イエス様の跡にどこにでもついて行く | 僕の日記

僕の日記

イエス様が大好きな中島豊です。
神様に教えられている聖書の御言葉と
神様のみわざを綴っていけたらと願っています。

今日も神様の恵みと祝福が追いかけてくる1日だった。

だけどそれと同時に、僕の心は試練を感じていて、神様からの訓練を受けている。

喜びが大きくなるにつれ、苦しみも増し加わるような気がしている。

従順にイエス様についていくことが苦しくて、イエス様について行きたくない時がある。

春休みが過ぎて大学に先週の土曜日に戻ってきた。

新入生を迎えるために、部屋割りをしたり、色々な準備をして、かなり疲れてしまった。

そして、最近夜祈り散歩に行くのを辞めていた。

朝から晩まで動いていて、疲れたーーーといってベットですぐに眠ってしまう日々だった。

だけど、今朝起きて、ベットの中で、心が虚しくてたまらなくなった。

なんで、こんなに心が空しいのだろうか。理由は、はっきりしていた。聖霊様が語りかける声に従わないでいたからだった。神様を求めて毎晩祈りに行っていたけど、神様を求めることを辞めてしまうことほど、心が虚しくなる事はない。

聖霊様の語りかけに従わないなら、すごく疲れてしまうし、心が満たされることもない。

それで、朝起きて、これはやばい!!と思って、散歩しに行った。久しぶりに、めっちゃ歩いて、かなり祈った。

祈れば祈るほど、心は平安で満たされていって、強い確信と平安で心が熱くなった。

祈ると、心が、聖霊様によりチューニングされて、天のお父さんの心と一つになっていく。

心が一新されて、主の心と一つとされ、平安がやってくる。

「地の上に平和が、御心にかなう人々にあるように」

そして、朝のデボーションで読んだみ言葉で特に心に残った箇所がここだった。

「私の力よ 私はあなたを見続けます。神が私の砦だからです。」詩篇59:9

この箇所を読んだ時、イエス様を見続けて生きて行きたいと思った。

ペテロが水の上を歩いた時、イエス様を見続けていた時は、沈まなかった。不可能な領域を歩いていた。

そして、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」

とある通りに、イエス様から目を離すと、沈んでしまう。

でも、いつもイエス様から目を離さないで生きると、不可能と思える領域を歩むことができることを思った。

そして、「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。」というみ言葉も思わされた。

イエス様に、繋がっているから、僕らは実を結ぶことができる。祈ることをやめたり、み言葉を読むことをやめたら、

そしてイエス様の愛の中で、生きることをやめるなら、実を結ぶ事はできない。

なので、いつも、いつも、イエス様にぴったり、くっついていたいなって思わされた。

主よ、いつもあなたに繋がって、いさせてください。多くの実を結ぶものとならしめてください、イエスの御名で祈りますアーメン。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。」ヨハネ15:5

 

それから、もう一つ心に残ったみ言葉がここだった。

「神にあって 私たちは力ある働きをします。神が 私たちの敵を踏みつけてくださいます。」詩篇60:12

この箇所を読んだ時、神様によって、僕たちはものすごく力強い働きができることを教えられた。

そして、それは一人ではなく、「私たち」によって可能であることを思わされた。

神様は、チームとなって、体として、共同体として、愛により結び合わされるときにものすごく力強い働きを

してくださると思わされた。そして、神様が働いて、悪魔を踏みつけてくださる。

前から、今晩プレイヤーウォークで、千葉ニュータウン中央駅で、賛美をして福音を伝えたいと思っていたのだけれど、

この箇所を読んで、自分一人ではなく、みんなによってなされることを教えられ、いつもプレイヤーウォークに来ている友達を誘うことを思わされ、連絡すると、来てくださった。その友達が、「今日はありがとう」といっていた言葉を聞いて、すごく嬉しかった。そして、今日大学に入ってきた新入生の子も来てくださって、彼の存在にも励まされた。

そして、いつも来て下っている最高に素敵な家族の存在にも、めっちゃめっちゃ励まされて。

千葉ニュータウン駅前に集まって祈って賛美を始めた。正直言って、自分は疲れ果てていて、

「神様、もう疲れはてました」と祈っていた。全然みんなのためにとりなせてもなくて、心の準備もあまりできていなかった。それで少し不安で。でも、これ以上、進むのがきつかった。そんな状況で賛美できずに突っ立ってたのだけれど、かわいい子供たちが思いっきり神様を賛美している歌声を聞いて、感動を覚えた。

「思いが突き刺されるときも主が共にいる」 「主を見つめ続け、この道を走り続けよう」

みたいな歌詞だった。

今朝読んだ、「私の力よ 私はあなたを見続けます。神が私の砦だからです。」詩篇59:9

という箇所を思い出して、どんな困難があっても、イエス様をただ見つめて生きていきたいと思った。

 

 

経済的な心配が僕の今の大きな祈り課題で、その圧力が心に重くのしかかっていて、

寮の多くのやることや、バイトや、就活のことに心奪われて、なんで神様はこんな状況に置くのか、わからない時もある。でも、神様が与えてくださる訓練は、素晴らしくて、この試練や苦しみを通して、主はさらに精錬し、鍛え上げてくださると信じている。主から差し出される訓練を逃げることもできると思う。でも、主がくださる訓練を喜んで、忍耐を持って受けて行きたい。十分に訓練を受け、イエス様の姿へ造り変えられていきたい。

「訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」ヘブル12:7

「弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。」

ルカ6:40

十分に訓練を受けたら、師であるイエス様のようになる。

「神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。」ローマ8:29

イエス様と同じ姿に、定めてくださっていた。神の形として、造ってくださって、愛して訓練し、造り変え、

栄光から栄光へと主の姿へますます似せられていく。

パウロは、「あなたがたが完全な者になること」第二コリント13:9 を祈っていて、イエス様も、「天の父が完全なように、完全でありなさい」マタイ5:48と、話してた。主が僕らを、完全なイエス様の姿に定め、その様にイエス様のように生きる事を期待して訓練してくださる。なので、人生の全ての領域において、主に取り扱われ、ますます実を結ぶものとして、刈り込まれ、整えられていきたいな。

「実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込み(きよく)なさいます。」ヨハネ15:2

 

「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、

火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエスキリストが現れる時、賞賛と栄光と誉れをもたらします。」第一ペテロ1:6,7

 

今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。

ローマ8:18

 

私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、

私たちにもたらすのです。第二コリント4:12

 

あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

コロサイ3:2

 

「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、

主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」ヤコブ5:11

 

主よ、ヨブのように、耐え忍び忍耐するものとならしめてください。あなたが、慈愛に富み、あわれみに満ちていることを感謝します。イエスの御名で期待します。アーメン

 

そして、賛美しているときに、主が「強くあれ、強くあれ」と言ってくださってる感じがした。

ダニエル10:19を思わされた。

「特別に愛されている人よ、恐るな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」

 

主が特別に僕らを愛してくださっている。恐れなくていい。安心して大丈夫。主が、その翼で僕らをかくまっている。

「私は あなたの幕屋にいつまでも住み 御翼の陰に身を避けます。」詩篇61:4

 

強く、強く、あらせてください、イエスの御名で祈りますアーメン。そうしてくださる主に感謝します。

 

「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。」ヤコブ5:8

 

イエス様が来られる。イエス様が僕らに報いを備えている。素晴らしい、最高すぎるもの。

天での報いがあるから、この地上ではなく、天にあるものを想い、神の国とその義をまず第一に求め、

互いに愛し合い、いきていきたい。

 

多くの実を結ぶために、最近心に残って強く思わされてる箇所。

 

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

 人が自分の友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:12,13

 

主よ、あなたが命を捨てて愛してくださって感謝します。主よ、あなたが愛してくださったように、命を捨てて、

行いと真実を持って、私たちが愛し合うことができるように、主が助けてください。そして、多くの実を結ばせてください。そして私たちの愛を増し加え、最も良いものを見分ける知恵と力を与え、聖霊様が私たちを通して力強く働き、用いてくださり、あなたの愛を、隣人に示して行くことができるように助け導きくださいますように。

「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」とありますから、

あなたによって、愛することができると信じます。主よ、このブログを読んでくださっている一人一人に、

お父さん、あなたの格別な恵みと祝福を降り注いでください。あなたの圧倒的な愛で満たしてください。

主よ、あなたが測り知れないような御霊の油を無限に注ぎ、私たちに臨んでくださり、取り扱い、

ますますあなたを知り、あなたの愛に酔いしれ、無限のあなたの愛の懐のただ中で、あなたの瞳の中で、

あなたの翼の下で、暖かいあなたのハートを感じながら、今晩も、明日も、あなたと力いっぱい、

溢れるあなたの力を受け、喜びと平安と感謝に溢れて、あなたをこの地で表し、あなたの栄光が全世界で崇められ、

あなたの愛が私たちを通して、とめどなく、生ける川となって流れ出し、私たちと関わる全ての人に、

主が触れてくださり、あなたの人知を超える愛を体験し、救われていきますように。弟子としてくださり、

主が私たちを大いに、大いに祝福し、地境を広げ用いてください、御手がともにあり災いから遠ざけてください、

イエスの御名で感謝し、期待し、委ねて大好きなイエス様の御名で祈りますアーメン。

 

「神よ あなたが天で あなたの栄光が全世界で崇められますように。」詩篇57:5

 

「キリストイエスにあって神が召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」ピリピ3:14

 

「従順な神の子供となり、以前、無知であった時の欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方にならい、あなたがた自身、生活の全てにおいて聖なる者となりなさい。」

第一ペテロ1:15

 

イエスは皆に言われた。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分の命を救おうと思うものはそれを失い、わたしのために命を失うものは、それを救うのです。」

ルカ9:23,24

 

 

お父さん、イエス様にあってあなたが召してくださる賞をいただくため、目標を目指し、あなたから目を離さないで、

あなたに繋がり、走って行けるように助けてくださるようにお願いします。従順なあなたの子としてください。私たちを聖なるあなたが召してくださって感謝します。私たちを生活の全てにおいて聖なる者としてください、イエス様、あなたについていきたいです。

なので、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、あなたに従っていけるように、あなたが助けてください、

あなたのために命を失う者とならしめてくださいます様に。感謝します。そうしてくださるあなたに感謝します。

あなたの行かれるところ、どこまでも、ついてく者とならしめてください、イエスの御名で祈りますアーメン。

 

彼らは、子羊が行く所、どこにでもついて行く。黙示録14:4