リブログ記事宮本常一 民俗学を超えて
宮本常一 民俗学を超えて木村哲也 著岩波新書(新赤版)20962026年1月20日 第1刷発行本書では民俗学関係者だけではなく、民俗学以外の分野で、宮本常一から何かを受け継ぎ、自分の仕事の中に発展させた多くの人物を取り上げています。プロローグ 故郷・周防大島から日本の交通手段というのは、陸上交通にとって代わられるまでは、船がその中心であり、瀬戸内海は海上移動の大動脈だった。その最も人通りの激しい四国と本州と九州の三叉路のど真ん中にあるのが、宮本の故郷の周防大島であった。特に明治以降の近代化の中で、各地で建設需要が増加すると、大工や石工といった経験豊富な地方の職人が重宝された。周防大島出身の職人たちは、こうしたニーズに応える形で多くの現場で活躍したのである。明治期に入ると海外移民も増え、1885年の第1回官約移民には渡航者944人のうち周防大島から165人が参加したという。官約移民とは、製糖業が勃興し労働力が不足していたハワイ王国と、松方デフレによる農民の困窮問題を解決する必要に迫られていた日本政府が条約を締結し、日本政府の斡旋により労働者が3年間の契約でハワイに渡航して主にサトウキビ畑で労働に従事する形態であった。宮本が民間伝承の研究に興味を持つきっかけは柳田國男が1928年に創刊した雑誌『旅と伝説』であった。やがて結核を患い、療養のために帰郷、病床でノートに周防大島の昔話を書きため、それを柳田に送ったのが、両者の出会いであった。柳田は一見してそれを貴重な民俗伝承と見抜き『旅と伝説』に投稿するよう勧める。 第一章 明治維新を聞き書きする――鶴見俊輔と『日本の百年』宮本常一『村里を行く』の奇兵隊隊士矢田部宗吉からの聞き書き「吉田松陰が気ちがいのような人物で、生徒の間に議論がなかなか止まないと、「斬れ」と叫んで、誰かが白刃を柱に斬りつけて議論をおさめたと、いう思い出」 柳田國男には聞き書きと呼べる著作は『後狩詞記』と『遠野物語』以外にほとんどないのである。第二章 世間師の発見――安丸良夫と民衆思想史 第三章 非農業民への視座――網野善彦による歴史の読み直し宮本の『越前石徹白民俗誌』 より「私がこの地(石徹白[いとしろ。現岐阜県郡上市])に興味を覚えたのは、徳川時代にも無主無従と言われていわゆる大名領となったことがほとんどなく、村の組織なども中世的なものが多分に見られ、中世社会の研究には一つのよい手掛かりになる点である」日本にはこのような 山村がいくつか残っている。(奈良県十津川、宮崎県米良、椎葉など)これらの土地はみな、稲作には不向きでコメがとれなかった。幕藩体制の支配原理である石高制になじまなかった土地である。結果、中世社会の影響が残ることとなった。宮本の東日本・西日本論宮本がこのような指摘をなし得た背景には、西日本にある山口県周防大島に生まれ、大阪で暮らしたのち、東日本の東京三田、ないし晩年移り住んだ府中市での暮らしを知っていたことが挙げられるだろう。宮本の日記を読むと、東京都周防大島の二拠点から日本各地に赴き、また戻ってくるという特徴が見られる。ちなみに柳田國男も折口信夫も、西で生まれて東に住んだことでは共通している。民俗学は比較の学問であるから、西と東の双方を知っていることが、学問の形成に影響を与えたことだろう。第四章 離島から日本を見る――谷川雁のコミューン構想と島尾敏雄の「ヤポネシア」論宮本がこれほど執拗に「村の寄りあい」にこだわった理由は明白だ。戦後間もなく流行した学問が、全て村の伝統を封建遺制と片付け、アメリカからもたらされた民主主義による改革の徹底を叫ぶ中にあって、村の中に残る日本の民主的伝統に宮本は驚き、その事実を示したかったに違いない。しかも民主主義という言葉は一つも使わずにそれをやってのけているのだ。 第五章 「土佐源氏」をめぐって――石牟礼道子と詩的インスピレーション「土佐源氏」の主人公であるこの元馬喰の語りは、橋浦と同じ土地に同じ民俗学徒として調査に入った宮本にとって、大きな驚きだったのではないか。しかし宮本には柳田によって民俗学の魅力に引き込まれたという学恩がある。つとに指摘されているように、柳田民俗学は、漂泊して生きた人々、差別された人々、性をめぐる民俗、といったものを切り捨て、稲作定住民の祖先信仰に焦点を絞っていくことで確立した。宮本が聞いた話は当時あからさまに発表できるような内容ではなかった。[…]『忘れられた日本人』とりわけ「土佐源氏」は、初めから既存の民俗学への批判を意図して書かれたものであったのである。『遠野物語』を読んだ宮本「私自身が一番びっくりしたことは、実はそこに出てくる話は、内容は多少違いますけれども、我々子供の時にしょっちゅう聞いておった話なんですね」遠野という固有な地域の話でありながら、日本国民全体の話として読めるよう、柳田によって文章化・作品化されたことが『遠野物語』の密かな仕掛けであったと言える。宮本 が柳田國男や渋沢敬三から深い影響を受けたことはこれまでつとに知られてきたが、折口信夫の影響は不思議なことに今までほとんど指摘された形跡がない。折口の『古代研究』も、宮本の「土佐源氏」も、共に民俗学の代表作と言われ、誰もが目を通していながら、その共通点を指摘するものはこれまで皆無だったのである。宮本の「土佐源氏」は、折口ゆずりの「詩的インスピレーション」に発想を得ていたのではないだろうか。第六章 「される側」からのルポルタージュ――本多勝一の方法森崎和江の宮本常一批判・女性の描き方・都会から地方にやってきて調査する知識人としての特権性に無自覚な点結果的に森崎への批判へのアンサーとして受け取れるのが、1972年に書かれた「調査地被害」 第七章 人の移動と文化の伝播――司馬遼太郎と『街道をゆく』宮本の『忘れられた日本人』を「私の三冊」に挙げた司馬遼太郎 エピローグ 「日本」をめぐって――鶴見良行のアジア学