191. 2015 京都 3 | BACKUP 2024

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備忘録

 

 

 

南禅寺目前、妻のトイレ事情で金地院に寄る。
南禅寺派の小院で、境内に徳川家康の遺言により建てられた東照宮がある。上は孫の家光が作らせたという枯山水「鶴亀の庭」だ。徳川と縁が深い。
唐突に明智光秀の建てた門があった。実は本能寺の変について、家康と光秀の共同謀議だったとの説がある。家康の存在が疎ましくなりだした織田信長が、家康を本能寺に呼び光秀に討たせようとし、このままではいずれ自分も滅ぼされると感じた光秀が、家康と通じて信長を討ったのが本能寺の変、というものだ。
あり得ない話でもない。家康を油断させ本能寺におびき寄せる必要があったとすれば、手薄な信長の警護にも説明がつく。金地院に残る明智門が建てられたのは1582年、まさしく本能寺の変が起きた年だった。

 

 

 

 

 

 

庭のきわに池がある。
近づくと人影に気付いた鯉が「なんかくれ」と寄ってくる。一番手前に大きな亀が首を伸ばし映っている。

 

 

 

 

 

 

南禅寺そのものには用がなく、水路閣が見たかった。
琵琶湖の水を京都に引くため、明治政府が境内にこれを作った。今でこそ景色にとけ込んでいるが、出来たばかりの頃は相当な違和感があっただろう。南禅寺も京都の民も薩長の田舎者を罵ったに違いない。
京の都は歴史上現れた幾多の権力者に翻弄されつつ生き延びてきた。彼らの内に秘めた憂いやどこかニヒルな横顔、あるいは言葉の襞に忍ばせた皮肉は、そのうな背景により醸成された。だがお陰で世界有数の観光都市となった事も事実であろう。

この施設は廃墟などでなく、今も立派に実用されている。上にあがり水路を見ることも可能だ。関西電力の管轄下に置かれ水力発電も行われている。
昔は見向きもしなかったが、来て良かった。

 

 

 

 

 

 

少々危険だが、水路わきを歩いて蹴上駅方面に抜けることが出来る。