自殺衝動こそが真の活力源である | 逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

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A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

「死ぬ気で頑張る」というのは、ある行為を徹底することで、


結果として自殺に繋がるような生き方をする、ということかもしれない。



だけど、一般的に「死ぬ気で頑張る」という心理は、


何か困難な事柄を達成することで、より良い人生を送りたい、


という欲求から生じているものだ。



ようするに、それは死を代価にしてより良き生を得る、といった具合である。


つまり、「死ぬ気で頑張る」という決心と、その背景にある願望は矛盾している。


そんなわけで、「死ぬ気で頑張る」と誓った人間が何かを成し遂げた例はない。



よって、本気で何かを成し遂げたいならば、こう考えるべきなのだろう。


すなわち、「目標を達成する過程で死にたい」と。



例えば、武士道の真髄を説いた『葉隠』において


「武士道とは死ぬことと見つけたり」と宣言されているように、


何か大きなことを成し遂げようとするならば、成し遂げた後のことを夢想してはいけない、というわけだ。



とにかく、活動の過程で結果的に自らを死に追い込むこと。


それ以外に何かを成し遂げる秘訣などないのである。



言い換えれば、自殺衝動こそがあらゆる活動における真の活力源になる。


より良く生きようと思うなら、ソクラテスのごとく、より良く死のうとしなければならないのだ。