人類の役割とは? | 虚飾を捨てて心に翼を

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生き辛さは成長の機会。思いやりの心と自分の本質を大切に。

 

人間:ゴキブリは私たちにとって害なので全滅させることに決定しました!

 

ゴキブリ:誰が納得するか!ムキー

 

地球:人間は害なので全滅させることに決定しました!

 

人間:タラタラ滝汗

 

 

 

私は神を信じません。

それは宗教というものに、傲慢な人間のために、都合よく作ったような作為的なものを感じるからです。

本質とは違う部分を人間が言語化しているような気もして、それに反発を感じているのかもしれません。

人類の歴史が、宗教に対して反発を感じさせるのかもしれません。

信仰心によって、強力な安心や強さが得られることは、認めますが、それは信じる力そのものの持つ属性だと思っています。

 

でも良いも悪いもない、大いなる力のようなものは信じます。

『ワンネス』『分けみたま』『宇宙の叡智』のような感じだと受け入れられます。

 

 

長い間引っかかっていたことがありました。

 

良い悪いなんて、しょせん人間が人間に都合よく作った基準。

正義というのは、自分が生きるために自分を正当化すること。

ゴキブリにはゴキブリの正義(種が存続すること)があります。

そもそも自然の摂理は、食物連鎖に見られるように、とても残酷で非情なものです。

そしてそれは全て、自分を存続させるためです。

人間は地球上で最も地球にとって悪だと思います。

 

その中で、正しいとか、善だとか、愛だとか、どうして胸を張って言えるのかと。

 

 

それでもこんな私でも、やはり希望は欲しい。

こうして生きているからには、単なるこじつけの正当化ではない人間の生きる意義が。

なぜなら、『全生物中最も地球に害があり、悪なのが人間』としか思えないから。

 

『人間には他の動物と違って心がある』とかも人間の奢りのような気がして受け入れられませんでした。

 

 

でも今こう思います。

自然界の法則は『種の保存のための経験則を積み重ねたもの』に従って行動するようになっています。

それは『本能』と呼ばれるもので、それに従えば、厳しい自然界の中で最も効率的に自分を守ることができます。

洗練された動きが特徴で、非情、そして愛を含んでいます。これらは、宇宙に元々あったもの(人間の立場から見て良いものと悪いものが混在、あるいは良いものと悪いものは単に一つのことの裏表)が、自然に洗練され、できたものです。

でも、それに縛られたまま、そこから逃れることはできません。たぶんそれが自然の摂理だからです。

 

しかし人間だけに意識(顕在意識)があるとすると、人間には選択肢が無限にあります。

 

 

無意識は便利です。

意識せずに無意識で楽に速く行う(これが動物の本能のようなもの)ことができます。

しかしその反面、無意識の操り人形になってしまう、というデメリットもあります。

その結果が、なんとなく流されて自分を見失ってしまったり、何度も同じ失敗を繰り返す、等です。

しかし、意識して行えば、違った習慣を作ることもできる。

現実を変えることができる。

常識を塗り替えることもできる。

 

 

すなわち人間は、自然の摂理を変える役割を持っている(というか変えることが可能)のではないかと思います。

例えば、自然の摂理として存在する自分を守るための『争い』、自分を脅かすものへの『憎しみ』を、同じく自然の摂理である『愛』『共感』「慈しみ』に転換する。

意識的な行動、言葉を通じて転換する。

 

転換は、各自の努力(それが悩みの存在意義)で、その成果を集合的無意識(ユングの言う全人類が深層意識で繋がっているというもの)に残すことで可能になるのだと思います。

実績がたまると、集合的無意識のプラスの影響力は強くなり、怒りや憎しみの捉え方も変わる。常識も変わる。

 

人間は一人では生きていけない生き物。

人との関係で幸福を感じる生き物。

だからこそ人間関係で悩む。

 

 

そもそも、憎しみや争いは、自分や周りの人を守りたいという愛の裏返し。

愛が先にあるのだと思います。

 

悩みは、種の保存という深い部分の本能=『怒り』を見なおせ、と言う宇宙からの問いかけなのではないかと思います。