高校入学して… | 三温糖のブログ

三温糖のブログ

夢への 道のり



4月末 おばあちゃんのお誕生日祝いに


おばあちゃんの大好きな牡丹の花と藤の花を


息子 僕と見に行きましたよ❀(*´▽`*)❀


高校入学した息子 僕


ダンス部と漫研部に入部しました


小さな頃からダンスは好きだけど発達特性的に


ダンスは僕には困難な事が多いです


「お母さん ダンス部に入りたいんだけど 


どう思う?」


「やりたいなら チャレンジしてみたら良い


確かに君は発達特性的にダンスは苦手だと思う


難しいだろうと思う けど【苦手 難しい】だけ


であって【無理 出来ない】訳じゃないよね?


自分の障害特性を理解した上で何に躓くのか?


どう工夫して どう努力したら乗り越えられる


のか? 母はずーっとして見せ やらせて来た


だから君はもう知ってるよね?


障害特性を理解した上で工夫して努力すれば


出来ない事 乗り越えられない事など何一つ


無いんだって知っているし そうやって沢山を


乗り越えて出来るようになったよね、誰よりも


君自身がそれを経験して知ってるよね?


ダンスやりたいんでしょ?やってみなよ母は反対


しないよ 今の君は昔の君とは違うんだ


経験に裏打ちされた強さが君にはある


けどね 大切な事だけ忘れたら駄目だよ


自己理解ナシに闇雲に頑張らない事 


君は頑張り過ぎる そんな事したら潰れちゃう


自己理解の上の努力と工夫が一番大切なんだ


それだけは 絶対に忘れないでね


大丈夫 君ならきっと踊れるようになるよ


いっぱい楽しんだらいい チャレンジしたらいい


そう出来る土台はもう充分君は整ってるよ」


そう僕の問いに答えました。


昔からこのブログを読んで下さっている方なら


小学生の頃からダンスで僕がどれだけ苦労して


きたかをご存知の事と思います


目から入る情報が 鏡のように反転してた僕


だから文字も鏡文字を書いていました


ワーキングメモリの弱さからフリを覚えきれない


発達協調性運動障害から身体のバランスが取れず


脳でイメージしたように身体が動かなかった僕


色々な工夫をして 一緒懸命に覚えても忘れる


音と身体が全く合わない どれだけたくさん


僕は悔し涙を流しただろう そんな僕が中学生に


なって初めての運動会で一切の支援を受けずに


ソーランを踊りました あの時の感動を今でも


私は覚えています 旦那と一緒に嬉し泣きした


あの堂々と踊りきった僕の姿を見て私は支援級


から普通級への転籍を決めました


その僕が高校でダンス部に入りたいと言う


長い道のりだったね 頑張ったねと思いました


もう一つの部活は漫研部


これも昔から僕を知って下さる方なら分かるけど


僕は読み書き障害から漫画すら読めない子だった


好きな事を語りたくても読み書き障害から書物を


読むことが出来ず ワーキングメモリの弱さから


得た情報を忘れてしまうから熱く語りたいのに


好きな事を伝えたいのに僕は語ることが家族以外


には出来なかった そんな僕が私は不憫だった


好きな事を熱く語れるようにしてやりたかった


私が僕のLDに向き合うキッカケになったのは


学力を向上させたくてじゃなくて僕に好きな事を


語れるようにしてやりたかったからでした


今僕は漫画も読めるようになりました


アニメを見ても情報を記憶して語れるように


なりました 好きを充分に表現できるように成長


しました そして好きを共有できる仲間を更に


得て今 僕はとっても楽しそうですよ。


高校に入学して一カ月以上過ぎました


まだ一度も遅刻も欠席もしていません


何よりも環境に適応するスピードが早くなった


小学校入学時は適応出来ず潰れ不登校になった


その回復には4年を費やしました


中学校入学時には本人の努力により潰れること


は無かったけど適応するには一年以上かかったし


情緒は三年生の半ばまで安定しなかった


そんな僕 高校入学して2週間もしないウチに


適応する姿を見せました ビックリするような


早さに親の私の方が戸惑ってましたよ


もう高校からは親の私達に出来る事は少ない


不安でいっぱいな僕に何がしてやれるだろと考え


私が出した答えは【御守りのお弁当を持たせる】


でした 僕は小さい頃から不安が強くてね


何か頑張りたい時私の身につけるモノをよく御守り


に持たせていました味覚過敏から食べられるもの


飲めるモノが少なかった僕は学校に適応しようと


学校給食を頑張って食べ続けました その姿は


保育園時代 家庭では食べたら嘔吐していた


トウモロコシを保育園では笑顔いっぱいで食べる


僕の根強い過剰適応反応をずっと見ているようで


したよ、給食は食べれなくてもいいんだよって


学校にお弁当を持参することを私が取り付けても


僕は頑なに 皆んなと一緒に給食を食べる事に


拘り続けました やっとその呪縛から逃れられる


高校生活 僕が高校で1番楽しみにしていたのが


お弁当だったんです だから高校入学が決まった


頃から僕に持たせるお弁当を試行錯誤してました


レトルト 冷凍食品が嫌い 冷たいお弁当も嫌い


だから高校の電子レンジ状況をまず調べました


たまにじゃない毎日のお弁当 市販の冷凍食品を


食べれなくても自作の冷凍食品や作り置きは


食べられるようになってもらわないと困ります


だからせっせと試行錯誤するけど僕は作り置きを


嫌がり ある日 「作り置きは手抜きじゃん」


と言ったからさあ大変 母は鬼となるщ(゚д゚щ)


ここの僕とのやり取りは大切な問題も含んでた


からまた別に書き綴りますね 


そんなこんなしながら 甘やかしてるかな?と


思いつつも でも不安いっぱいな僕にしてやれる


事はホッと一息つけるお弁当を毎日持たせてやる


事しか私には思いつかないから そうしました。



僕のお弁当を作るようになってから


おばあちゃんのお昼ごはんは少し変えるだけの


僕と同じモノになりました 


これは楽になった( ⑉•͈ ꇴ •͈ ⑉)♥︎︎


今のところ僕 毎日お弁当完食してますよ




これ 気づきます? 僕に恥ずかしかったよ!


と言われました 長く当たり前にしてたから


私も気づかなかったんですが…種全て取ってます


僕 最初にした訓練が口腔訓練だったように


噛む力 吸う力 飲み込む力が弱い子でした


手先も不器用なので魚の骨とか種とか全てとって


与える癖が私についてます


ばあちゃんの食事も片麻痺なのでやはりそうして


いるのもあって 気にしてませんでした


種が全て取られたスイカをお友達が見てビックリ


されたそうです ビックリされて僕の方が


ビックリしたようですꉂ(ˊᗜˋ*)ヶラヶラwww


「お母さん スイカの種は取らなくて良い!」


と言われましたよ よく考えたら だよねー!


って思った母である やり過ぎ厳禁(•ᴗ•; )