リブログ記事黒海の歴史(先史~紀元500年)
黒海の歴史ユーラシア地政学の要諦における文明世界チャールズ・キング 著前田弘毅 監訳明石書店 発行2017年7月31日 初版第2刷発行先史時代から1990年まで、黒海が周辺の人々や国家の歴史、文化、政治においてどのような役割を果たしてきたかを考察しています。名称について黒海はなぜ「黒」なのだろうか。知られてる最古のギリシャ名では「暗いないし薄暗い海」という意味だった。・最古のイラン・ギリシャ名が復活したという見方・オスマン語のカラに「黒い」という意味だけでなく「偉大な」という意味もあり、イタリア人によって使用されいた「偉大なる海」の呼び名が、そのままオスマン語に翻案された。・ユーラシアのステップ住民の持っていた色彩地理学とも言うべき伝統に影響する。黒は北で、オスマンが北方の海を黒で表現したことによる。第1章 先史時代の黒海幾千年にもわたって、黒海は2つのことで知られてきた。荒波とその誕生にまつわる神話である。今日、黒海の面積は42万3000平方キロであり、およそ 北米の五大湖の2倍の広さである。[琵琶湖のおよそ630倍]。隣接するカスピ海に比べると大きさでは少し上回るだけだが、深さは約2倍で、2000mに達する。西端に位置するブルガリアのブルガス港から東端のグルジア・バトゥミ港まで1174kmの距離がある一方、クリミア半島の先端からトルコのイネボル港まで南北間は260kmの距離しかない。魚類は黒海の特殊な生態環境にもよく適応し、上層の水域で繁殖している。一方不毛な海底には古代船が手つかずのまま残っていた。第2章 ギリシア・ローマと黒海客あしらいのよい海 紀元前700年〜紀元500年紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスについて、彼が実際に黒海地方を訪れたかどうかについて確証はなく、紀元前4世紀に黒海南岸を行軍したクセノフォンは現地の記録を残したが、独善的な記述が目立つ。その中では紀元前1世紀頃に活躍した 地理学者ストラボンは黒海沿岸から遠くない地域(現トルコ・アマスィア)で生まれたため、より信頼できる情報を伝えていると考えられる。ギリシャ人が黒海での活動を始めたのは紀元前1千年紀の前半あるいはさらに深い時期にまで遡る。プラトンにとって、世界とは「ヘラクレスの柱[ジブラルタル海峡]」からファシス(リオニ)川まで広がるものであった。すなわち地中海の西端から黒海の東端までということになる。ギリシャ人を黒海進出に駈りたてたのは征服欲や冒険心ではなく、その商人魂であった。黒海沿岸の植民市は、順調に成長し、古代世界の経済において重要な位置を占めるようになった。 アゾフ海からエーゲ海のロドス島まで、風向きが良ければ9日間で航行することが可能であり、船体いっぱいに積み込まれた品物は各地で大いに歓迎された。アナカルシスこそ、ヘロドトスがスキティア[スキタイ人の土地]出身の人間の中で唯一 詳細を記す価値のある男だと評価した人物である。そしてこの男こそ、めぐりめぐって西洋的な文明を発明したとみなすこともできるのである。黒海におけるギリシャ人の成功のための必要不可欠な条件・イオニアとギリシャ本土という(とりわけ穀物にとっての)保証された輸出市場の存在・内陸の非ギリシャ人との良好な関係オウィディウスは紀元8年にアウグストゥス帝によって西岸のトミスに追放されたが、植民市の衰退期における黒海沿岸の最も辛辣な生の記録を綴っている。かつてギリシャ人たちが黒海で経験したものは、植民市という名の陸の孤島であり、それはよそ者を寄せ付けない後背地や、荒れるに任せる海に囲まれていた。しかしローマ人はさらなる大望を抱いていた。彼らは黒海を帝国の秩序の中に組み込み、魚介類、穀物、貴金属、そして帝国の権力にとってとりわけ重要であった、海とその沿岸地域が供給する戦士の力の活用を目論んでいた。しかしミトリダテスの事例が示すように、黒海を征服することは決して容易なことではなかった。かつて父王を裏切ったファルナケスがローマとの同盟を破棄し、クリミア から黒海を渡って兵をあげたのである。父の帝国の最興を目論んだファルナケスであったが、カエサル率いる遠征軍に一蹴されてしまった。この遠征はカエサルによる「来た、見た、勝った(“Veni,vidi,vici”)」の言葉でもよく知られている。もっとも、この言葉は、ローマと黒海の沿岸及び後背地の諸民族との複雑な関係を正しく伝えていない。実際にはミトリダテスもファルナケスも蛮族の力を結集して、強力な連合を形成し、その勢力はあと少しでローマにも拮抗しうるほどだった。ダキア人の敗北後、彼らの地域は属州ダキア、あるいは征服者にちなんでダキア・トラヤナ[トラヤヌスのダキア]と呼ばれるようになったが、その領域は今日のルーマニアの大部分に相当する。ローマ軍団がこの地に駐屯し、植民者たちが鉱山やドナウ平原の肥沃な土地で働くために帝国各地から連れてこられた。