全国版のニュースにもなったようだけど、どうやら知人が殺されたらしい。
正確に言えば、殺害された上で人気のない山林に放置されたようだ。
ところで、他者を殺すほど愛したり、
あるいは憎んだりするという心情は、正直言って理解し難いものだ。
実際、主客の分化が曖昧な状態にある稚拙な精神においてのみ、
そういった蛮行が可能になるのだろう。
だが、相手に対する執着が嵩じて起こる殺人事件というものは、
現に古今東西、散発しているものだ。
語弊を恐れずに言えば、日常茶飯事と言っても良い。
また、虚構・創作の類に慣れ切った現代人にとっては、
「陳腐」の一言で済まされてしまうような出来事なのかもしれない。
他方、毎年同じような防寒着が流行るにも関わらず、
ほんの僅かなデザインや色味の違いが大事件であるかのように持て囃される。
少なくとも、一個人における非業の死よりは、人々の脳裏に長く留まり続けるのだろう。
そのようにして、私たちの日常は非日常化され、非日常は日常化される。
知人の死は凡庸な異常事態として評価され、消費され、消化され、
そして、今はもう顧みられることもない。