こんばんは。❄️
児童相談所への本音と
未だに子供達が親族里親のもとへ至るまで
謎な部分があるので、
今日は、整理する為に記事を書きます。
私は去年、統合失調症の病名で
緊急で医療保護入院を3ヵ月しました。
シングルマザーを3年してきましたが、
2020年9月6日、暑い夏のあの日
私は警察に助けを求める出来事があり
110番通報。(SNSのトラブル)
最初は、近くの交番の警察官が来て
異常なしです。とすぐ帰っていかれたのですが
事情を話すと次は刑事さん達が
来られて詳しく聞いて下さいました。
すると自宅のマンションが、溢れんばかりの
刑事や警察官でいっぱいに。
何故か皆さんお財布から1000円ずつくれた。
普段子育てのサポートは?と聞かれて
家庭児童相談室に担当がいること。
小学校は、教頭先生が教育指導だということ。
中学校は、スクールソーシャルワーカー。
子供達それぞれに、担当についていただいている事。
を話しているうちに
子供達がいなくなっていました。
どこに行ったのか聞くと
『二人とも学校へ行った』と聞いて
おかしいな。と思いながらも、
教頭先生や、中学校の先生とも密に接してきていたので、そうなんやな。くらいに思っていました。
私は、市役所からも知らない人が来て、
知らない車に乗せられて
今も通うクリニックに連れて行かれました。
最近、息子から聞いたのですが
『2.3日泊まるだけやから、我慢してね』
と言われて子供達は
児童相談所に連れて行かれたそうです。
私は、クリニックで診察が終われば
西友で食材を買って帰ろうとしていたのですが、
遅れてクリニックに来ていた、いつもの
家庭児童相談室の担当の方が、もう一人市役所
から、職員さんを連れて来られていて
ただごとではない雰囲気。
ですが、
医師からもその時は入院とは聞かされておらず、
着いた先の京都の病院でも
看護士さん達に、子供達の寝る所はありますか?
と聞いていました。
医療保護入院になった事。
子供達は児童相談所(一時保護所)へ
行った
事を聞かされたのは、
隔離部屋(保護室とも呼ばれます)
の鍵を閉められてからです。
当時の私の写真があります。
病気でしんどいのではなくて、
子供達を奪われた失望により、
私は生気を失っていました。
後に保護所の住所は聞いていたので、
売店でレターセットと切手を買い
定期的に子供達に手紙を出していましたが
子供達に渡っていたかは、未だ本人達にも聞いていません。
。。。
3ヵ月後、私は入院満期になり退院をようやく
することが決まりましたが
退院に向けたカンファレンスと呼ばれる会議に
児童相談所の滋賀県のえらい方が来ていて
子供達の話しをそこでしました。
一緒に暮らしたい迎えに行きたい事を訴え。
ましたが
私の体調が完全に戻ってからになる。
しかし保護所も3ヵ月という期間が限界で
体調が戻るのを待ち一緒に暮らすとなると
学校に通える施設に入所することになると
言われました。
それだけは、避けたいです。
何か方法はありませんか?
父親の所に預けるのは無理なんですか?など
質問分からないことだらけ。
そこで実家の母親に預ける里親制度。
を提案されて
当時、別れた旦那や亡くなった父親(おじいちゃん)
の介護を引き受けた事などで折り合いが
悪かったのですが母に
子供達を託す判子を押しました。
実家は京都なので、
私も京都に引っ越しをしたいと申し出ましたが
だめでした。
それ以来、年に2.3回の1時間の面会でしか
子供達には会えず
実際に子供達の現在の本音などの様子は
伺えません。
LINEは用事のあるときだけで、基本的に通信制限
もあります。
現在、私は体調は戻り仕事も復帰しました。
息子が自宅からも通える高校にほぼ内定している
事から
高校生になったら
一緒に暮らせないか、児童相談所に確認したら
『子供達の気持ちによる』
と返事がきました。
ですが、ふとした時の母おばあちゃんの話しによると
息子が『荷物だけとりに私のマンション帰ったらあかんの?』
と聞く事があるそうです。
子供達には、寂しい思いをさせた手前
嫌われたのかなと普段児童相談所とのやりとり
の中で感じているのですが
何か親子のインスピレーションで本当に子供達が私と暮らしたくないのか
児童相談所からの話しだけでは違和感を感じて
時に親として、人として自信をなくす場面も
日々生活するなかで少なくありません、
又こども達も、何か違う話しを聞かされている
のでは、と疑う気持ちが本音です。
問題は、私の病気が前に出がちですが
子供達が平日なのに学校へ行かず
家にいた、点なのです。
これまで、登校拒否に関しては
かなりと学校と連携をとってきました。
ですが結果が出ませんでしたので
学校へ行かせてないとある意味誤解されたまま
の部分もあるのですが、
🌸現在、二人とも学校へ通っています。
それだけが支えになっており
環境の変化により、頑張っている様子
が心を癒してくれています。
持病。登校拒否については
また別記事にしてまた整理していこうと思います。
親権者としては、決して正しいとは思えない
やり方で、引き離されました。
制度が制度なので、今さら
私の力では、どうすることも出来ない状況です。
この件に関する謎や不思議
はまだ続きますが、
ある友人が言うてくれました。
『子供達は分かってる』
という言葉です。
長くなりましたが
書いているうちに涙が出てきました。
離れていても元気でいてね。
