5/5(日) ① 去年のの今日のとてのうれしいたのしい映像公開素敵出来事だヨ(=^◇^=) | J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

J.BO∅WYの気になる過去の今日の出来事だヨ(=^◇^=)

過去の今日、『太陽にほえろ!』のどのエピソードが放送されたかを後悔なく公開するブログでしたが、
2023(令和五)年2月2日(木)曜日に突然、きまぐれに気が変わってしまい変更しました土佐ヨ(=^◇^=) 
いうことでどうか④⑥③⑨お願いしますm(__)m(__)m

‡2023(令和五)年五月五日(金) 
◇限定公開映像◆

 

‡2023(令和五)年五月五日(金) YouTube公開

 PS2ゲーム Over The Monochrome rainbow 特典映像『勝利への道』
 子供にPS2本体を壊され早10年以上。宝のもちぐされとなっていた浜田省吾さんのPS2ゲーム。たまたま本体を譲って頂き久々にプレーしました!(^^)! 特典映像見たさに当時2日で終わらせた記憶がよみがえってきました。このゲームが発売されて20年、5/5から35年前の渚園の映画も始まることを勝手に記念して映像を公開しました(^^)/

 ゲーム内特典映像の2曲目ですヨ(=^◇^=)
‡2023(令和五)年五月五日(金) YouTube公開

☆浜田省吾、35年以上を経ても色あせないライブパフォーマンス 岩熊信彦氏が語る、人を惹きつける魅力
‡2023(令和五)年05月07日(日) 1200 文・取材=今井智子、写真=(C)2023 Road&Sky シンガーソングライター ROCK
 httpsrealsound.jp202305post-1320437.html
 https://utalogue.com/2027/

☆浜田省吾、35年以上を経ても色あせないライブパフォーマンス 岩熊信彦氏が語る、人を惹きつける魅力
‡2023(令和五)年05月07日(日) 1200 文・取材=今井智子、写真=(C)2023 Road&Sky シンガーソングライター ROCK
 35年前に5万5千人が集まった浜田省吾のワンマンコンサートの模様が『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』として蘇った。16mmフィルムで撮影した映像から4Kデジタル・リマスターと5.1chサラウンドミックスに変換、110分のライブ映像作品として劇場公開される。
 この作品のプロデューサーである岩熊信彦氏は、浜田とは40年を超え強い絆を結んできた。九州のプロモーター「くすミュージック」のスタッフとしてソロデビュー間もない浜田と出会い、浜田の個人事務所「Road&Sky」設立時のメンバーの一人として参加、以来コンサート制作を中心に浜田の活動に深く関わって来た人である。当然この映像作品となった静岡県浜名湖畔の渚園で開催された『A PLACE IN THE SUN at 渚園』の制作にも関わり、今回の映像化にも尽力した。その岩熊氏から35年前から現在の劇場公開に至る経緯、そしてアーティスト・浜田省吾について語ってもらった。(今井智子)
『ウッドストック』みたいな空気感でできるといいよね、とよく話していた
ーー1988年当時から渚園での公演を撮影し、作品化しようと思われていたんですか。
岩熊信彦(以下、岩熊):もともと作品を作ろうという気持ちはなかったんです。ただ浜田に関して映像はすごく大事にしてきたんです。家庭用ビデオが出たばかりの頃で、画質も売り物になるようなものではなかったけれど、1983年8月に福岡の海の中道海浜公園で行った『A PLACE IN THE SUN』を家庭用ビデオで撮影していた。その翌年の横浜スタジアムを経て、僕はもう1回野外で『A PLACE IN THE SUN』をやりたいと思っていて、渚園でやることになった時、ビデオでなくフィルムで撮影しようと。(結果的に)作品になればいいんじゃないの? ぐらいの気持ちで、記録として撮ろうという気持ちからスタートしてるんです。
ーー作品にするというより記録の意味合いが大きかったんですね。
岩熊:そうです。だから16mmのカメラを13台入れて撮影したんですが、あのライブの規模にしては少ない台数なんですよ。16mmのフィルムって1ロール11分位しか撮影できないから、2曲も撮影したらフィルムを入れ替えなくちゃならない。「僕と彼女と週末に」のように長い曲なら1曲しか撮れない。そのフィルムの入れ替えの手間もあるから、当日は30曲ほど演奏したんですが、最初から20曲ほどを選んで撮影チームにリストを渡して撮影しているので、全曲は撮れていないんですよ。
ーーその20曲を選ぶ基準は何かあったんですか。
岩熊:僕が独断と偏見で(笑)。当時、勢いが良かった曲とか、4時間のライブですから昼間の早い時間にやる曲、夕方にやる曲、夜、と時間帯を追って選んだつもりなんですけど、僕がポリティカルな曲やメッセージ性のある曲が好きなもので、そっちに寄ってしまったかもしれません。昼間には「ラストショー」とか明るい曲をいっぱいやってるので、そういうものがあと1曲入ったら全然印象が違ったかなと思いますけどね。
ーーその選曲に浜田さんご自身は? この曲を撮ってほしいといったリクエストはなかったんでしょうか。
岩熊:これを撮りますとリストを見せて、浜田も「いいんじゃないの」って。本当はもっと撮ってほしいと思っていたでしょうね。ただ当時は弱小プロダクションでしたから、フィルムで撮影するにはお金がかかるわけですよ。
ーーそのフィルムから今回の『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』が制作され、劇場公開されます。35年の間眠っていた映像が日の目を見た経緯を教えてください。
岩熊:2017年に劇場公開した映画『SHOGO HAMADA ON THE ROAD 2015-2016 旅するソングライター “Journey of a Songwriter”』ができた時に、監督の板屋(宏幸)くんから「渚園のフィルムが残ってるんですよ。あれは全くパッケージ化されていないし、あのフィルムの全貌を知る人はいないんです」と。1989年に出した最初の映像作品『ON THE ROAD "FILMS"』に7曲は入っているんですけどね。それで、「そうだよね、映画にできるかもしれないね」と。ただ、そのままでは映画館で上映できないので4Kテレシネに変換するのが大変でした。
ーー16mmフィルムからどのように編集されたんでしょう?
岩熊:倉庫に保管されていたフィルムを出して、古いものなので痛んだり汚れたりしているものを、大阪のIMAGICA Lab.に頼んでクリーニングしてもらうのに2カ月強。それが戻ってきてから、フィルムは1秒24コマあるので、全部1コマずつ4Kに撮り直す。それを13台のカメラと20曲分。この作業に1年以上かかりました。よくそんなことやったなあと(笑)。それが終わったら、フィルムには音が入っていないので、仮ミックスした音声と映像を合わせていく。一つひとつのカメラの映像の浜田の口を見ながら音を合わせていくんです。それに数カ月かかった。そのあとの編集作業に入るまで約2年かかりました。
ーー大変な作業ですね。そうなるとカメラが13台でむしろ良かったかもしれないですね。
岩熊:そうなんですよ。浜田も言ってたんですけど、13台だと逆に潔いからチョイスが早く決まるじゃないですか。板屋くんは簡単ではなかったと思うけど、そういう意味ではカメラが多くなかった分だけ1カット1カットの映像に気持ちを入れて編集できたと思います。浜田の表情とか、フィルムでなければ撮れない。ビデオでは撮れなかったと思う。
ーー岩熊さんから見て、この作品の見どころはどういったところでしょう?
岩熊:僕が思うのは、浜田の表情。あと声です。最初から最後まで目一杯歌ってるんですよ。最後は声が枯れて、絞り出している。鬼気迫るものがあるんです。最近のコンサートは鬼気迫ったり命をかけるぐらいのものが少ないと思う。当時のコンサートは全部アナログでしたから、大袈裟ですが1ステージに命がけというようなことがたくさんあったんです。
ーー渚園の公演時間は4時間ぐらいですよね。そのことにも驚きます。今はソロでそんなに長いライブをやる人はいないのでは?
岩熊:いないですね。やれないんですよ。浜田は当時35歳。1988年の春から始まったツアーで100公演やる中での夏の渚園のライブで、浜田が一番活動的でエネルギッシュだった時期なんです。浜田は1976年にソロデビューして第1期は70年代、第2期が6作目『Home Bound』(1980年)から、第3期が『DOWN BY THE MAINSTREET』(1984年)、『J.BOY』(1986年)、『FATHER'S SON』(1988年)の頃と僕は思っていて、その第3期の区切りを、渚園のコンサートでできて良かったなと思います。
ーーそういうタイミングだったんですね。渚園でのライブは浜田さんが初めてで、いろいろご苦労もあったと思いますが。
岩熊:苦労話をするときりがないですけど、5万5千人を前にするコンサートに浜田本人は相当ナーバスになっていたし、1対5万5千では生半可なライブはできないと、自分を追い込んでいた。だから本人は楽しかったとは一言も言わなかった。「自分は浜田省吾というアーティストに徹してパフォーマンスする、一語一句歌詞を間違えないように」と、それぐらい集中していたんです。30曲やったんですけど、1曲も歌詞を間違えていない。それは本当にすごいと思います。
ーー映像を拝見しましたが、浜田さんは広いステージを実にアクティブに動いてパフォーマンスされ、声も出ていて迫力のあるライブでした。
岩熊:ステージは横幅100mで花道も40〜50mありますが、それをずっと駆け回ってる。映画は20曲ですが実際は30曲ですから、もっと走ってるんです。本当にすごいなと思います。映画を見ていただければ、浜田の表情とか気持ちの入れようというのは鬼気迫るものがあって、すごく胸を打たれます。35年以上前の曲達ですが、まさに今の時代の歌詞のように言葉が飛んでいくと改めて感じます。
ーーそのステージセットもすごいですね。最初の方でステージ後方のイントレ(足場)の上に照明さんがずらりと並んでいるのを見て驚きました。今なら全部デジタルで動かしますよね。あれが当時のライブの凄さですね。
岩熊:そうなんですよ。高さ23mのところに22人が乗っているんです。「僕と彼女と週末に」をやると浜田と決めていて、そこから演出がスタートしています。あの曲をどういう風に見せるか、生かすか、というところから、前後の構成、全体の流れを考えていったんです。あの曲のところで後ろにオブジェが出てくるんですけど、そのために後ろの高さ23m、幅40mのイントレが左右にあって、それが開いていくわけです。ところが実際に作ったらあまりの重さに下の車輪が割れてしまった。急いで作り直して前日のリハーサルで使ったらまた壊れてしまった。そこでもっと硬い鉄で作り直して、当日の客入れ中もジャッキアップして取り付けしてたんです。本番で開かないかもしれないが、全スタッフここまでやってきたのだから開く開かないの結果は関係なく、それぞれの立場で頑張ってやろうと。本番ではうまく開いたので感動しました。終わってから見たら、いくつかヒビが入っていましたけど。あの時事故が起きていたら、僕はここにいないかもしれない。
ーー映画に「僕と彼女と週末に」を披露する場面もありますが、その時のお客さんの反応はどうだったんでしょう。
岩熊:あの前後はメッセージ性の強い曲が多いので、「僕と彼女と週末に」では多くの人が泣いて感動していたと思いますね。
ーーお話を聞くと、そのイントレが開く感動的なシーンを特にアップで撮ったりしていないのはちょっと残念ですね。
岩熊:そうなんですよ。でもこの映像が2年かけてできたとか、そういうことを知って観ると、また違う見え方になりますよね。「僕と彼女と週末に」は長い曲なので、次々にフィルムが終わっていくんですよ。最後に1台だけ残っていて、これが終わったら映像が繋がらない、という時に最初に終わったカメラにフィルムが入ってまた回り出す。そんな曲が2曲あるんですよ。奇跡のような綱渡りで、撮影人の熱い想いでできた作品だと思います。
ーーこうしたお話から連想するのは、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』やThe Beatlesの『ルーフトップ・コンサート』だったりします。そうした作品への対抗心みたいなものもあったのかなと思いますが。
岩熊:対抗心はないですよ。すごすぎるもん(笑)。でも浜田とは、『ウッドストック(・フェスティバル)』みたいなことをやりたいよね、ああいう空気感の中でコンサートができるといいよねというのは、83年頃によく話していました。
ーー野外での大規模コンサートというこだわりは、やはり『ウッドストック』などの影響なんですね。
岩熊:そうなんですよ。ただ野外は晴れてないと楽しくないじゃないですか。渚園は奇跡的に、前日が雨で終わってからも雨、当日だけ晴れたんですけど、雨が降ったら辛いだけですから。その気持ちがあったので、それから10年以上野外ライブをやらなかったんです。1999年に昭和記念公園でやったんですけど、雨天順延にしようと。そうしたら集中豪雨が来て、当日の朝には会場で鴨が泳いでました(笑)。
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◎人を惹きつける浜田省吾の魅力◎
ーー岩熊さんは初期から浜田さんの活動に寄り添っていらっしゃいますが、彼のライブの魅力はどういうところだと思われますか。
岩熊:本人が言うには、自分は常に変わらない。ただ年を重ねてきているので、ライブのやり方とか考え方は変わっていく。パフォーマーとして、エンターテイナーとして演じること、これができるうちはやり続けたい、というのが彼のこだわりですね。8年ぐらい前かな、「俺は70歳までやるから、ついてきてよ」と言ったことがあった。去年70歳になって、その後のことは聞いてませんけど、僕が2027年までのプランを出したんです。何年にこんなツアーをしたい、こんな作品を作りたいと。そうしたら浜田が「そうかあ、じゃああと5、6年はやるかもしれない」と言ってくれて。
ーーそんなプランニングをして活動されているとは驚きです。
岩熊:お互いモチベーションをあげていかないと。そういう年ですから(笑)。でもそれに耐えうるパフォーマンスを今もやってるわけですよ。同じ年代で続けている人は数人しかいない。もっと上の世代だと小田和正さんや矢沢永吉さんがいますけど。この渚園のイベントもそうですけど、周りにやっている人がいないから大変だけど、次の世代に対して、ここまでやれるんだ、やっている人がいるんだと、マイルストーンというか、そういうものを示したいというのはありますよね。
ーー自らロールモデルとなるように活動して若い世代にアピールしていくことも大切ですね。
岩熊:それはそうです。今回の映画に収録した曲は、35年前のものですが今の時代の曲であってもいいわけです。浜田のライブには、2世代3世代で一緒に来るお客さんもいる。この映画で35年の空気感を感じ取ってもらって、こんなアーティストが日本にいるんだよと、若い人たちに届くといいなと思います。
ーー浜田さんはソロデビュー以前に組んでいた愛奴のギタリストだった町支寛二さんと今も共に活動していたり、もう一人のギタリスト・水谷公生さんもソロになってからずっとバンドのメンバーであり、Fairlifeというユニットを組んでもいます。ソロだけれどバンド感がありますね。
岩熊:町支くんは40年以上、水谷も40年一緒にやっている。スタッフにも40年以上一緒の人がいるわけです。それは浜田自身が持っているパッションというか、人を惹きつける魅力があるんだと思うんですよね。根本にある彼の人生観、生き方、社会に対する向き合い方、周りはみんな共有しているし共感するし、浜田のためなら協力する、頑張ろうと言ってくれる。40年皆が繋がってるのは、そういうことだと思いますよ。
ーー岩熊さん自身も繋がり続けているわけですね。岩熊さんから見て浜田さんがそれほどに人を惹きつける魅力とはどういったものでしょう?
岩熊:彼の生き方の真面目さ、自分にも他人に対しても絶対に嘘をつかないところ。彼は繊細で、すごく僕たちにも気を使うし、驕ることもない。だから僕たちは浜田省吾をサポートしようという気持ちになるんですね。そういうものが楽曲に表れたりするじゃないですか。ミュージシャンはヤンチャでいいよという人もいるけど、そうじゃないんですよ。自分の音楽には真面目に向き合ってほしい。生き方を裏切らないようにしてほしい。不真面目さや裏切りが一切ないし、裏表もない。そういうところがすごいなと近くにいて思います。
ーー浜田さん自身は、この映画が完成して何かおっしゃっていますか。
岩熊:浜田は事前に板屋くんと僕の作品だし、35年前のものだから任せるよと。ただ自分の表情とか気になるところは省かせてくれる? というのはありましたけど。編集に関しては何もなかったですね。完成してスクリーン試写を観終えて、35歳の自分の映像とサウンドの記録を残してくれたこと、そこにオーディエンス、スタッフ、ミュージシャン、皆がいてくれたことに感謝する、本当に嬉しい。自分は素直にこの映画に拍手したい、自分の目線でこの映画は観られると言ってましたね。
ーー先程お話の中で、このライブは浜田さんの第3期の総括という風におっしゃっていましたが、この映画が公開されることでまた一つ浜田さんの活動にマイルストーンが置かれた感がありますね。
岩熊:そうですね。この映画のマイルストーンとしての役割は本当に大きいと思っています。これを若いミュージシャンに観てほしいと思うし、浜田のように30年、40年後にも第一線でやるんだという気持ちを持ってほしいと思います。浜田本人は一つひとつのコンサートに対する思いが強いというか、すごく真剣に向き合って来たんですよ。彼は今70歳で今後どうできるかわかりませんが、でも違うテーマが出てくると思うんです。地球だったり、エネルギーや社会情勢とか。70歳になって何をやるか。僕たちはもう失うものはないから、伝えるものが大事。70歳過ぎても第一線でエンターテインメントできていること自体がテーマになっていくんだと思います。
■作品概要
 タイトル:浜田省吾 『A PLACE IN THE SUN at渚園 Summer of 1988』
 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン
 映画公式HP:https://www.sh-nagisaen1988.jp
 コピーライト:©2023 Road & Sky
 2024(令和六)年05月25日(木)まで全国の映画館にて期間限定公開中
 ※今井智子:音楽ライター。雑誌編集者を経て『朝日新聞』『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『ロッキングオンジャパン』『Real Sound』『Fanplus MUSIC』などで執筆中。
 https://realsound.jp/2023/05/post-1320437_2.html

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