大阪商人の心意気 | 逢茶喫茶σ(・ε・`)逢飯喫飯

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A Counterpoint of the Formless Self and the Omnipotent

「下らない」という言葉の語源は諸説ありますが、


よく知られているものとして、次の説が挙げられます。



江戸時代、商業の中心地であった上方(※関西地方)から


大消費地であった江戸へ輸出される物品を「下り物」と呼んでいたため、


輸出しても売れないような品物を指して「下らない」と形容するようになり、


結果として「意味がない, 価値がない」という意味になった、というものです。



さて、世の中、不思議な話はあるものです。


どう見ても売り物になりそうになり腐った食べ物を


「下らないことはない!」と言い張る大阪商人がいたのです。



これはどういうことでしょうか。


モノが売れさえすれば、江戸の連中が腹痛で苦しもうが関係ない、


ということなのでしょうか?



もしそうだとしたら、呆れた商人根性ですね。


何年か前に相次いだ賞味期限偽装事件を彷彿とさせます。




ところが、真相はそうではないのです。


江戸時代は鎖国の時期でしたから、市場に出回る食品の数は限られています。


ですから、上級階級のお歴々を除けば、少し痛んだ食べ物でも気にせず口にしていました。


当然、当時の商人たちも平気で痛んだ食品を売り物にしていました。



しかし、上に挙げた大阪商人だけは違います。


そこの旦那さんは、良心的な経営を掲げて一代で身を興した切れ者でしたから、


お客様に痛んだ食べ物を売ることなど決してありませんでした。



では、なぜ腐った食品を「下らないことはない!」と言い張ったのでしょうか。


やはり儲けに走って食品偽装を図ったのでしょうか。




いいえ、違います。


実は、旦那さんが売らずに捨ててしまおうと思っていた痛んだ果物を


仕事に不慣れな丁稚が店頭に並べてしまったことがありました。



当然、それを見た旦那さんは丁稚を叱り付けたのですが、


叱られた張本人は納得がいかない様子で、生意気にも次のように反論しました。



「でも、食べられるんだったら、ええやないですか?」



その言葉を聞いた旦那さんは、半人前の丁稚に商人の心意気を教え諭そうとしますが、


当の本人はなかなか言うことを聞いてくれません


業を煮やした旦那さんは、ついに大声を張り上げてしまいました。



「アホ助、そないなもん下らんことはない!」



先ほど書いた通り、「下らない」とは「商品価値がない」という意味ですから、


その否定形ということは、「売り物になる」と解釈するべきでしょう。


少なくとも、丁稚はそう受け取りました。



とはいえ、さすがの丁稚も大目玉を喰らっては二の句を継げず、


不承不承ながらも、命令通りに果物を片付け始めました。



しかし、この勤労精神が欠如した小生意気な少年は、


商品を片付けるふりをして、何と売り物にならない商品をすべて食べてしまったのです。



胃の中に片付けてしまった果物は、やや熟し過ぎた味わいではありましたが、


「下らんことはない」という言葉通り、食べられないことはありません。


いや、確かに売り物になる。



そう得心した丁稚には、旦那さんの態度がますます理解できませんでした。




ところが、数時間後、店先にはお腹を抱えて苦しむ丁稚の姿がありました。


どうやら痛んだ果物にあたってしまったようです。



その姿を見た旦那さんは、呆れた様子で溜息を吐き、


脂汗の滲む丁稚の額に平手打ちを喰らわせました。



「このドアホ、あれほど喰うなと言うたのに!」


「でも、旦那は下らんことはない、って言うたやないですか」



再び深いため息を吐き、旦那さんは答えました。



「あのな、そないなもん喰うたら、間違いなく腹が痛くなるやろ」


「はぁ、とどのつまり、どういうことで?」


「必ず腹が下る。いや、下らんことはない、ちゅう意味やったんやけどな」



お後がよろしいようで m(_ _)m