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逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

世の中が軽薄に見えるから、自分も出来るだけ軽く薄く生きようと思った。


ところが、軽く薄く生きようとすればするほど、重く厚い何かが胸に引っかかった。



ようするに、世の中に自分を合わせるのではなくて、


自分に自分自身をぴったりと合わせれば良いだけなんだ、


ということに気付くのに、随分と長い時間が掛かった気がする。



と、隣家の犬が遠吠えしていた。

「死ぬ気で頑張る」というのは、ある行為を徹底することで、


結果として自殺に繋がるような生き方をする、ということかもしれない。



だけど、一般的に「死ぬ気で頑張る」という心理は、


何か困難な事柄を達成することで、より良い人生を送りたい、


という欲求から生じているものだ。



ようするに、それは死を代価にしてより良き生を得る、といった具合である。


つまり、「死ぬ気で頑張る」という決心と、その背景にある願望は矛盾している。


そんなわけで、「死ぬ気で頑張る」と誓った人間が何かを成し遂げた例はない。



よって、本気で何かを成し遂げたいならば、こう考えるべきなのだろう。


すなわち、「目標を達成する過程で死にたい」と。



例えば、武士道の真髄を説いた『葉隠』において


「武士道とは死ぬことと見つけたり」と宣言されているように、


何か大きなことを成し遂げようとするならば、成し遂げた後のことを夢想してはいけない、というわけだ。



とにかく、活動の過程で結果的に自らを死に追い込むこと。


それ以外に何かを成し遂げる秘訣などないのである。



言い換えれば、自殺衝動こそがあらゆる活動における真の活力源になる。


より良く生きようと思うなら、ソクラテスのごとく、より良く死のうとしなければならないのだ。

今から約 400 年も前に


千利休は、ミニマル・アートという芸術的志向性を創造し、


古田織部は、あまりにも早すぎる現代美術の創設者となった。



利休的なミニマリズムは、詩歌の世界において


松尾芭蕉によって「俳句」として完成することになる。



また、織部的な美的感覚は、絵画の世界において


葛飾北斎の浮世絵によって頂点を極めた。



日本の近世藝術は完璧であったのだ。



ところが、日本が西洋に接近し始めた途端、


日本の藝術は後追いの粗悪な模造品ばかりとなる。



経済においては、喪われた20年であるとするならば、


藝術においては、喪われた200年なのかもしれない。

When I was 17, I read a quote that went something like:


17歳のとき、こんな一節を目にしたことがある。



"If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right."


「明日死ぬと思って生きれば、そうなる日は必ずやってくる」


(※この一節には、「望みが叶う日がやってくる」という別の意味がある)



It made an impression on me, and since then, for the past 33 years,


I have looked in the mirror every morning and asked myself:


衝撃を受けた。それ以来33年もの間、毎朝鏡の前で自問している。



"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?"


「明日死ぬとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか」



And whenever the answer has been "No" for too many days in a row,


その答えが毎日のように No (※やりたくない!)だったとしたら、



I know I need to change something.


やり方を変えなきゃならんよね、というわけだ。

今日は悟りを開いた。魂が自由になった気がした。


決して違法薬物は使用しておりませんが 笑



何はともあれ、今まで心の内に抱えていた執着の一つを


上手いこと追い払うことに成功したみたいで


ちょっと嬉しいというか、妙に落ち着いて達観した気分だ。



きっと釈尊の一番出来が悪い弟子アーナンダ


仏陀の入滅後、ようやく悟ったときも、きっとこんな気分だったのだろう。


あぁ、これは清々しい。