冷徹で、情がないのだ?!(。>0<。)
と思うことなんて、例えば、昨日
例にあげた映画の感想、ドイツ人と日本人の
違いをあげても明白なのですが、
今日は、その
情のなさ。
冷たっ!!
と感じさせる部分をどうかわすか?
って部分を、語学学校でとりあげて話を
色々して参考になることもあったので、
メモ書きです。
注意1 日本人は、とりあえず、外国人が
少ない国なので、人と違う、ことに慣れていない。
注意2 キリスト教的な、自分のは神の子である、
という考え方で、批判をかわす。
この注意1、はよく言われます。
で、注意2。これが、アジア人が
ヨーロッパや白人、キリスト教圏に行く時、
気をつけておいたらいいと思うこと、重要ポイント。
何千年もの歴史をキリストの教えと共にすごしている
彼らのDNA的考え方。
自分の中に神がいて、
イエスが神の子であり、人間として産まれた、
この部分、かなり私には重要だと思われるのです。
先日、クラスについていけない韓国人が、
授業の途中、突然呼び出されて、もう一度
試験をさせられて、更にその後、
ひどいわ、この子、信じられない、
このクラスにはついていけないわね、
とみんなの前でどれだけ分かっていないかと
言われた後、去っていった事件が?あって。
こういうのって、日本人からしたら、
なんとなく、信じられない、光景だったりして。
みんなの前で、実力不足を指摘する必要ある!?
みたいな。恥かかせるようなことしなくてもいいじゃない!!
って私は思っちゃったのですが・。
でも、先生や試験担当の人は、からっとしていて、
「あなた達の時間をこれで引っ張る人が
いなくなったわね!」
とか。
怖かった。この授業の時の内容が、また運悪く、
批判をどうするか、どう思うか、という
テーマでディスカッションしていました。
私達も、いつも仲良くしていた
友人が突然取り締まりにあって引き抜かれていった、
みたいな雰囲気で、すっごいムードが暗くなってしまいました。
先生も、その日はすごく怖くて、
いつもにもまして、間違いにつっこみが厳しくて。
でも、最後に、先生が一言。
「批判って言うのは、その人の、
たった一部分だけ、表面にあらわれている
部分を指摘してるだけなの、その人自身の根っこの部分を
批判しているわけではないからね、
だから、私が厳しいのも、気にしないようにしてほしい。」
ということで終わりました。
なるほど・・。
この考え方、大切です。
こう考えると、例えば、
リストラにあっても、
試験に落ちても、
仕事がなくても、
恋愛でうまくいかなくても、
絶対、救いがあって、全否定的に
自分を責めることがなくなります。
神の子である、自分、の中心部分に
救いがあって、どんな批評を受けても、自信喪失
することなく、批判を受け止めてまたその部分を
よくしていけるんではないかと思います。
ドイツでは、人前で批評するって、本当に当たり前で、
例えば、卒業試験の後に、
「君は受かったけど、君は落ちたよ、」
とはっきり呼び出されて、
二人同時に直接告知を受けたりとか、
お前はナチスか!?
みたいな・・・・。私も大げさですけど、でも、
こういうことって日本ではありないし。
私には、最初、そういう
無神経なところが理解できなくて、
ドイツはあわないから、さっさと帰ろうと、いつも思っていました。
でも、多分、ドイツ人からしてみたら、
批評をするのは、
その人自身を批評してるんじゃなくて、
単に、試験の結果を告げてるだけで、それで
どうして落ち込む必要があるのか!?
みたいな、本当に、そこがどうして
冷たい!のポイントになるのかが、
分からないのだと思います・・。
例えば、リストラしている
上司がいたとして、リストラされた社員が、現実問題
見つめなければいけない問題が大きいとしても、
多分、絶対的自己否定、ってところまで落ち込まなくて、
ああそうか、この仕事、合わなかったんだな、
くらいですんで、次の仕事を探しなさいね、
って上司と部下が本当にさらーーーっと
話し合ってる様子が目に浮かんだりしてしまった・・。
だから、ヨーロッパにくる時は、
こういうことがあって、批評を受けることがあっても、絶対、落ち込まないよう、
自分を否定しているのではない、ということを知って、
気をつけるべきというメモ書きでした。
ヨーロッパという国は、信じられないほど、
日本とは違って、本当に、違う民族と違う国籍と
違う歴史を持つ人たちであふれています。
なので、
「どうしてそうなのか!?」
という質問には、とりあえず、
しっかり具体的、
論理的に、
しっかり返事をできるようにしておくと、ドイツ人は、
へえそうだったんだ、と納得してくれます。
これって、裏を返すと便利でもあります。
多少の違いで色々言われちゃう
日本と違って、違うのが当たり前なので、
とにかく、しっかり自分のことを説明すること。
日本語で、
「どうしてそうなの?」
と聞かれると、なんだか悪いことをしたような気になりますが、
こっちで聞かれる
「どうしてそうなのか?(分からないのか?)(そんなについていけないのか)
(そんなに話せないのか)」
などの、どうして~~?の疑問文は、本当に、
どうしてそうなの?(?_?)?
という、
本当に分からない、理由を教えて?
みたいな意味合いです。
なので、日本語で感じさせる意味合いとと、
勘違いしないように
しないといけません。
あわないからばっさり興味をもたれず
切り捨てられる、ってことも、すっごくふつーーーーーーに
あります。でも、それは、単に、テーマにしている
ある一部分が、(例えば仕事の内容と、その人の仕事に
対する経験と知識とか、試験の内容と、知識の量とか)
合わないというだけであって、その人自身を全否定しているわけではない!
ということを分かれば、どーしてこんなに
競争競争の社会なのか?っていう問題も、
ヨーロッパ人や、ヨーロッパ社会的に、変に競争を意識せず、
でも競争社会の中でも、競争脱落者がだめ、みたいな
考えがなく、みんなが幸せに渡っていけるのではないか、
と思われたりしたのでした。
日本って、客観的に自国を見ることがなかなか
できない国だと思うのですが、それでも世界の中では先進国で、
外国の影響も避けては通れなくて、
外国は言いたい放題言ってくるように思えたり
することもあると思います。
そういう時には、こういう考え方の違いを知って、
自分を守る術を知ってほしいなあと思ったのでした。
例えば、外国との関わりだけじゃなくって、
批判する時は、こういうスタンスでできると、
お互い足を引っ張り合うんじゃなくて、
お互い向上していける社会や地域になっていくと思ったりしたのでした。
ドイツに住む私は、ドイツのダイレクトな批評が
嫌いでしたが、これで、折り合いついたかな?
語学学校は、語学だけでなく、本当に色々と為になることを、
教えてもらってます。
先生ありがとっ
。