熊と自尊心と力の均衡 | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

私は自然が好きで、しばしば山間部を歩くのですが、怖いのは熊に出くわすことです。

幸い私はまだ出くわしたことはないのですが、先日ネットで熊に出くわした経験談を2つ読みました。

 

逃げない、慌てない、目をそらさないが大原則だと思いますが、その方達はタバコを吸って余裕があるように見せかけたそうです。

熊との距離にもよるのでしょうが、去っていったそうです。

もう一つの例は、大きな熊で、突進して来たが途中で林の中へ方向転換して去ったそうです。

 

この方達のように悠然と対応できるか心許ない私は、勝手なもので突進する途中で林の中へ行くのなら、最初から林の中へ行って欲しいと思いました。

突進する途中で危険を察知して向きを変えた可能性もありますが、私は熊の自尊心からきた行動なのではないかと考えました。

人間側は、完全にはったりをかますしかないですが、熊側は、危険なものには近寄りたくないが、自尊心を満足させるため途中まで突進してきたのでしょうか?

 

よく考えてみると、そんな生やさしいものではないことに気づきました。

自然界では食うか食われるか、力が均衡していればどちらも食べられずにすみますが、そうでない場合はどちらかが食べられてしまいます。

そうならないためには、自分を強そうに見せる必要があります。

 

「食べられないために身を守る」、それが自尊心のルーツのような気がしてきました。

 

人間同士に当てはめて考えてみます。

自尊心が何かと被害妄想なくらいに顔を出すことがあります。

ある人の言葉や行動が、私に対する挑発ではないか、馬鹿にしているのではないか、と。

それでなくても、些細なことでカッとなることは、誰しも一度は経験していると思います。

 

人の無茶な言動をすべて受け入れていたら、自分はどんどん我慢しなければならなくなります。頭の中の領地がどんどん狭くなります。

相手は知らず知らずどんどん増長します。悪気はなくても無意識で、この人は反撃してこないから自分は安全だと、頭の中で領地を拡張します。

 

自尊心が健全に働いている時は、力が均衡していて、和の状態です。

人の言動に過敏になるのは、自尊心が脅かされる危機感からなのかもしれません。

 

以上を持ちまして本日の結論は、

「自尊心は、対等な関係、戦わずに済む関係、平和を作るためにある」

です。