しかしまた、別の宗教だという顔をしておきながら、
同じ「旧約聖書」を使うというのも、不思議なもの。
 
イスラム教でも、旧約聖書に基礎を置いている部分があり、
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教においては、
実は神は同一だという捉え方もできるんです。
でも考えてみると、「旧約」と呼ぶのは、
ある意味では、失礼な話
 
今でも、ユダヤ教の人々は、
これだけを使っているんです。
だのに、
キリスト教側が、
それを見て「旧」だなんて言うんですから。

新約聖書・旧約聖書という言い方があります。
「訳」ではないですね。
 
この「約」は、「契約」「約束」の「約」です。
神と人間とが、契約を交わすのです。



 
新約というのは、
イエスが現れて、
神と人との約束が、また新しく結ばれてからの
出来事や未来のことが書かれてあるからです。
 
旧約というのは、
イエスが現れる前の、
元の約束のことが集められているからです

ハレルヤやアーメンは晴れとか雨とかじゃなくって-090131h



「イエス」が名前で
「キリスト」が苗字だと思っている人が、
いるかもしれません。
 
たしかに「イエス」は名前ですが、
「キリスト」は称号です
救い主」「メシア」っていうところかな。
 
「田中先生」っていうのと似ている感じ。
 
ただ、パウロの手紙の中では、
「キリスト・イエス」という使い方もあります。
「先生田中」みたいですが、
「King James」というのと似ていますね。

ハレルヤやアーメンは晴れとか雨とかじゃなくって-090130h

しかも、教会に行くようになるというのは、
不思議なもので、
自分が選んで行った」という感じが
あんまりしないのね。
 
自分の好みだとか、都合だとかだけで
決めて行くところじゃないっていうわけ。


ハレルヤやアーメンは晴れとか雨とかじゃなくって-090129h
 
運命なんてものが好きな人は、
ある意味、似合っているかもしれない。