わたしと娘は、異なる意見を議論するタイプなのに対して、息子は自分の意見を抑えてでもみんなが笑ってくれてる方がいい。
いつもの如く、わたしと娘がぶつかっていると、息子がADさんのように「喧嘩はやめて」と書いた紙を掲げてきました。
竹内まりやですか…
夏路_なつ@jiです。
教育業界管理職・小学生2児の母。
ウェルスダイナミクス、ウェルビーイングの学びを活かし、職場・家族のチーム力向上を実現。
そこでの気づきを発信していきます。
パラレルキャリアを目指して、講師資格取得に挑戦中!
やめて欲しいこと
よく見ると、ホッチキスで留めてあり、
いくつかのテンプレを用意していたようです。
「喧嘩はやめて」
「不機嫌になるのやめて」
「唐突にキレるのやめて!!!」
「喧嘩に他人を巻き込むのやめて!!!」
我が家の日常が丸見えの言葉の数々ですが…
息子が嫌がることは他にもあるのに、難しい漢字を調べてまで(!)訴えたいことは、議論の白熱よりも平和でいたいという主張なのだと思います。
ちなみに、娘ならなんと書くか聞いてみると
「うるさい」
「黙って」
「ちょっと考えさせて」
周りに振り回されず自分の声を聞きたい娘らしい言葉でした。
相手の立場に立つのと同じくらい大切なこと
言い方に気をつけますという反省はしつつ…
「相手の立場に立って考えよう」という言葉。
思いやりの心を育む上で大切なことだけれど、それだけでは分かり合えないのは、
同じ言葉でも人によって解釈が違うという、
違いを知ることにフォーカスしていないからだと思っています。
私と娘にとって「でも」は、こんな視点もあるんじゃない?と可能性を探究する接続詞だけど、
息子にとっては、否定の「でも」に聞こえるように。
わたしが大切にしていることと、
あなたが大切にしていることは違うのね。
わたし色のレンズの眼鏡をかけたまま、相手の立場に立っても、景色は変わっても見えている世界は変わらない。
相手は違う色のレンズを持っている。
温かみのある世界が、冷淡な世界に見えるくらいに、違うこともあるはず。
誰かの言葉や態度に心がざわつく時、
違いを知っていることが、ニュートラルな場所に引き戻してくれるきっかけになりますように。