母の日に僕から貰ったカーネーション( ⑉•͈ ꇴ •͈ ⑉)♥︎︎
息子 僕 先週は体調を崩していましたよ
疲労のピーク 頑張れる限界値を越えた為です
高校入学して 早くに適応する姿を見せました
けどね 適応出来たら疲れない訳じゃない
根っこに強い感覚過敏をもつ僕が1学年
200人を超える学校で過ごして疲れない訳が無い
自分でコントロールする姿も見られてたけど
なまじ上手いスタートが切れた為
嬉しくて嬉しくて 休むべき時間も新しい友達と
過ごす僕の姿を度々見られていましたよ
「休むべき日は休まないとダウンするよ!」
と度々声かけはしたけど
嬉しくて仕方ない僕は聞いちゃいません
「僕は大丈夫 もう簡単にダウンしないから!」
そうかぁ まあやってみな…
ゴールデンウィークも中学時代の友人宅に
お泊まりに行ったり 高校で出来た新しい友人達
と連日遊んだ僕でしたよ
1人っ子で淋しがりやさんの僕は小学生の頃から
お友達とのお泊まり会をしたがるから
三年生頃かな?それぐらいから毎年少なくて
年一回 多い時で3回くらい クラスメイトを
誘って我が家でお泊まり会をしています
「僕がお友達の家にお泊まりに行きたい!」
と度々言っていましたが 小学5年までは
てんかんの薬を服薬していたし まだまだ
他所のお宅にお泊まり出来る発達段階でなかった
何より 睡眠が我が家に来て貰っても僕はいつも
と違う環境から一睡も出来ない事も多かった
僕は生まれつきの睡眠障害です
眠りが浅く 細切れの睡眠の上夜驚症でした
生まれてからずーっと このさくちゃんのような
状態が続いていました このYouTubeのお母さん
同様 寝かせつけに何時間も費やし
やっと眠らせても気が抜けない状態だった
眠った状態で 寝ぼけたまま パニックを起こして
母を探して部屋から飛び出す 僕の場合はこれに
自傷 壁に頭を打ち付けるが加わってました
泣き喚くから 喉を痛めやすく嘔吐もしやすい
小さなうちは吐瀉物で窒息する可能性もあった
そんな状態に7歳の頃からはてんかん発作の
恐怖が加わって 私が朝までぐっすりと眠れる
ようになったのは僕が中学生になり僕が自室を
欲しいと言い部屋を分けてからです
7歳で てんかんと診断されるまで睡眠薬の使用は
していませんでした てんかん発作を防ぐには
充分な睡眠が必要だと知りロゼレム1mgの投薬
を開始しましたよ。
夜驚症は三年生までが酷く その後は単発的になり
それでも五年生頃まで続いていました
だから僕がどれほど望んでもお泊まりに行かせる
事が私には出来ませんでした。
けど小学6年生で予定されていた修学旅行に
一人で行きたい親同伴は嫌だとの僕の意思を尊重
したくて てんかんの寛解を早くから目指して
てんかんの予防薬の減薬 断薬を目指しました
てんかんのお薬を服薬してると親が同伴しないと
修学旅行には行けないルールが小学校には
あったからです 修学旅行に行かせてやりたくて
三年生から段階的に様々な練習を積みましたよ
睡眠の問題 集団行動の問題 不安の問題
偏食 様々な過敏性の問題 断薬後の情緒の問題
………etc
僕は修学旅行に一人で行きたくて 努力した
その結果 ぐーんと五年生から一気に成長した
減薬 断薬も2年近くかけやり遂げ
てんかんは寛解との診断も頂いた が…
コロナ禍が発生して 修学旅行は宿泊ナシの
簡易なものとなりました。
僕の念願がやっと叶ったのは中学の修学旅行
少しずつ 少しずつ 小さなステップを踏んで
僕はその一つ一つ 僕は出来るよ!って表現した
だから高校生になった今 何の心配もなく
行っておいで!と送り出してやる事が出来ました
心配は無い けどね 僕が望んですることだけど
これだけの経緯を経てチャレンジするんです
その負荷 疲労は楽しいけど嬉しいけど
凄いものだろうなぁと私は思っていました
ずっと僕の対人関係は僕は誘う側だった
僕が誘われることは少なかった
その事に僕はとても とても傷ついてたりした
何で?と何百回泣かれたか分からない
そんな僕が高校に入学してから誘われることばかり
僕は嬉しくて嬉しくてその全部の誘いに応えたい
そんな僕の気持ちは痛いほど分かる けど
パンクするよなぁとも思ってた
そんな忙しいゴールデンウィークを過ごした僕
高校生になって初めての中間テストがありました
高校は中学とは違う キチンと点が取れないと
進級出来なくなるプレッシャーが僕にかかります
そのプレッシャーの重さを跳ね除ける原動力を
僕は探し出します これね僕の昔っからの癖
今回も色々なことを言ってきていました
テストでいい点取ったらどうする?
どうもしません 母には関係ない事です
点を取りたいのは君で母ではないです
そうだけど 高校で初めてのテストだよ!
僕頑張ってるよ!お母さんは認めてくれないの?
認めてるよ 頑張ってるなって思ってるよ
なら僕頑張って お母さんが言う点取るから
取れたら神戸にお母さんと行きたい!
………君 それ自分の首締めるよ 大丈夫?
大丈夫 だから約束して!
僕が何をどう言っても引き下がらないので
悪手だけどなぁと思いながらも約束しました
何故悪手かと言うと………
頑張ってもその点に届かなかったらショックが
デカすぎて僕が傷つくから
その点が取れる準備 努力を積み重ねてる実感
が無い為 必ず不安に僕は襲われるから
結果 自分で自分の首を締める 過度な負荷
プレッシャーに潰れる 疲労が蓄積した今なら
確実にストレスから体調を崩す 最悪テストを
受けられなくなると私は思ったからです。
僕 今迄も度々 こうゆう追い込み方をします
いくら諭しても失敗を経験しても やっぱりする
そうとしか それほどにも乗り越えたいんだろう
なぁって いつも思います
4日間のテスト期間でした
2日目から体調を崩した 3日目どうするかと
思ってたら真っ青な顔で食事も水分も取れない
それでもキチンと制服を着て自立登校はムリ
だから学校に送ってくれと言いました
バナナと栄養ドリンクを飲めたら送ってやると
言うと嘔吐きながらも食べ飲みました
昼に迎えに行くと顔色は悪いまま
後1日 頑張りたいから午後は寝ると言う
頑張りたいなら食べなきゃダメだと 食べれない
なら登校は許可出来ないと言うと食べた
定休日だったのでサポートすると夕方には顔色が
良くなり夕食はしっかりと食べられる
最終日の朝 軽い腹痛を訴えるも自力登校する
この週末身体を休める為友達とは約束しなかった
と帰宅して言いました。
週末はその通りに身体と心の回復に勤めましたよ
テスト結果が気になって仕方ない様子でした
結果がどうであれ そんなもんどーでも良いよね
プレッシャーと蓄積した疲労から
体調を崩しながらも僕は這ってでも学校に行き
テストを受けたいと全身で表現しました
僕はやり遂げるんだ 乗り越えるんだと表現した
勉強に劣等感を抱え 嫌いな僕が自分で考え
自力で工夫して努力した 素晴らしいことです
いつ弱音を吐くか 休みたいと言うかと思ってた
なんの僕 自力で乗り越えた!
僕の意志の強さにはいつもビックリさせられる
発達障害の子はプレッシャーにストレスに弱い
僕もそうだったし たぶん今もそうです
けどね それでも乗り越えられるようになる
何故だと思います?
僕の1番強い特性 拘りが僕を強くしてるんです
長所は短所と表裏一体 その拘りの強さ故
度々僕は追い詰められ潰れてきた
けど僕の拘りの強さは半端なものでなく
だから諦める事が出来ない 出来ないから
這いつくばっても 僕は強くなってゆく
もっと楽な生き方もあるのにね 僕はそうとしか
生きられないのでしょうね そんな事を感じた
1週間でした…終わってホッとしたε-(´∀`;)