みなさんこんにちは!
久保佑輔(くぼ ゆうすけ)です。
年の瀬に悲しいニュースが世界中に周りました。
通算1281ゴールの偉大な記録
出典元:iStock
サッカーの王様と称されるブラジルのペレ氏が12月29日に82歳で亡くなられました。
「王様」「サッカー界史上最高の選手」などと称されたスーパースターが亡くなり世界中で追悼の言葉が寄せられました。
今回はペレ氏の輝かしい経歴をご紹介していきます。
1940年に生まれたペレはサッカー選手の父の影響で小さいころからサッカーがとても身近な環境で育ちます。
貧困層で街で育ったペレは靴磨きなどの仕事をしながら家族を支えながらサッカーの技術も磨いていきます。
9歳の時に母国ブラジルで開催された1950年FIFAワールドカップでは優勝候補筆頭として国中で期待されていており、迎えた事実上の決勝戦である「ブラジル」対「ウルグアイ」でブラジルは逆転負けを喫し優勝を逃します。
失神する人がいるなど「マラカナンの悲劇」と言われるこのショッキングな敗北で悲しみに暮れる中、ペレ少年は次のように家族に述べたと言われています。
「悲しまないで。いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させてあげるから」
この言葉を胸に成長していったペレは1956年にトップチームでのデビューを飾ると1957年にはリーグ戦にて得点王に輝き早くも頭角を現します。
そんな活躍で1957年に16歳9か月でブラジル代表のデビューを飾り、翌年の1958年FIFAワールドカップスウェーデン大会に出場します。
この大会でペレは6得点を挙げ17歳にして悲願のブラジルのワールドカップ初優勝に導きます。
世界的に有名になったペレは、対戦相手が止めるために悪質なタックルなどをしてくるにも関わらず変わらず活躍をし続け、次大会の1962年FIFAワールドカップチリ大会では負傷で2試合の出場だったがブラジルは2連覇を達成。
1966年イングランド大会でのグループリーグ敗退に終わったものの、1970年メキシコ大会では決勝戦で得点を挙げ優勝を果たします。
4大会のワールドカップで通算14試合12得点を記録したペレは1930年から始まったワールドカップの長い歴史において3回の優勝経験がある唯一の選手としてなります。
1971年にブラジル代表を引退し、1977年に現役を引退しますがその生涯成績は1363試合で1281得点という大記録を持ちます。
貧困や人種差別などに才能と努力で世界一に輝き、世界中の同じように苦しむ人達に不滅の大記録で希望を与えたサッカーの王様は、これからも私たちに伝説として残っていくのだろうなと感じました。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
おわり
久保佑輔
参考文献◆