年度替わりとしての4月は、
大人の方々にも変化が現れるときでしょう。
 
1月に始められなかった、
新しいことを今から始めてみるのはどうでしょう。
 
聖書の通読もいいですよ。
祈りの祭壇の立て直しもすばらしい。
 
受難説とイースターと、
そこに自分へのメッセージを覚えるようにする、
それもまた魅力です。
この時期、
進学するというお知らせが、
けっこう嬉しいものです。
 
学ぶということに、大きな拍手が送られます。
教会の、兄弟姉妹の子どもさんが、
高校や大学に進学するというのは、
教会のみんなが拍手を贈ることです。
 
礼拝の後に、「報告」がなされることが多いのですが、
そこで、「おめでとうございます」と紹介されるのです。
 
小さな子どもたちもですが、
上の学校への学びが決まるという青少年たちの姿は、
教会の希望の光のようです。

ただし、間違っても、
聖書を、
自分の考えを正当化するために
利用するようなことは、あってはなりません。
 
それは、
神の恵みとは正反対です。
見た目が少しばかり似ていたとしても、
恐ろしく神に敵対することであるのです。
 
つねに、聖書から、聴くのです。

聖書を学ぼう。
 
若者たちが、そこに立つとき、
きっと祝福があるでしょう。
 
ただの仲良しグループではない、
教会にいる人々は、
聖書の上に
そしてキリストという岩の上に
立っていることだけが
共通である、そんな仲間です。
 
若者ばかりではありません。
どんな世代もまた、若者のようなもの。
聖書を学ぶことに、
聖書から聴くことに、

大いなる祝福がありますように。

つまり、
調子の良い者こそ信仰があって優秀、とするのが、
おかしなグループであることが多いからです。
 
彼らは、教団の役に立つ働き手だけを必要としています。
 
でも、福音書を見ると、分かります。
イエスは、つねに悩み苦しむ者のそばに寄り添うのです
そこに救いがあり、神の国があります。
 
神の国とは、派手な王国や組織ではなく、
神の支配が及ぶところ、
神の原理、神の法則が成り立つところなのです。