トイレの後に手を洗わない理由を尋ねてみると、
大抵の場合、「意味がない気がするから」と答える。
まず、実証的な見地からすれば、手洗いには効果がある。
わずか数秒間の流水による手洗いですら、雑菌を洗い流す効果がある。
つまり、「意味がない気がする」という見解は、端的に間違いだ。
結局、トイレの後に手を洗うことが面倒なので、
後付けで「意味がない」と理由を付けているに過ぎない。
実際、非-手洗い派に対して
「手洗いはこんなに効果があるんですよ」と説明したとしても、
また別な理由を持ち出して手洗いを拒否しようとするだろう。
恐らく本人もあまりに無意識に理由付けをしているため、
自分が手洗いを忌避している、という自覚もない。
素直に「洗いたくないから洗わない」と認めれば気が楽ではないかと思うのだが、
どうしてもそれを認めるのことが出来ない。
ある意味で、心の弱さを露呈しているのだろう。
この例に見られるように、人間は自分の欲求を素直に認めることが出来ず、
それがあたかも当然の欲求であるかのように合理化(=理由を後付け)する傾向がある。
この点に関する初期仏教の見解としては、「心は物事が永続することを求める」からだという。
自分の欲求が永続して満たされるため、その欲求が生じる理由を後付けするわけだ。
つまり、脳(あるいは心)による自動操縦に無自覚であると、
己の身を滅ぼしかねない悪しき習慣をやめることが出来ない。
トイレ後の手洗い程度ならばともかく、それが暴飲暴食や犯罪行為であったとすれば、
自分が心の奴隷になっていないか、真剣に問い直すことが必要だろう。