発達障害児の親の会 | 三温糖のブログ

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夢への 道のり



息子 僕 高校一年生 自閉症スペクトラム


ADHD優位 学習障害 睡眠障害

発達性協調性運動障害 異所性灰白質

3歳児検診でADHDの疑いを指摘される

5歳で自閉症スペクトラム 他障害の診断あり


発達障害児の親の会ってご存知でしょうか


読んで字の如く 発達障害児を育てる親御さん


が集まって情報交換やお喋りをする会です


全国の都道府県に大小様々な会があります


私の息子は産まれて直ぐに無呼吸症候群


診断されました。



私は不妊治療からの妊娠出産でした


多発性子宮筋腫を持っていた為一年間のホルモン


治療を受け筋腫を小さくしてから大小合わせて


8個の摘出手術を受け 1年後子宮が妊娠しても


大丈夫な程回復して直ぐに息子を授かった為


子宮が普通分娩に耐えられない事から


妊娠が分かった時点で帝王切開での出産が決まって


いました だから息子は早産では ありません


何が原因かは分からないけど息子は産まれてすぐ


NICU(乳児集中治療室)へ入院となりました



今はこんな小さなセンサーがあるようですが


息子が産まれた時はベッドと一体型しかなくて


そのベッドを家庭に設置しなければ息子を退院


させる事が出来ませんでした。


息子を自宅に連れて帰れたのは生後一ヵ月を過ぎ


てからでした 一年間は経過観察に通院すること


が決められての退院でした


初めての子供 分からない育児に加えて


いつ呼吸が止まり死ぬかも知れない恐怖を抱えて


私の子育てはスタートしましたよ。


センサーつきのベッドを用意しましたが息子が


そのベッドで眠る事は殆どありませんでした


背中にスイッチでもあるのか ベッドに降ろすと


火がついたように泣くからです


睡眠も浅く細切れの睡眠しかしない子でした


一日中抱っこしてないと泣くし 抱っこしてても


寝てくれない 寝ない 母乳を飲まない


私が疲れるから旦那さんや母や父が代わりに


抱っこしようとするも 私以外が抱くとそれは


それは酷い泣き方をして せっかく飲ませた


ミルクを噴水のように吐くまで泣く子でした


抱いたまま寝落ちしそうな自分を必死に寝ない


ようにする日々でした


意識は朦朧とし けど正気を保たなきゃいけない


でないと この子を殺してしまう


我が子を可愛いなんて感じられる育児じゃなかった


そんな育児と平行して脳梗塞で倒れた母の介護


自営業の為 仕事もしなきゃいけなかった


危機的状況に日中は様々な支援を受けてました


数時間預かってくれる保育園を数個掛け持ち


シッターさんも頼んでいました


その僅かに息子と離れる時間で介護と仕事をする


そんな毎日でした そんな毎日の中息子の様子


から 極度の神経質な面が気に掛かりました


音 肌触り 匂いに異様に過敏だったんです


その為 私は自宅の一室を二重窓と防音室に改装


までして 布団も色々変えたりしました。


その神経質さに この子は早く集団に入れないと


大変な事になる 3歳まで待ってはいけない


と強く何故か感じていました


スヤスヤとベビーカーで眠ってる赤ちゃん


スヤスヤと仰向けで眠っている赤ちゃん


そんな普通の赤ちゃんの姿が羨ましかった


何故我が子は身体をビクビクさせてしまうのか?


何故身体をギュッと抱きしめてやらないと


眠れないのか?何故些細な音でもビクビクする


のか?まだ首も座らないのに泣き過ぎて海老反り


になって硬直するのか?何故母乳が飲めないのか?


サッパリ分からなかった


経過観察の病院で様々な検査をしても理由は


分かりませんでした。


3歳児神話と言われるものを私は盲信していた


ので随分と自分が感じる感覚との解離に悩み


自分が子育てから逃げたいからそう感じるんじゃ


ないか?と自分を責めたりもしました


それでも日々息子の様子を見ていると不安が


どんどん募ってゆき焦りさえ感じました


ある日 数時間預ける保育園の一つの園長先生が


お母さん ウチに僕くんを入園させませんか?


お母さん このままだと倒れてしまいますよ


僕くんにとっても早くに集団に入れた方が良い


タイミングを逃すと集団に入れなくなるタイプ


の赤ちゃんだと私は思います


お母さんにとっても僕くんにとってもウチの園


に入園して貰った方が一番良いと私は思う


役所と掛け合って枠を確保します 僕くんを


私達に預けてくれませんか?


そう声をかけて頂きました 涙が出ました


あー私が感じてた感覚は間違えてなかったんだ


私達親子を助けようとしてくれる人がここにいる


ひとりぼっちで子育てしてる私に一緒に育てよう


そう声をかけてくれる人がいた


有り難ったです 迷わず生後半年で


入園を決めました。



生後半年を過ぎた頃の育児日記の一部です


入園はしたものの 病気ばかりするようになった


し登園渋りも強かったから卒園までトータルで


半分も行けませんでした それでも思う


あのタイミング 生後半年のタイミングで


僕を集団に入れておいて良かったと


僕の障害が分かり 深刻度が分かった時


あのタイミングで集団に入れたからこそ


沢山の人の手によって育てられたからこそ


僕は人が好きな 優しい子に育ったのだと思う


私があのまま3歳児神話に囚われ母子2人っきり


で3歳まで育てていたら おそらく僕の自閉傾向


はもっと違う型に成長しただろうと思っています


ツラツラとまた僕と私の乳児期のお話を書いたの


は、発達障害児を育てるお母さんは孤独なんだと


知って欲しいと思うからです


発達障害児を育てるには 親支援が最優先に


必要な事だと私は思います。



そして そんなお母さんにお伝えしたいのは


発達障害児の親の会と言うものがあるって事です


僕の障害が分かった時思ったのは


だから私にどうしろって言うの?


何をすれば この子を助けてやれるの?でした。


けど医師は診断するだけで 支援には繋げて


くれません それでも私は医師に食い下がった


から後々僕がお世話になる大学の心理センター


に繋がり ペアレントトレーニングを受けられた


ペアトレの私のメンターさんが


発達障害児の親の会の会長さんだったから


私は発達障害児の親の会に出会う事が出来ました


同じ発達障害児を育てている 親御さんとの交流


は私の心を助けてくれました。


僕の未来が見えず 不安で不安で仕方ない事に


先を歩く先輩ママさん達が体験談を話して


下さいました 


あるあるウチもだったよ!大丈夫だよ!


そんな言葉にどれだけ勇気付けられか


様々な情報を得られた事にも助けられました


発達障害児を育てている家庭は荒れやすく


離婚率も高い 親子関係も悪化しやすく


なんなら毒親なんて言われたりします


けどね 我が子と分かり合えない親の気持ち


すれ違ってしまう怖さ 辛さ 分かります?


発達障害はコミニケーション障害とも言われます


それは他人にだけじゃない 母親に対しても


同じ事なのだと知っておられますか?


一日中一緒に居ても親子の会話の無い親子さん


会話はあっても子供が一方的に喋ってるだけ


そんな親子さんはいっぱいいます


我が子とコミニケーションが取れないつらさ


我が子に自分の存在を分かって貰えないつらさ


母の日も誕生日も悪気なく無視される寂しさ


一生懸命に愛情を注いでも 穴が開いてるように


もっともっとと要求され続ける 終わりが見えない


苦しさ つらさ そうゆうものを他人は知らない


知らずに勝手な事を言います


もっとちゃんと子供を見て理解してやれよ!


他人に任せるな 親だろ!


そうゆう他人の意識が言葉が親御さんをどんどん


追い詰めてゆきます


もっともっと努力しなきゃいけない


もっともっと良いお母さんにならなきゃいけない


時には他所と比べてしまって 自分はダメ親だと


劣等感を抱えたりもします


私ね 結婚前に養護施設のボランティアを長く


していました 私の生い立ちからの事です


そこで色々な子供達に出逢い親御さんに出逢った


だから断言できる


発達障害児を育てている親御さんは素晴らしいと


だって悩んでいるもの 苦しんでいるもの


どんな型でも我が子を捨てないもの


そんな頑張り屋さんの親御さんへ


貴方達は1人じゃないよ


近くの発達障害児の親の会を探してみてね


なかったらSNSにも発達障害児の親の会はあるよ


とお伝えしたいです。




私が参加させて頂いているのはコチラのサイトの


発達障害児親の会です


気がつけば 100人を超える親御さんが参加


なさっています 


私が住む町で参加している親の会では


リアルに触れ合えるけど


今 聞きたい 今 話したい 今 知りたい


には対応が出来ません


それに対応したくて私は参加させて頂いています


私が知り得る様々な情報を共有させて頂いてます


私も相談にのっても貰っています


いつ頃からかなぁ…確か僕が小学生の高学年に


なった頃だったか いつ頃からか若い親御さんの


小さなお子様の困りごと 悩みを聞くと


僕の小さな頃を思い出す するとね 現在の僕の


成長をもの凄くリアルに実感するようになった


そう実感することによって私にブレーキがかかる


スモールステップを踏み外さないブレーキが


かかるようになりました 親の欲として過度に


もっともっとって焦る気持ちが落ち着く


いやいや僕は充分頑張ってるって思えるように


なったのは親の会で若い親御さんの悩みを聞き


小さな僕を鮮明に思い出せる機会が増えたから


私はその経験に随分と助けられましたし現在も


助けられています


そうゆう意味でも発達障害児の親の会には


参加して欲しいなぁと思います。