昼頃に鹿児島市内を出まして,一路宮崎に向かいました.ひたすらR10を進んだのですが,熊本から鹿児島と比べると随分を短くて安心しました.イメージと距離感って結構ずれるもんなんですね.
この日は宮崎市で宿泊予定だったので,都城のネタを撮影するために,早めに鹿児島を切り上げたんです.まあ鹿児島も1回来ていますし,行くなら指宿とか行きたかったですが,流石に遠いのでやめました.ちょいちょい未練を残すとその土地に行く口実ができるので,割りとオススメしています(良い子はまねしちゃいけません)
今回は基本的に電材ネタです.九州の本領発揮です.まずは都城の初期電材セパです.
京三銘板で,銘板自体は京三のもの,打刻は製造番号は京三,形式と製造年月は電材のもののようです(大阪工場出荷分のZ銘板).
GYRともに同じパーツが使用されていまして,後の電材セパのYの部分を3つ並べた状態です.灯火の数に合わせて組み合わせて,なんでも作れるので当時としては斬新だったのでしょうね.コストはどうだったのでしょうかね(アルミであったという点,各パーツを組み合わせる手間など).
両面設置の様子
この交差点には,一灯も設置されていました.一灯だと初期のものかどうかはわかりませんね.
ひとつ気になるのは,昭和61年製はφ250のプロトタイプに対して,この昭和62年製のこれはφ300で,φ250が見かけられず,昭和63年頃までφ250が登場していなかったのかどうかというところです.一体どれだけプロトタイプが設置されていたのか,□3連タイプもいつまで設置されていたのか,今となってはわかりませんね.
この日はこれにて撮影を終了しまして,宮崎市内へ.翌日は朝から折りたたみ自転車で,軽く探索しました.
まずは,宮崎駅周辺から.ホテルから宮崎駅に行くまでに,たくさんのオリジナルデザインが設置されていますし,西向きはダークアイレンズだったり,ほかにもレモンレンズや通常のブツブツレンズもあるのでバリエーション豊かで楽しかったです.
電球→LEDに装換された六角歩灯です.この通りは,車灯も含めて元電球灯器がそのままLED灯器に生まれ変わったようです.ここはオリジナルデザインでもないのですが,財政難でこういう形を取ったのでしょうかね…?
車灯の電球→LED装換パタンです.電材セパLEDは初期ユニットばかりなので,やはり違和感があります.ほかにも京三銘板の電材セパで同様のケースがありました.
矢印灯の位置が鉄板灯器のような電材セパを見かけたので,銘板を見てみると昭和世代の京三銘板でした.銘板は京三のもので,製造番号は京三,製造年月は電材の打刻と思われます.矢印灯の銘板に製造年月の打刻がありませんね…
この頃にはGRは丸みのあるブロックになっていますので,□3連がいかに短い期間だけ設置されていたのかが分かります.京三自体も銘板のフォーマットがこの頃ガラッと変わっています.
宇宙人予告灯です.今回の宮崎探索の目玉と言いたいところですが,目玉は次のネタになってしまいます…(笑) 当然の如く,銘板がなく詳しい製造時期はわかりませんが,直線アームの角度が宇宙人世代特有のものですので,昭和53年以降あたりといったところでしょうか.
こちらが今回の探索の目玉,FRP一灯(通称:メガシャキガム)です.この筐体自体はほぼ現存していませんし,ここのはすでに更新されています.立石銘板というのもポイントが高く,また昭和52年製なんですが,φ300にマスクを付けたなんちゃってφ250になっています.樹脂三位灯であれば,もうφ250のレンズ蓋が登場しているはずなのですが,これには装着できなかったのでしょうか…?
これもFRP一灯と同じ交差点にあるものです.アームのみ流用しているようでなんちゃって2本アームです.FRP一灯の製造時期と一致するアームなので,同じく立石銘板の樹脂灯器が設置されていたものと思われます.
ここからは,宮崎のオリジナルデザインをいくつか紹介します.
完全な筒,そして網まで取り付けられています.鉄板灯器ではよくある光景ですが,こういうデザインで見ると,面白いです.
西日対策が盛んだったようで,先述したとおりダークアイレンズが装着されたものもあります.西向きのみ設置されています.
こちらはレモンレンズを装着しているタイプですが,庇取付金具が無塗装なため,やたらとレンズ縁が強調されています.これでよかったのか…
電球→LED装換パタンです.こちらは京三や日信で使われている日亜化学工業のユニットが使われています.ただ,上下逆さまになっているのはなぜなんでしょうか…(島根でも同様のケースあり)
これも電球→LED装換パタンですが,三協高分子のユニットが使われています.どういう入札等を経て工事が行われたのか,時期もわかりませんが,2004年頃であれば京三の灯器に三協ユニットが採用されているのでおかしくないのかなと思ったりもします.(結局謎のまま)
こちらは矢印の増設に増設を重ねたものになっています.デザイン上,矢印を3つしたに並べることはできず,かといって親子設置にもできないため,このようなことになったのでしょう.薄型とはいえ,そのぶら下げ方で大丈夫なんでしょうか…
ここからは宮崎市内を出まして,延岡から高千穂,阿蘇に向かいましたので,延岡までに撮影したネタを紹介します.
先述した京三銘板の□3連タイプと同じタイプです.製造年月も同じですし仕様は全く変わらないと思います.銘板も日信のものですが,こちらは全ての打刻が見慣れないタイプなので,どこで捺されたものか判断できませんでした.形式がED1045A-Cというのも気になります.製造番号はYQ0004ですが,日信銘板の電材OEMで製造番号はこの先Q始まりになるので,最初期のみYQだったのでしょう.
両面設置の様子
次は,小糸の□3連です.銘板は見にくいですが,昭和61年12月製造から昭和62年8月製造に打ち直しがされています.元から電材用に用意されていたのかもしれません.こちらも小糸の銘板そのもので,全ての打刻が小糸のものと思われます.しかし,電材セパはアルミ製であるため,1H33A(Aはアルミ,Sはスチール)でないといけないはずなのですが…
同じ交差点にて.人形が崩壊しています…レンズがどういう作りになっているのか知らないので,なんとも言えませんが,青フィルムか何かが剥がれてしまったのではないかと思います.
延岡市内にて.車内から撮影したものなのですが,灯器が大きく凹んでいます.台風の影響かとは思いますが,この状態で持つのかどうか…
これは,ある会社の専用線の踏切信号で,数か所設置されているそうです.元は電球灯器だったものを星和ユニットに装換したようです.こういうケースにしては珍しく,いつLED化されたのかシールが貼られています.小糸の銘板の製造番号も気になりますね.
宮崎探索もこれで以上です.前後編にしても良かったのですが,切れ目をうまく見つけられなかったので,長々と続けました(笑)
四国・九州遠征のブログも長く書いてきましたが,それも次回でおしまいです.次回は信号ネタは少なめです.それでは.
撮影日
2015年3月1日~2日
撮影場所
宮崎県各地
次回予告
阿蘇から大阪へいろいろ