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イノセンス 演出その2

 台本の変更その2。 インターネットのチャットで知り合った、こずえと三沢ゆかりと真珠の涙のかかわり。 今回のイノセンスラインは犯人がインターネットで被害者に遭遇しているという点で現代を表現していると言っていい。 原作では電話で接触している、そして、それを描いているのがラストに集中しているため、その接触という行為を芝居全体にちりばめるのにかなりの抵抗があった。 ところが、このシーンに登場するこずえと真珠の涙(新城恭子)を明確に描くことで、サスペンスが生まれ、芝居を盛り上げてくれる。 まったく、試金石なシーンだった。 電話とインターネット。これは単なる接触の違いだけでは言い切れない微妙なニュアンスに決定的な違いをかもしだしている。 見えない相手と文字で会話する、ということの神秘性と恐怖感。現代では当たり前のように行われている行為が、ひとたび犯罪者の手にかかると、凶器に変貌するという手法は、語らずとも新城恭子の凶悪性を表現している。 岡谷公演は、この「こずえ」という女の子をメインに近いところで表現して、視点をかえたところで芝居を作ってみようと思う。そのことで少数の目で見ていた新城恭子の実体をさらに多角的に表現することができるからだ。 この芝居が言いたいことは何なのか。犯罪は凶悪な人間が作り出す単なる行為ではなく、現代社会が生み出したいわばウミのようなものだということ。 社会構造こそが犯罪を行わせ、人間の悲劇を作り出している。 ここで描いている新城恭子は凶悪な犯罪者であると同時に、現代社会に翻弄された哀れな悲劇の主人公なのだ。 こずえのインターネットのシーンを主軸にすることで、今まで見えなかった物がみえてくるといいな。 立ち稽古が始まるのが本当に楽しみだ。

イノセンス 演出日記

 まず、台本の変更で重点を置いたのは、エピローグの前のシーン、つまり、三沢ゆかりと新城恭子がインターネットで知り合い接触していたというくだりが明確に表現されていないと言う点だ。 再三、変更を余技されていたのは、このシーンがあまりにも長く、エンディングにそぐわないという、感覚的な問題で、台本上ではなく、舞台でその作業を繰り返しおこなった。結果、ラストに向かってテンポは生まれ、一気にエピローグに入って行くという、形だけで難を逃れてきた。 台詞を削り込むという作業は確かに見えなかったストーリーをすっきりとまとめ、テンポを生み出す。しかし、ほとんどが役者側のボキャブラリーで作り上げるため、肝心な台詞が欠落していたり、生き残った台詞が実は死んでしまっていたりする。 今回の台本の変更はまず、この部分から描き直しが始まった。芝居のテンポを失わず、しかも、芝居全体を明確に表現する。 松本公演では出せなかった核心に芝居全体が接触している。 我ながら、力作に仕上がった。

やっぱり

 やっぱこのスタイルがいいな。日記がまたまた、「すくすく」になりました。 タイトルがないとなんか見づらいよね。最近、すくすく日記も早くなったし、また、このフォームでいってみよう。 今日は職場の大石が結婚式を迎えるということで余興の練習。 どんな余興ができるやら・・・。
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