逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯 -10ページ目

逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

突然ですが、アインシュタイン博士 を知ってますか?


たぶん知らない人はいないでしょう。20世紀最大の天才科学者ですからね。



では、アインシュタイン博士の「相対性理論」を知っていますか?


その中身を知らない人って、意外に多いんじゃないかと思います。



あ、「相対性理論とか何の役に立つの?」 とか鼻で笑いましたね?


そんな「机上の空論」に興味を持つのはエラい先生か物好きだけ、とか


勝手に決め付けていませんか?



いいえ、相対性理論は役に立たないどころか、今やドル箱の科学理論です。


「机上の空論」どころか、その存在なくしては、グローバル時代の到来もなかったでしょう。



そんなわけで、今日は、相対論が現代世界に貢献している事例を挙げることで、


アインシュタイン博士の偉大な発見に想いを馳せてみましょう。




まず、相対論が具体的に役に立っている例を挙げましょう。


はい、よく知られている通り、GPS (全地球測位システム)です。



一応、相対論がどのように GPS に役に立つか簡単に説明しておきましょう。



相対性理論が予言するところによれば、


宇宙のように重力が弱い場所と、地表のように重力が強い場所では、


何と時間の進み方が違ったりします。地表の方が僅かに遅いのです。



それは確かに微少な違いなのですが、地球の回転速度がとてつもなく速いので、


感覚的には一瞬のような短い時間差でも、地表上の距離では大きな違いが生まれます。



GPS 情報は宇宙空間にある衛星から、地表に向かって発信されるわけですから、


その時間差を正確に補正してあげなければなりません。


その補正値も含め、GPS 衛星を実用化する上で、相対性理論が大いに役立つのです。




え、GPS くらい大したことないって?


いえいえ、GPS は 20 世紀最大の発明と言っても過言ではありません。



例えば、航空管制システムが高い信頼性を誇っているのは何故でしょうか。


それは GPS によって各航空機の位置が正確に把握が出来るからです。



羽田空港のように多数の航空機が飛び交う空域では、


GPS 情報なくして安全な管制業務は行えません。



GPS のお蔭で、空港の規模は同じでも、より多くの発着便を受け入れることが可能になり、


様々な国々から多くの人や貨物を受け入れ、また同様に送り出すことが出来るようになったのです。


(※つい数十年前まで、海外旅行は富裕層だけの特権だったんですよね…)



もちろん、これは物流にも影響を及ぼしますね。


空運は上に述べた通りですが、海運や陸運といった全ての貨物運搬において


正確な位置情報を把握できることは、物流の効率化を促進します。


つまり、全国規模、あるいは世界規模の運送が安心安全、かつ確実に行えるからこそ、


現在のグルーバル時代が成立するのです。



ちなみに、トヨタの例 を見るまでもなく、物流の効率化は、経営の効率化に直結します。


経営の効率化は利潤の増大に寄与しますから、


雇用や企業による社会貢献といった分野にも波及効果が見込めるでしょう。




更に、GPS の重要な役割として、


世界中にあるコンピュータの内部時計を同期させることが挙げられます。


(※原子時計を内臓する各衛星間で互いに時刻を補正し合い、正確な同期を可能にしています)



ご存知の通り、コンピュータの時計は非常に狂いやすいですね。


個人用コンピュータの時計が遅れるくらいなら大したことはないのですが、


金融機関や交通機関、軍事施設などに利用されるコンピュータの時計が狂っていると、


社会に致命的な問題を引き起こします(※2000年問題 が思い出されます 汗)。



このように、私たちが毎日安心して電脳化した社会を過ごせるのも、GPS のお蔭なのです。


というか、GPS なくしては、インターネットの時代も来なかったわけですね…。



これらの他にも、天気予報や盗難防止、地震・津波警報など多方面に利用されています。


こういった GPS の様々な利用法は、今や現代社会を支える基盤の一つとなっており、


それを支えている科学理論こそ「相対性理論」なのです。



言い換えれば、相対性理論なくして現代社会はあり得ません!


ありがとう、アインシュタイン博士! ヽ(`・ω・´)ノ☆




最後に付け加えておくと、GPS 衛星は当初、軍事目的で打ち上げられました。


当然ながら、今でも軍事的に利用されています。



軍事利用と言うと何だか響きが悪いかもしれません。


しかし、GPS は人を殺すためというより、出来るだけ人を殺さないために利用されています。


すなわち、巡航ミサイル をより正確に命中させるために使われているのです。



現代の戦争は無人化された兵器を多用しますから、ある意味で「誤爆」は避けられないものです。


しかし、ミサイルに GPS を利用した位置情報を伝えてあげることにより、


より高い命中率で目標を攻撃することが可能なのです。



結果として誤爆の可能性が低くなり、一般市民や報道関係者といった


非戦闘員らの人命を危険に晒すことなく、軍事作戦を展開できるようになるわけです。



アインシュタイン博士は平和主義者でしたから、


相対性理論がこのように応用されていることを知ったら、きっと喜んだに違いないでしょう。

東日本大震災で様々な政府施設が被害を受けたけど、


その中でも意外に知られていない重要施設があったりする。



それは「おおたかどや山標準電波送信所 」(@福島県田村市 ) という「 標準電波 」の送信所。


ようするに、電波時計が受信するアレを発信しているところね。ビビっと(・∀・)キタ!!



実は、日本に標準電波の送信所って 2つしかなくて、


そのうちの一つが「おおたかどや山標準電波送信所」なんだってさ。



ちなみに、もう一つは佐賀県にあるらしい。どっちも地味な県だ。


てか、佐賀にも玄海原発があるし、何か示唆的なものを感じるね…。



まあ、ともかく田村市と言えば、福島原発のお膝元近くなわけで、


震災時は当然のように停波を余儀なくされたらしい。



特に送信所がある旧都路村(と川内村)は、どちらとも避難指示が出た危険地帯だったわけで、


日本の「時間」を司る行政機関が機能停止に追い込まれた、という事実は重い。




そもそも、仙台県民は田村市が原発被害を受けている、という事実をもっと重く受け取るべきだ。


田村市と言えば、戦国時代に田村氏(@三春城)が拠点とした地域じゃないか。


田村氏は、蝦夷討伐に功績のあった征夷大将軍、坂上田村麻呂 を始祖とする一族だね。



何と申しても、伊達政宗公の御正室、愛姫 の出身地であらせられるぞッ!


(※しかも、愛姫の母親は 相馬氏 の家柄で、実は政宗の遠縁だったりする 笑)



ちなみに、愛姫の「改易されてしまった田村家の再興を…」という遺志を継ぐかたちで、


「伊達騒動」で知られる田村宗良が興した藩こそ岩沼藩、今の 岩沼市 だね。


(※伊達氏は、江戸幕府から領内に別個の小藩を置くことを特別に許されていた)



ちなみに、「岩沼」という名前は、


かつて存在した岩沼城の前に大きな沼があったからなんだけど、


その沼で獲れる鴨が領内一の絶品ということで、伊達氏が独占していたらしい。


(※現在は埋め立てられて存在しないが、岩沼小学校付近にあったはず)



でも、あまりにも美味しいので、藩士や領民が無断で食べてしまい、


殿様に献上する分がなくなって大騒ぎになったとか 笑




話を元に戻すと、そう考えると田村や相馬、岩沼と、愛姫に所縁がある各地域が


今回の大震災で甚大な被害を被ってしまった、ということになる。



唯一、救いがあるとすれば、田村氏が岩沼の後に転封された一関は、


今回の震災でそれほど大きな被害を受けなかった、ということくらいだろうか。


(※あと、一関藩は「仙台藩の頭脳」である大槻家を擁し、かの 大槻磐渓 を輩出するに至る)



そういえば、政宗公が生まれて初めて海を見たのが


大津波で壊滅状態になった山元町、磯浜海岸だったらしいし、


何か奥州仙台藩の歴史的景観がことごとく台無しになってしまったなぁ… (ノω;`)

宇宙刑事ギャバンは、「光の速さで明日へダッシュ」するわけだが、


ギャパンの移動速度が光速に近付くにつれ、ギャバンの質量は漸増し始め、


本人を取り巻く時間も少しずつ鈍化していき、


光速と一致した瞬間、ギャバンの質量は無限大に達する、すなわち時間が停止する。



仮にギャバンが光の速さを越えたとすれば、時間は虚数の値を示し、


自然言語では表現できない世界へと突入してしまう。



よって、現代科学の水準で解釈する限り、ギャバン本人が物理的に光速移動するとは考えられない。



「光の速さで」を「あたかも光速のごとく」という意味だと解釈すれば、


量子テレポーテーションを用いた移動、すなわち本人の正確な分身を目的地へと輸送する、


という手段を用いている可能性も考えられる。



そう考えると、ギャバンという宇宙刑事は、


銀河系のどこかにある警察組織から送信される量子情報に過ぎない。


その情報を地球人が何らかの方法で受け取ることにより、ギャバンと文字通り「融合」する。


それはあたかもギャバンという機械生命体が「蒸着」するかのごとく、である。



以上、『宇宙刑事ギャバン』って OP 曲はよく知ってるんだけど、見たことない。


どんな特撮作品なんだろう。きっとP.K.ディック並みの重厚な SF に違いない。

昨日、都知事は


「(新首相は)増税とはっきり口にした。私は大いに期待します」


と述べたという。



確か前首相も「消費税の増税」を掲げて参院選を戦ったような(ry

ある政治家の具体的な手腕に関心がない、あるいは評価できるほどの見識を持ち合わせていない場合、


人気hはその政治家の出自を以って能力とみなす。



しかし、その政治家の出自、すなわち出身母体というものは、


ある種の指標にはなりこそすれ、その手腕について雄弁に語ってくれる属性ではない。



この記事では、その理由について簡単に考察してみよう。




そもそも、政治とは「国内の利権を適切に分配すること」を主な目的とした空間に他ならない。



つまり、およそ民主国家における国会議員たるもの、


何らかの利権団体との繋がりは持っているし、持っていなければならない。


権益の代弁者でない人物が政治の場に存在している理由はない。


(※もし居たとしたら、それは「冷やかし」か「金持ちの道楽」というのだ)



また、最初から何も配分するものがないのなら、政府や国会が存在する意義はないだろう。


(※配分する必要などないので政治機能も不要だ、とするのが無政府主義の主張である)



こうした政治の存在理由は、社会主義国家や共産主義国家にも共有されているが、


それらの政体と民主国家が異なるのは、上に挙げた「適切さ」の自由度が高い、という点にある。



また、その「適切さ」は、国会議員同士の合議によって決定される。


ようするに、どのように利権を分配するかは、議員の話し合い次第というわけだ。




では、ここで逆説的に考えてみよう。どうして話し合いなどする必要があるのか。


「適切さ」が誰にとっても自明であれば、そもそも話し合いなどする余地はないだろう。



しかし、ご安心あれ。「適切さ」が自明であることは滅多にない。


総力戦に敗北して国が焼け野原になったとしても、解決事項の優先順位は各人によって異なるのだから、


ましてや平時に意見の一致が見られる可能性は皆無に近い。



また、いかに「この国を真剣に考えている」としても、不完全さを宿命付けられた人間には、


国内における全ての利害関係者を満足し、ありとあらゆる利害対立を調停し得る妙案など


到底考え付くことは出来ない。(※出来るとしたら、それは全知全能の神様くらいなものだ)



よって、民主国家の議員たちは話し合う。



無論、そのような討論の有用性を訝る向きもあろう。


だが、論議を経て下された裁決には、どんな哲人王の独断よりも、


広範な意味で適切な性質を有する、という蓋然性がある。



あるいは、そのような信仰を共有する政治共同体を「民主国家」と呼ぶのかもしれない。




しかし、膨大なれど有限な利権を如才なく分け切るのは、並大抵の事業ではない。


実際、長い折衝の末に議員たちが決めた配分方法は、多かれ少なかれ、不適切さを含む。



では、この不適切さ可能な限りを減らすためには、どうしたら良いだろうか。



答えは極めて単純だ。


利権団体の代表者たちを、現実社会に即した比率で、政治の内部へと送り込めば良いのである。


その比率が現実の相似形に近付けば近付くほど、国会内の利害調整機能は高まる。



もっとも、政治は権力闘争が基本相互作用であるから、


たとえ利害関係者が理想的な比率で配置されていたとしても、その決定には「揺らぎ」が生じ得る。


しかし、そういった「揺らぎ」は、比率から必然的に導かれる到達可能性の範囲内に必ず留まる、


という意味で全く正当なものだ。


(※平易に言えば、与野党間における勢力均衡の力学を逸脱することはない)




ここまで考えれば、政治家の力量とは何なのかは明白だ。



つまり、出身母体とそれ以外の団体間における権益の異同を


全体が破綻しないように(=財政的な許容範囲内で)均衡・調整する能力のことである。



それは、決して政策論といった硬派な分野のみならず、


人身掌握術や政権運営の「呼吸」といった泥臭い分野にまで及ぶ包括的・横断的な手腕を意味する。



言い換えれば、政治家の出自と能力は別個の概念であり、


支持団体の性質で政治手腕を裁定するような議論は認められない、ということだ。