リブログ記事ラテン語の世界史
ラテン語の世界史村上寛 著ちくま新書 18602025年6月10日 第1刷発行第1章 現代のラテン語日本の国立大学では86校中28校というおよそ1/3の大学で、初級文法相当のラテン語の講座が開かれています(2022年度)第2章 ラテン語の起源ギリシャ語の模倣や後追いではなく、ラテン語を散文として完成させたのがキケロであるなら、数ある文学ジャンルの中で最も高貴であるとされるエポスをラテン語において完成させたのがウェルギリウス(前70-前19)です。多くのラテン語文法書は、文字と発音の次に動詞を扱っています。英語の I、you、 he のような人称代名詞は後回しです。これはラテン語では特に強調する場合を除いて、主語となる人称代名詞を省略するという習慣を踏まえたものです。カエサルの言葉として有名な「veni,vidi,vici」ならこれだけで「私は来た、私は見た、私は勝った」という意味になります。動詞は語尾の形が様々に活用・変化することによって、人称・数・時制・相・法、全ての情報を表します。第3章 古代末期までのラテン語3世紀から次の4世紀にかけて、ラテン語においてはいよいよ文学のことばと話しことばとの乖離が決定的なものとなっていきます。ラテン語は名詞もまた変化します。ラテン語は曲用語と呼ばれる言語の1つで、語順ではなく、格変化語尾の形によって、その単語が主語なのか目的語なのかを表します。ラテン語には冠詞がありません。そのため、例えば「少女」なら「少女一般」と「ある少女」を形の上では区別できません。第4章 ラテン語とキリスト教3世紀にローマの教会において、ラテン語が優勢になり、次第にギリシャ語が使われなくなっていく。墓碑銘に「最後の古代ローマ人」と書かれ、「最初の中世人」とも評される教皇グレゴリウス1世(在位590-604)ともなると、もはやギリシャ語は積極的に学ばれず、ラテン語についても世俗的修辞学の華美な文体は称揚されるどころか軽蔑されるに到ります。第5章 初期中世から盛期中世のラテン語中世は話しことばとしてのラテン語と書きことばとしてのラテン語が決定的に分離し、話しことばとしてのラテン語がロマンス語へと変化した時代。ゴート族やフランク族といった ゲルマン諸部族が文字文書について母語を用いず、ラテン語を用いるようになった理由・彼らが豊穣なローマ文化に包摂され、同化していたこと・西方ローマ教会の公用語がラテン語だった6世紀の終わりまで、ゲルマン人がブリトン人を西方のウェールズへと追いやる。それに伴い、キリスト教徒もウェールズやアイランドに向かい、特にアイルランドではラテン語によるキリスト教社会が根付き、独自の発展を遂げる。ブリタニアやアイルランドやスコットランドでは、イタリアやガリアのように話しことばと書きことばに連続性があり、次第にそれが失われていたというわけではなく、初めからラテン語は学ばなければならない外国語であり、民衆のことばと教会(修道士)のことばは完全に別物だったわけです。このような事情が古典ラテン語の規範を維持する上で有利に働いたことは言うまでもありません。メロヴィング朝の諸王が単に「フランク人の王」であり、世俗的な存在であったのに対して、カロリング朝の王は「神の恩寵によるフランク人たちの王」を名乗り、西ローマ帝国の後継復興者として、その国教であったローマ・カトリック教会と密接な関係を築いていきます。単語と単語の間に空白を置く、いわゆる分かち書きのスタイルも、7世紀から8世紀頃のアングロ・サクソンの写字生たちが始めた習慣でした。第6章 学校・教育のラテン語聖母マリアの受胎告知を表した図像でも、東方及び古代末期までは機織りや糸紡ぎをしているところに天使がやってくるという構図が多いのですが、カロリング期以降の西方では読書しているところ(特にイエスの降誕を予言してると解釈されたイザヤ書)に天使がやってくるという構図が増え始め、盛期中世後は定番となっています。「ストラスブールの宣誓」で初めて文字化されたフランス語は、その後およそ200年ほど、ほとんど文字として記されることはありませんでした。11世紀半ばから特に12世紀以降にフランス語が文字として用いられる事例が一気に増大しました。その理由として・ラテン語は基本的には聖なることばであり、格式あることばであったために、花開きつつあった世俗文化を表現するのにふさわしくなかった。・貴族層の需要に伴う俗語の地位向上とその普及の進展第7章 イタリア・ルネサンスから現代へ西方のロマンス諸語の中でラテン語から最も隔たった言語がフランス語であり、直系子孫と言える言語がイタリア語です。ペトラルカ及びボッカッチョのトスカーナ語を規範とすべしという主張が勝利を収めましたが、この2人がラテン語著作家でもあり、ラテン語の“復興”にも極めて重要な貢献をしていることを忘れるわけにはいきません。人文主義におけるラテン語(とギリシャ語)讃美の風潮は、15世紀後半には陰りを見せることになります。カスティーリャ語(スペイン語)とラテン語の関係で重要なのが、アラビア語文献の翻訳事業です。アラビア語をまずはカスティーリャ語に翻訳し、それを学識者が書物にふさわしいラテン語に整えたのでした。