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逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

ちょっとホンダこと、本田技研工業株式会社に気になることがあるんだよね。



だって、最近やたらと推してる「残クレ」ってさ、


GMが経営破綻する十年くらい前、「年間販売台数世界一」を無理やり達成するために


顧客にゴリ押しした悪名高い手法でしょ?



ようするに、サブプライムローンの自動車版ってところよ。


震災不況で必死になっているのか、それとも実際に経営が苦しいのか。



まあ、「フィット」の売れ行きが好調なのは確かだわ。


でも、GMだって破綻する直前まで、トヨタと熾烈な首位争いをしていたわけで、


販売台数が好調=経営が好調、ってわけじゃーないところが


何とも難しいところ(・ω・`)ス



とにかく、「残クレ」みたいな小手先のやり方じゃなくて、


世界の HONDA らしい革新的な技術力で市場を生き残って欲しいねえ。

詳しく知りもしないクセに、


地元で活躍するロコドルの名前をブログに載せたりすると、


タダでさえ情報が少ないんだから、その名前で検索するだけで


検索結果の比較的上位に来てしまう。



このブログでも、調子に乗って何名かの名前を載せてしまったせいで、


恐らく仏道にも分析哲学にも、ガーボベルデにも興味がないであろう人たちを


引き寄せてしまっているみたいだ。



深く反省したので、これからは名前を書きまくって


哀れな子羊たちを更に混乱させたいと思う。



関係ないけど、とある仙台のロコドルと遠縁だったんだけど、


どうやらネット上にいた強烈なアンチ野郎のせいで


精神的に追い込まれて、事実上の引退を決意したっぽい。



まあ、文句なしの美人さんだったんだけど、


アイドルってのは優しい性格の子には向いてねも。



つまり、長続きしているアイドルは性格が悪いってこと?


いいえ、アイドルをやっているうちに、少しずつ性格が歪んでくるんです。

ギリシャ神話では、愚かな神が「開けてはならないもの」を開けてしまったために


ありとあらゆる災いがそこから飛び出し、最後に「希望(のぞみ)」だけが残された、という。


所謂、有名な「パンドラの箱」の寓話だ。



この話をふと思い出して、前回話題にした光速で移動する宇宙刑事 の存在とは、


「パンドラの箱」と同じ寓意を秘めているのではないか、という強い想いに駆られた。



本来、一般相対性理論の考え方からすれば、物体が光速で移動することは出来ない。


だから、光速移動の宇宙刑事は量子テレポーテーションを使っているのではないか、


という自説を展開するに至った。



しかし、ここには根本的な誤りがあった。


その宇宙刑事は光速ではなく、「ひかりの速さ」で明日へ向かうのだ。


それならば、答えは簡単だ。宇宙刑事は、毎時 270km で移動するのである。


大まかに言って、東京~大阪間を 3時間弱で結ぶ速度だ。



そして、日本国民が明日へと抱く希望(のぞみ)は、光速(ひかり)すら凌駕する。


その速度は、実に毎時 300km にも達し、まさに「パンドラの箱」が開かれたにも等しい。



しかし、奇妙なことではあるが、この理論では光速を越える動物が存在することになる。


それは猛禽類の一種、「隼(はやぶさ)」である。



すなわち、「 はやぶさ 」こそ超光速移動を可能とする時空ワープ装置なのであり、


現代日本における技術の粋が詰まった高速鉄道の傑作なのである。

最近、何かと話題な「煙草税」を


デレク・パーフィット の道徳論と絡めて話している人が


意外といないので、ちゃんと書いてみようと思ったけど、面倒なのでやめた。



なので、以下の内容は、上っ面を撫でるだけの放談。




パーフィットの議論をワザと捻じ曲げて表現すれば、


「目の前で自殺しようとしている人を放っておくべきなのか?」


という倫理的な問題を長い時間軸(※過去-現在-未来)で考える、ということ。



つまり、目の前で首を吊ろうとしている人がいれば、


まあ、常識的には引き留めようとするよね。よほど無慈悲な人でない限りは。



でも、これが直接的な自殺企図ではなくて、


喫煙や暴飲暴食といった「ゆっくりとした自殺」だったら、どうかな?



つまり、自殺ではなくて、長い目で見た場合の「自殺行為」を問題にしてみると、


現代的な道徳論がトンチンカンな帰結をもたらすことがある、らしい。




例えば、幸か不幸か、日本は 世界有数の自殺率 を誇る国だったりする。


これは大きな声では言えないけれど、国民の総意としては、


多かれ少なかれ、自殺を許容してる…という風にも解釈できる、よね。



でも、その割には「安楽死センター」みたな公営施設は、


一向に建設される予定も計画もない。



それは建前上、「自殺は好ましくない」っていうことになっているからだ、たぶん。


一応、自殺は犯罪行為(※殺人罪)である、という 法解釈 もあるらしい。



ここで問題になるのは、「自殺は好ましくない」という社会道徳があるのにも関わらず、


どうして(緩慢な)自殺に繋がる喫煙や暴飲暴食が許容されているのか、という点。



うん、「自殺は好ましくない」という社会道徳が存在している上で、


ある行為が統計的に高い確率で死亡リスクを高めると分かっているならば、


社会はそういった行為を禁止するべき、という考え方も出来るね。


(※煙草税の値上げは、こういう理屈で提唱されているんだぞ☆)




さてさて、話を整理すると、


日本には「自殺らしい自殺はダメだけど、自殺に見えない自殺はOK」


みたいな考え方があるというわけだ。



もっとも、こういう矛盾した道徳観は、日本に限らず、あらゆる社会に普遍的に存在している。



で、パーフィットは考えたわけよ。どうしてこういった矛盾した結論に至るのか、と。


その答えは、要するに「自分に関係なさそうなことは気にしない」


という考え方が広範に共通されているから、らしい。



これは、単純に「他人事は関係ない」といったことだけじゃなくて、


「遠い未来の自分」に関する事柄でも似たような感覚を持ってしまう、という点が重要。


すなわち、未来のことであれば、自分のことですら他人事に思えてしまうわけ。



ということは、喫煙に関して愛煙家たちが


「いや、これは自分のことだから、他人には関係ないよ」と強弁したとしても、


実のところ、本人たちは、未来の自分自身について他人事くらいにしか気に掛けていない。


(※将来の自分自身を大切にしてあげることが難しい、ということ)



これは、別に喫煙者たちだけではなくて、人間一般に当てはまる傾向だから、


言い換えれば、個人が個人的な考え方の枠内で行動する限り、


それは高い確率で「自殺的」な傾向を持ってしまうというわけよ (゚Д゚;)ウホ!?




まあ、パーフィットは、何だかんだ言って最終的な答えは提示していないんだけど、


結局のところ、社会全体における福祉の向上を念頭においた倫理基準、


すなわち、功利主義 を復権させようとしているっぽい。



だって、個人が個人的な好みで行動する限り、自殺的な傾向を示してしまうんだから、


ちょっと強権的・全体主義的かもしれんけど、個々人の人格と切り離した倫理基準で


人間の行動を拘束しないといけないじゃん。



こうした議論を踏まえて煙草税を論じると、


どうしたって喫煙者を減らすことを念頭に増税を支持せざるを得ない ∑(;Д;`)ガーン



逆に「いや、自殺行為であったとしても、喫煙は認められるべきだ!」と主張するならば、


人間活動を自発的に卒業しちゃう人たち、自殺志願者の「自殺権」も


同時に認めてなければならなくなってしまう。



それこそ、煙草税による税収で、公営の「安楽死センター」を作ってあげて


皆で仲良く自殺を楽しむ「美しい国」を目指すのも、


「オンリーワン」っぽくて一興かもしれませんね。




でも、個人的にはね、日本は煙草税よりも、何と言っても酒税が安過ぎると思うの…。



日本人は 遺伝子的に酒類に弱い 人が多いんだから、それだけ飲酒による健康リスクも高いわけね。


(※喫煙による健康被害は、特に人種差はなかったはず)



そのくせ、先進国標準で言えば、酒税が安過ぎるし、


大型スーパーやらコンビニでも自由にお酒が売れるようになっちゃったよ。


せめて戦前並みに酒税を高くして、その分を国防費に回したらどうかしら。


(※大日本帝国では、陸軍の年間予算を 上回る 酒税収入があった)



だから、国民の総健康度を向上させたいならば、


まずは酒販免許を旧制度に戻した上で、酒税の増税が先だよねえ。


当然、ビールの定額税率を度数を基準に引き下げた上で、ね。



どのみち、喫煙習慣は廃れていくだろうけど、飲酒文化は根深いYO☆

[ 前提A: 幽霊とは文字通り、霊的存在である ]


霊的存在、すなわち物理的実体ではないため、物体に干渉することはない。


当然ながら、物理的実体でないならば、質量や運動量を持つこともない。



[ 前提B: 「存在する」とは、何らかの物理的手段で人間に知覚される、ということである ]


ここで定義された「物理的手段」とは、人間の直接的な認知(=五感)のみならず、


何らかの計測器を用いた間接的認知をも含む。


(※例えば、放射線は目に見えないが、計測器を使うことで間接的に認知することが出来る)



なお、100文字以上の文章を読むのが苦痛という方は、


記事の最後にある「まとめ」だけを読m…てか、そもそもこんなブログに来るな (゚⊿゚`)




まず、心霊現象と呼ばれるもの、例えば「心霊写真」を例に考えてみよう。


ちなみに、心霊写真 とは、幽霊が写し取られた(とされる)写真である。



ところで、写真を撮影するカメラとは、物体が反射した外光を


レンズを通して内部の感光部が受け取り、その光を一定の方式で色素に置き換える機材である。


(※デジタルカメラの場合、受容した可視光をデジタル信号に変換する装置である)



つまり、写真上に映し出されるものとは、可視光を反射する物体か、


可視光(=可視域の電磁波)そのものに他ならない。


もし、幽霊と目される映像が前者であれば、


それは電磁波と干渉(※ここでは反射か吸収)する物質であり、前提Aより、幽霊ではない。



また、後者であったとしても、カメラの感光部に影響を与える、


言い換えれば、物理的干渉を起こす実体であり、前者と同様に幽霊ではあり得ない。



以上、少なくとも写真の映像として撮影されている時点で、


カメラの感光部に何らかの物理的干渉を起こしているわけだから、


心霊写真の幽霊(と見なされている映像)は、必然的に物質か、物理現象の産物である。



すなわち、心霊写真の「幽霊」とされる「何か」は、すべて物理的実体の反射光像か、


光に対する物理的作用によって生じた実体のない像である。


(※例えば、レンズフレアスミア、レンズ特性による各種収差などが考えられる)



ところが、定義上、幽霊は霊的存在であるため、物理的干渉を起こすことは不可能であり、


写真上の映像となることはあり得ない。よって、心霊写真に幽霊は写っていない。



たとえ、その映像を未知の物質・物理現象の産物だと仮定しても、


物理的干渉が起きている以上、それは物理法則に従う物理的な「何か」であり、


前提Aより、幽霊ではあり得ない。




以上の考察を敷衍して考えてみよう。



写真の例に挙げられるように、間接的とはいえ、


何らかの物理的手段によって存在が確認されている時点で


その「何か」は必然的に物理的実体であり、霊的存在、幽霊ではあり得ない。



また、幽霊を「霊感が強い」とされる人々だけが知覚できる存在、と仮定してみても、


特殊な感受性を持った人物の「感覚」を通して認識されるわけだから、


何らかの物理的干渉を引き起こしてることには変わらず、やはり幽霊ではあり得ない。





ここで前提Bを再確認しておくと、存在=知覚されるもの、であった。



ちなみに、「知覚される」ためには、何らかの物理的手段に頼るほかない。


実際、視覚や聴覚、嗅覚、触覚、味覚、観測機器による確認など、


いずれの手段をも介さずに「何か」を知覚することは原理的に不可能だ。



つまり、「何か」が直接的にも間接的にも知覚され得ないのであれば、


その実在を確認する手段は全く存在しない、ということになる。



ところで、幽霊は霊的存在であるため、物理領域に干渉することが出来ない。


これを言い換えれば、幽霊には「物理的手段によって知覚されることがない」


という普遍的な性質が備わっているということだ。



そして、この幽霊の持つ「知覚されることがない」という性質は、


前提Bより、「存在しない」ということを表している。



よって、幽霊は存在しない。




[ 補講 ]


この記事における幽霊の非存在証明は、世界の 物理的閉鎖性 を大前提としている。


別の言い方をすれば、「現実世界から到達可能な諸可能世界群」の範囲内でのみで成立する。



もし、現実に物理法則の対称性が破れることがあるとすれば、


幽霊の非存在は必然的なものではない(※依然として存在しない可能性はあるが)。



とはいえ、因果的開放系においては、霊的存在に神秘性を認めることは出来ないだろう。


世の中に人間やネコ、椅子といった事物があるように、ただ「あるがまま」の存在である。


(※人間が幽霊を恐れるのは、それが物理的閉鎖を超越する存在だから、である)



また、もう一つの大前提として、普遍論争 における 唯名論 の立場を採っている。


つまり、「幽霊」と名指しされる諸物を「幽霊」として扱っているのであり、


事物に先立って存在する抽象的実在としての「幽霊」を認めていない。



事実、そのように名指しされる諸物に共通した性質を考察することで、


それらがことごとく「幽霊」の定義と矛盾をしていることを示し、 


定義と合致する個物があり得ない以上、その非存在が証明される、という流れだ。




[ まとめ ]


前提Aより、幽霊は霊的存在であるため、物理的干渉を起こすことが出来ない


物理的干渉を起こせないならば、どんな手段を用いても知覚することが出来ない。


つまり、幽霊は知覚することができないのだから、前提Bより、存在が否定される。