僕と一緒 -10ページ目

スーパーフォアの残響が遠く聞こえる

 もう3月だってのに、意外と冷えるな…と思ったが、去年もこれくらいの時期に雪降ったりしてたよな。そうか、去年のこの時期はずっと教習所通ってたんだっけ。もう一年か。そうか一年か、と言うアヤフヤで不明瞭な区切り。そもそも区切りなのか、節目なのか、否、継続し続ける日々の、ただ一つの通過点でしか無いと言うのに、既に過去に流され、忘れ去られて行く感じが堪らなく嫌。そうだ、みんなのブルース野郎ニジムラリョーだ。飯、喰ったか?すまん、俺は今日はまだ喰ってないんだ。喰うよ、これから。

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 日本政府の恥知らずっぷりは今に始まった事じゃないし、もうこれ以上何か言う気にもなれない。何かもう、この国の民である事が恥ずかしいくらいだよね。お天道様に顔向け出来ないじゃないですか。台湾代表に献花させない、それが散々言われた挙げ句に漸く謝罪、とはどういう事か。恥ずかしくて俯くしか無い。

 朝鮮語で、日本人の死滅を願うような動画がアップされたりしていると言うのに、どうして韓流などと言えるのだろうか。反日教育を継続している国と、どうして仲良く出来ようか。付き合うべき相手を選ぶのは普通だろう?この国を出て生きる事も、真剣に考えねばならんよな。

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 ところで、本日はアガリスクエンターテイメント「異星人/静かに殺したい」を見て来た。二本立て、である。2000円であった。場所は新宿シアターミラクルであった。そう、この前、僕らの脚本「春をかぞえて折る指に」が上演された小屋である。ちなみに千秋楽(見た感じ満員)であった。

 時間は計っていないが、基本的に長さを感じさせないテンポの良い作り。超スピードで繰り広げられる会話とドタバタが心地よい。合間合間のいわゆる世代ネタも個人的には好みだった。役者も空気感の切り替えが上手かった。特に、「静かに殺したい」編の最終シーンは、実に綺麗に空気が入れ替わっていて、その鮮やかさに笑った。あ、個人的には「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」に笑った。
 「本気で脱ぐ」等の大技も飛び出していたが、それをさっ引いても面白いと言える舞台であったと思う。ジョジョ4部の吉良と言うか、コンプレックスプールのあの短編と言うか、何かそんな感じで始まる物語。面白かったです!

 「異星人」も変わったシチュエーションだな。んー、確か昔、「手を繋ぎっ放しにしている」男女二人のラブコメ漫画があった気がするが、それが元ネタかどうかはわからん。こちらもテンポ良く進む感じであったが、どうも途中迷っているのか、若干の弛緩(必要以上の)があった気がする。
 一本目の展開が超速度であった為に、展開速度の差がそう思わせたのかも知れない。色々と放っておかれているものも多々あったが、別に不満は無かった。
 ちなみに、最後の最後、スタンダップで舞台に出ようか相当迷って止めた。出ておけば良かった、と後悔している。

 総評として、2000円でこれならコスパの良い舞台だと思う。その時間を、空間を買って損したとは思わない。良い時間であった、と思う。

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 俺は変化をさせたいと願う人間だが、俺自身は自分そのものの変化を拒む人間だ。いや、変化が確定した瞬間にそいつを邪魔したいし、崩壊させたくなってしまうんだ。変化に限らない。何かが確定すると、抗いたくなる。

 予定調和が嫌いだとか、そういう言い方をすれば格好がつくのかどうかは知らない。カタにハマるのが嫌いとか、何かきっとそういう事じゃない。どうにか変えたくなる。何かを変えたくなる。そういう癖なのだろう。

 だがここ数年で、俺が基本的にあらゆる事象に対して否定的で、対人的に俺の存在そのものが不可侵な人間だったのだけど、最近ようやく、変化を受け入れないでも無い…変化してやってもまぁ構わんよ、と言うくらいの軟化はした気がする。面白ければ、俺も変化してやろう、と言うくらいの態度にはなった。
 それは俺が他人の意見を聞かないと言うんでは無く、それに併せて対応しようとし始めた、と言う事である。…他人の意見はストックされているので、聞いてない訳じゃないんだ。

 共産主義が成立しないのは、人間に欲があるからだ。現在の仕事とは、他人の欲を、そいつの手を煩わせずに満たす代替行為でしかない。人間は欲をかき、欲を満たしたがる。そして人間の得手不得手、からの分業が成立する。個体差に依る分業が発生し、それぞれがそれぞれの欲を満たす。最果てにある飽和に向けて進み始めたが故に、俺等はもう止まれない、戻れない。でも、変えられるのだろうか。

 ニンゲンはもう終わりだ。馬鹿ばっかりで、どうしようもねぇ。おいニンゲン、 鼻で笑ってみろ。俺が人間だ。

 未来は俺等(人間, but not ニンゲン)の手の中。まだまだ、俺等の手の中。でもそれは望んだものと全然違う。誰かに奪われたのか、無くしたのか、もともと無かったのか、押し付けられたのか、託されたのか。彼らは口を割らないし、俺達もその点に関しては真実に到達する事は無いだろう。

 俺等に圧倒的に不足しているもの。ヒーロー不在。カリスマ不在。パブリックエネミーは、馬鹿でどうしようもないマヌケな愚図の為の存在だ。コントロールされるしかない、その程度の視力の持ち主を安心させ、口を閉ざさせる為の存在だ。だがヒーローは違う。パブリックエネミーでは無い、真のヒーローは真の悪を打ち砕く、そういう存在だ。(彼もまた、後に裁かれる存在になるとしても、だ)

 まぁ、俺達がこうしてしまった国なのだから、無責任にヒーローを待つ等とは言えないんだけどね。そのヒーローは居たのに消えたのか、最初から居なかったのか、最初から何も無かったのか。なら俺が、俺等が。そう、未来は。そうだろ?

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 最後に。

 俺の正義、君の正義。どっちも正義だが、相反する場合、君ならどうする?お互いの正義は完全に相入れない、水と油だ。それでも戦うか、混ざる努力をするか、戦わずに自ら死ぬか。俺は、その死だって優しさだと捉える事も出来るし、敗者だと嗤う事も出来る。

 正解か?それは、「相手を説得出来ない正義なんざ正義じゃねぇ」だ。最後まで立ってた奴が勝者であり、いつだってそいつが正義だ。世間が、そいつを必要としている限りな。さっきも言ったけど、パブリックエネミーなんてのは馬鹿でどうしようもないマヌケなクズの為にあるんだからな。どこぞの国を見てみろよ。どうしようもねぇクズばっかじゃねぇか。

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 文句垂れか社会派か。間違った事を言っているとは思ってないぜ。お前はどう考える?聞かせてくれよ。考えてない、何て言うんじゃないぜ。同じ着地点じゃなくてもいい。考える事が重要だって事を忘れないでくれ。考えて、喋ったら、一緒に飯喰って、一緒に眠ろう。口移しに愛ってのを、教えてやるから、安心して友達になろう。