこへ言っても白い目で見られているという想いが気のせいとは思えなくて、少年期だけではなく成人してからも、つい最近までもトラウマが増え続けました。

 

少しぐらいの体験では変わらないのだと思います。

行動が報われ成功体験がいくつもできると、追い風状態となって、集合的無意識が働き出し、周りの人、遠くの人まで巻き込んだシンクロ現象が加速して変わるのだと思います。

 

次に現実化の原理についての推理です。

 

「意識」の働きにより、「自分はこういう人間だ」というアイデンティティを作ることによって、役に嵌まり込みます。

小説家がストーリーを決め、そのストーリーにはどんな人物設定がふさわしいか考えるように。

そうするように「念」が非言語で人間に命令します。

人間はそれを「念」からの命令とは気づきません(非言語なので)が、なんとなく意識せずにそうなる行動をします。

生まれ持った興味の方向や指向性がそれです。***に惹かれる、など。

 

命令だから、そこから外れるにはものすごく抵抗を感じます。

顕在意識で望むはずのない状態になることがあるのは、委ねてはいけないのに知らず知らず「集合的無意識」に委ねたまま操り人形のような状態だからです。

逆に、十分に情報を集めて思索した後、たっぷり寝て後は天に委ねることは、「集合的無意識」を有効活用する方法だと思います。

 

生まれた時から「念」は今世のスタート地点として自動的に現実化し続けると書きましたが、成功法則も同じ原理だと思います。

 

役柄に嵌まり込むと、ストーリーの流れが決定し、全体の雰囲気(ストーリーに抗い難い空気)が作られ、登場人物の配役が決まり、多方面からのお膳立てが整い、成功せざるを得なくなる。

あたかも、「成功」という名の見えない立体パズルに、ピースが嵌まり込むかのごとく。

 

ただ成功法則は、顕在意識で潜在意識に働きかけ、潜在意識の操り人形状態から脱するところに違いがあるのだと思います。

 

なお、「輪廻転生」とか「魂」とか「時間のない」とか「集合的無意識」と書いたので、拒絶反応を起こされる方もたくさんおられるかと思いますが、抽象的な概念を言語化するにあたって、今の私にしっくりくる(抽象的概念の言語化は喩えと言ってもいいものだと思います)というだけのことですので、別のものにも置き換えられると思っています。