でも、それを他人事のように見ている かぎり、
聖書はただの昔話であったり、
波瀾万丈なストーリーであったりするばかりです。
そのうち、こんなことが起こります。
聖書に登場してくる人物を見ながら、
どきりとするんです。
「これは、わたしだ……」
聖書はただの昔話であったり、
波瀾万丈なストーリーであったりするばかりです。
そのうち、こんなことが起こります。
聖書に登場してくる人物を見ながら、
どきりとするんです。
「これは、わたしだ……」
聖書は、読むと心が洗われる、
スピリチュアルの本みたいに誤解していませんか?
聖書とは、もともとただの「本」という題。
ただし、唯一のあの本、という意味で呼ばれる、本の中の本。
だから、「聖」という飾りなんか、ないんです。
そこには、人間の醜い姿が描かれています。
目を背けたくなるような、人の悪行が。
時には、神のしうちも、不条理にさえ見えるほどに。
スピリチュアルの本みたいに誤解していませんか?
聖書とは、もともとただの「本」という題。
ただし、唯一のあの本、という意味で呼ばれる、本の中の本。
だから、「聖」という飾りなんか、ないんです。
そこには、人間の醜い姿が描かれています。
目を背けたくなるような、人の悪行が。
時には、神のしうちも、不条理にさえ見えるほどに。
昨日に続いて、礼拝後の風景です。
教会で一番小さな幼稚園の子が、
教会で一番年長の男性に、
「オセロ、しよう」ともちかけました。
毎週、二人は教会で会えば、
必ず握手をすることにしている仲良しです。
その子はオセロのルールもよく知らないので、
二人の対戦は、対戦になるものじゃないのですが、
向こうの席でおしゃべりをしているご婦人方、
おしゃべりは止めませんが、
片方の耳と目は、この二人の方を向いてるんですね。
その子が帰るとき、
お年寄りの皆さんから
一斉にバイバイの手が振られます。
教会は今日も、
すべての年齢差を超えて動いています。
教会で一番小さな幼稚園の子が、
教会で一番年長の男性に、
「オセロ、しよう」ともちかけました。
毎週、二人は教会で会えば、
必ず握手をすることにしている仲良しです。
その子はオセロのルールもよく知らないので、
二人の対戦は、対戦になるものじゃないのですが、
向こうの席でおしゃべりをしているご婦人方、
おしゃべりは止めませんが、
片方の耳と目は、この二人の方を向いてるんですね。
その子が帰るとき、
お年寄りの皆さんから
一斉にバイバイの手が振られます。
教会は今日も、
すべての年齢差を超えて動いています。
礼拝の後、共に食事を戴きます。
その後、それぞれの家や
場合によっては仕事に向かうわけですが、
なんとなく残る人もいます。
牧師も
この時間のおしゃべりが楽しいようですし、
私たちとしても、
ふだん訊けないことを尋ねることもできます。
ゆるゆるとした午後の空気が
非常に心地良く感じることがよくあります。
「もっとずっと、ここにいたいのになぁ」
心が、ほっかりしているのを覚えたとき、
幸せの一つを数えた気がしました。
その後、それぞれの家や
場合によっては仕事に向かうわけですが、
なんとなく残る人もいます。
牧師も
この時間のおしゃべりが楽しいようですし、
私たちとしても、
ふだん訊けないことを尋ねることもできます。
ゆるゆるとした午後の空気が
非常に心地良く感じることがよくあります。
「もっとずっと、ここにいたいのになぁ」
心が、ほっかりしているのを覚えたとき、
幸せの一つを数えた気がしました。