190. 2015 京都 2 | BACKUP 2024

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備忘録

 

 

 

早朝ホテルを出発する時点で既に暑い。しかし今年はこれでもまだ涼しい方だ。例年京都の九月はもっと暑かった。札幌の真夏より暑いかもしれない。先だって行った十勝や道東などの夏は、こちらの人にすれば嘘のように過ごしやすい筈だ。それを上手く生かしたい。北海道はもっと豊かになれる筈だ。一人ひとりがもっと大人にならなくてはな。京都を見ているとそれを強く感じる。

 

 

 

 

 

 

四条通がこんなに空いている。
連休だけどそんなに心配いらないのか。皆さん今日からハワイ辺りに行ったのだとしたらすごくラッキーだけど。でもきっと今に混んでくる。朝早いから人出が少ないだけかもしれない。
東へ向かい四条河原町を左折する。歩きやすく、とても気分がいい。早起きして三文得した。

 

 

 

 

 

 

河原町通に「近江屋跡」の看板を見つけた。
こんなところにあったんだな。普段は人ごみに紛れてしまい、今まで気が付かなかったのか。
坂本龍馬がここで暗殺された。もし難を逃れその後も彼が生きていたら、明治政府はどうなっただろう。私は案外変わらなかったと思う。そもそもあの激動期でなければ龍馬が、そして多くの志士達が表舞台で活躍する事などなかった。まさに時代が彼らを必要とし、一瞬その力を利用したのだと思う。
確かに必要だった。彼らがいなければその後の日本がどうなったか分からない程に。たとえそれが事実でも、龍馬の政治的な役割は既に大方終わっていた。その後の歴史は彼を置き去りにして先へ進んだだろう。本人には気の毒だが、一番いいところで龍馬は死にそして伝説となった。次に必要とされていたのは、優秀なテクノクラートだった。
いつだって人材というものは、使い捨てられる定めなのかもしれない。たとえそうだとしても、ボンクラ扱いで相手にされないよりずっといい。つまり私の事だけど。
龍馬と中岡慎太郎の墓が高台寺の近くにあり、そこへ行ってみようと思っていたが行き忘れた。

 

 

 

 

 

 

さらに北上、市役所前から地下鉄東西線に乗り蹴上で下車、南禅寺を目指す。
私が京都に住んでいた40年前、地下鉄など影も形もないばかりか、まだチンチン電車が走っていた。京都では自動車の軌道敷内進入禁止がまったく守られず、路面電車は苦境に立たされていた。むしろ渋滞の元凶の如く言われたが、私は好きだった。京都の街にチンチン電車が似合っていた。残す方法はなかったのか。一度廃止したが最後、復活するのは事実上困難だ。

京都の地下鉄は札幌よりもずっと遅れた。一つには札幌にオリンピックが来たという特殊事情があった。だがそれ以上に、簡単に掘れないローカル事情の方が勝っていた筈だ。それは市街地の地下を掘ると色々出てくるからだ。京都の地下鉄は刷毛で掘ったと言われた。
この煉瓦造りのトンネルは蹴上駅のすぐ下にある。ここを抜けると南禅寺へと続いている。