しかしまた、
今は貴重な
仲間との集まりの日でもあるんですね。
 
老若男女、誰とも対等に語ることができます。
もちろん、聖書に度々触れられているように、
年齢の高い方に対しては、
十分尊敬をもつことを誰も忘れはしませんが、
それにしても、みな「兄弟姉妹」と呼び合う仲。
 
人間的には、それぞれ欠陥ももつでしょう。
でも、基本的に、
互いに信頼し合える仲間です。
 
これって、
精神衛生上、
かなり大きなステキなことだと思うんですけど。
日曜日は、うれしい日
その昔は、
やはりハレの日だったことでしょう。
日々の肉体労働に疲れた人も、
朝の野良仕事を終えた後、
ちょっとおめかしして出かけることができました。
 
礼拝だから、
スーツにネクタイ、とこだわる人もいます。
でも、そうでなくても構いません。
礼服を着ていないしもべを追い出した話をしたイエスさまも、
それが心がけの問題だということを知らずに
見映えだけ調える人を褒めようとしているわけではないのですから。
 
そう。
大切なのは、喜びをもてること
苦しい中で教会に行ってもよいのですが、
神を喜ぶために行くと、最もよいのです。
せっかくの日曜日なのに
わざわざ朝から教会に出向いて、
奉仕してきて、
そしておまけにお金まで献げるのです。
 
客観的に見て、
奇妙な姿だと目に映るのではないでしょうか。
 
せっかくの休みをこうして潰し、
また翌日から仕事に縛られるわけで、
いったいどういうことなんだ、と
不思議がられるわけです。

祈る心って、多くの人が理解してくれています。
何に対して祈ってよいか分からない、という人も、
やっぱり祈ることがあるんじゃないでしょうか。
 
でも、聖書の神に祈るということは、
どうやってよいのか分からないかもしれませんね。
 
いいんですよ、かしこまらなくても
私なんか、時々神さまに向かって吠えてますから。
 
大切なことは、その神に向かっているということ
どうせ私のことなんか、
全部分かっちゃっているお方なんですから、
目を逸らしても、無駄なんです。


神の声なんて、聞こえるはずがない」
「すぐそうやって、神秘的なことを言い始める」
 
ああ、キリストに従おうとする人が、
スピリチュアルか何かと勘違いされています。
 
たしかに、とくにプロテスタントとなると、
教会ごとに言っていることが違うようなところがあるので、
お近くの教会で、
いろいろ変な噂を聞くことが、あるのかもしれませんね。
 
でも、神は、
たしかに応えてくださるんです