そういえば、昔「職業選択の自由~」とか歌ってる歌があったなあ、って年がバレるけど(笑)

今週のニューズウィーク日本語版 を読んでいたら、「アートで抵抗し続けろ!」という記事が載っていました。
表現の自由のないミャンマーでの反体制アートについての記事です。
絵を展示する際には検閲を受ける必要がある、ミュージシャンは歌詞の意味を説明しないと録音できない、コンサートには警官が立ち会う・・・。

日本に住んでいると信じられないような話しですけど、それが現実だっていう国もあるわけですよね。
こうやってブログなんてもので好き勝手にものを書けるのは日本には表現の自由があるからだけど、それを勝ち取った、っていう記憶はないからそれが本当に大切なものなんだ、っていう意識は薄いかも。
なくなったらどうなるのか、肌で知っているのとそうでないのとでは大きな違いがあるんだろうな。とはいえ、表現の自由がなくなって欲しくはないけどね。

当たり前のように存在するもののありがたさとか大事にしたいなあ。忘れがちだけどね。
この本は親を自殺でなくした方(自死遺児)の手記をまとめた本になっています。

この本を読んだきっかけはヤングサンデー連載の漫画絶望に効くクスリなんですが、それ以前にもインターネットニュース番組マル激トークオンディマンド自殺対策支援NPOライフリンクの方が出演していたのを見ていたりで関心はあったんです。

やっぱり毎年3万人以上が自殺で亡くなる国に住んでいるって事もありますし、SEという仕事柄、鬱病になってしまう方も見ています。そういう意味で凄くリアルに感じられるんですよね。

自殺の理由もいろいろなんですが、借金を抱えてお金に困って保険金のために自殺するっていうのはやっぱり凄く切ないし、お金さえあれば確実に助かるはずだっていうのが・・・。

今の自分に出来るのはまずそういう事があるんだって事を知ること。そう思って本を読みました。その先自分に何か出来る事があるのか。まだまだ考えないといけないですね。
小学生の頃、女子だけ集められて話しを聞くっていうイベントがありましたけど、僕は男の子なので、そのときどんな話しがあったのか、わからないんですよね。
そんな事を思い出したりしました(笑)

この映画はルーマニアの社会主義時代を舞台に、妊娠してしまったルームメイトの中絶手術のために奔走する主人公を描いた作品です。当時のルーマニアでは労働力確保のために、出産が奨励されていて、中絶は違法だったんですね。
自分の知らない国、知らない時代を見せてくれるのは映画ならではの楽しみなんですが、この映画はとにかく画面が暗く重い雰囲気に溢れてます。活気がないというか閉塞感に満ちた感じ。
それがこの時代のこの国の空気だったんでしょうか。

ちょっと前に観た「君の涙ドナウに流れ」でも思ったんですが、現代の日本に住んでいて、こうやってブログに好き勝手書いたり出来る環境に身を置いていると、自由が空気のように当たり前にあってありがたみを感じないんですが、それが当たり前じゃない国、時代もあるんだってことですよね。

仮に今の日本でなんらかの事情によって自由が奪われたとして、それに対して戦う人間はいるんでしょうか?自分は・・・どうなんだろう?
そもそもどうやって戦うのか?ひょっとしたら自由がない事に慣れちゃって気にしなかったりするんじゃないだろうか?なんて思っちゃったり。

そうそう、映画に出てくる妊娠しちゃうルームメイトは結構イヤなやつ、っていうかなんだか無責任な感じでなんで主人公はこんな娘のためにがんばるんだろう?って思うんですが、それは女性だったらよくわかるのかな?