意識が作る『物語』とその原動力 | 虚飾を捨てて心に翼を

虚飾を捨てて心に翼を

生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

最近無気力で体に力が入らない感覚があります。

(私はそれを新しい自分へのリセットと捉えています。)

 

力(体力も気力も)は意味のある何か(将来***になりたい、旅行に行きたい、このドラマを見たいetc)に向かって『今すぐ行動できる時』に湧いてくる様に思います。

確固とした自分の方向性を感じた時には、もっと強い力となって。

 

想うに力の源泉は、意識的であれ無意識的であれ、心の奥から湧き出る強い想いです。

 

人によって様々な想いがあるから、好きなものや嫌いなものも人それぞれ。

「自分」というものがあるから抵抗があることとないこと、抵抗の度合いも人それぞれ。

「自分」の想いがあるから選択肢は無限ではありません(前に無限だといってたじゃないかー!ムキー m(__)m)が、逆にそこに意味があるのだと思います。

 

強い恐怖などの邪魔するものがあったら、自由を奪われて閉じ込められた感じになります。

 

人それぞれに、自分にとっての大切な『物語』があり、それに沿って生きているような気がします。

 

 

私は、心の奥底に「虚無感」のような感覚があり、休日などにふと虚無感に襲われることがあります。

 

 

良きにつけ悪しきにつけ、私のエネルギーの源泉は、人と張り合う気持ちだったような気がします。

でも負けるというイメージも同時に持っているようなので、「恐怖」のほうが大きいのだと思います。

 

おそらく、「無意識」は、心の奥に持っている想い(問題)を、現実化させ続けます。

心の傷が、感情や感覚のセンサーを研ぎ澄まして(優先順位に則って取捨選択)、現実化するためのしくみを作るのだと思います。

研ぎ澄まされた感覚は、必要な情報のみキャッチし、想い(恐怖)をより強くするネットワークを構築します。

 

 

放っておくと「想い」は強くなる一方(心の傷も大きくなる一方)なので、それに気付いてあげるしかありません(理屈ではわかっても感覚的にわかるのは難しく、とてもショックなことです)。

 

気づくということは、今までの自分の『凝り固まった信念』みたいなものが無意味となり、空虚感にとらわれることなので、不安になり、また元に戻ろうとします。

 

 

だから、『希望という体感覚』と『確固とした意志』、『具体的なビジョン』が作れるかどうかにかかっているのだと思います。