谷村新司さんが旅立たれました・・。
戒名は「天昴院音薫法楽日新居士」、代表曲・昴になってしまわれました。
私の人生に影響を受けた谷村新司さん、悲報に接し喪失感に苛まれています。
谷村新司さんを知ったのは、アリスがヒットし始めた「冬の稲妻」の頃からで、彼の生きざまや人生観を知り共感を覚えました。
当時既にリリース済みのソロアルバム「蜩」、「海猫」「ひき潮」、「黒い鷲」を後追いで聴き彼の楽曲の意味深さに惹かれていった。 アリスとは全く違うサウンドだ。
これらのアルバムには死生観が当時30歳代だった彼に存在し、詩に込められていたと思う。
「海猫」 その時が来るまで 私は生きていたい
「この空の下」 喜びや悲しみに涙流し傷ついて それでも人は生きてゆけるのか
「口笛が聞こえる町」ついてなかった生きることに努力はいつもしていたが
「冬の嵐」 The end of my life・・
「黒い鷲」太陽にとどくほど高く飛べるだろうか
「1977年 冬」 夢だけはなくさないで、生きてゆけなくなる
「冬の嵐」は当時就職試験に失敗した自分をこの曲で随分と慰めてもらった。
「口笛が聞こえる町」の一節、「窓にうつる自分の顔は若くはなかった」も年を重ねていく哀れさを感じる。
社会人となってからも谷村新司さんの曲に助けられた自分がいた。
「凱旋」それでもお前を駆り立てるものはなんだ
「幻冬期-花散る日」 出合える人の数よりもなお別れる人の数が増えてきた
「昴」我も行く心の命ずるままに、我も行く さらば昴よ
「英雄」迫りくるとき決断を急かせる
「花束ー最後の汽笛」声にはならないけどかすかに唇がうごいた、ごくろうさま
谷村新司さんは常々自分をあえて厳しい道にすすんでいくという生き様に感化され、「昴」を聴き転職する道を選んだ自分と重ね合わせていた。
最近は「花束ー最後の汽笛」のような定年近い自分と重ねている。
そして父と自分、自分と息子の関係性を描いた曲もあった。
「残照」体全部が哀しくて目頭が熱くなり思わずあなたを追い越した
見えていますかこれがあなたの夢を削った、夢をこわした背中です
「マイ・ボーイ」いつの日かこの手を離れて大空に逃げてゆく時は黙っておゆき
「父への遺言」 夏が来る度小さくなったあなたの後ろ姿は元気でしょうか
今になって亡くなった父親といろいろな会話をしておけばよかったと後悔し、「残照」を聴くたびに涙が出てしまう。 そして自分が父となり「父への遺言」を聴き切さなを感じ、父親の葬儀にこの曲を流して別れた。
谷村新司さんの曲に助けられた自分、過去の自分のブログから拾ってみた。
2012年に神戸ワールド記念ホールで行われた40周年記念コンサート。
そして、2015年出身地・河内長野市ラブリーホールで行われたコンサート。
谷村新司コンサートツアー2015 | JF3QNDのブログ (ameblo.jp)
谷村新司さん著・不思議すぎる話、さらば昴の意味を知った
谷村新司の不思議すぎる話 | JF3QNDのブログ (ameblo.jp)
アルバム・アリスXI 手渡し会に参加、谷村新司さんと初めて握手
アリスXI(イレブン)手渡し会 | JF3QNDのブログ (ameblo.jp)
2019年10月19日・フェニーチェ堺で開催された、自分にとって最後の3人アリスのコンサート
自分の人生の様々な年代、シーンに谷村新司さんがいました。
そして随分と勇気づけられ、助けられました。
これからも自分の心の中にはあなたがいます。
谷村新司さん、
本当にありがとうございました。