184. 2014 横浜 横須賀 1 | BACKUP 2024

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備忘録

 

 

 

戦艦三笠はイギリスで建造され、1903年、帝国海軍連合艦隊旗艦として就役した。当時の日本には、この艦を作る力がまだなかった。しかし呉海軍工廠で長門を起工したのは、それから14年後のことである。
栄光と悲劇、光と影に彩られた帝国海軍の黎明期に君臨した戦艦三笠は、今もその姿を我々に伝えている。神奈川県横須賀市の三笠公園に、しかし三笠は係留されていない。地面に埋められ固定されているのだ。ワシントン軍縮会議の結果を受け、帝国海軍は三笠の廃棄を決定したが、二度と軍艦として再使用出来ない状態にする事を条件として、この地にモニュメントとしての存続を許された。
三笠に座上した東郷元帥旗下の帝国海軍連合艦隊と、帝政ロシアのバルチック艦隊が激突した日本海海戦で我連合艦隊が敗れていたなら、その後の歴史は相当違うものとなったのは間違いない。私が現在居住している場所などは、日本ではなくなっていた可能性が大いにある。

今回、梅雨でしのつく横浜・横須賀を訪ねてみた。軍事オタクの気を引くだけでなく、ジャズもさかんな土地である、と聞いていた。

 

 

 

 

 

 

横須賀にはアメリカ海軍の基地があり、沖縄同様その内側は祖国日本にあって日本ではない。アメリカ海軍の軍人・軍属が我が物顔で街を行きかい、彼らの存在を前提とした商店街が形成されているのもまた、沖縄と同様である。この街には英語で物件を表示した不動産屋がたくさんある。

 

 

 

 

 

 

そして、米ドルが流通する場所が少なくない。ドブ板通りもそんな場所の一つだ。

 

 

 

 

 

 

この写真ではまだ午前中とあって、人影もほとんどないが、それでも怪しい。暗くなったら一体どうなるのだろう。
ドブ板通りを抜けて三笠公園へ向かい、いよいよ戦艦三笠の艦内に足を踏み入れる。三笠は戦後、その上部構造物を全て撤去されてしまい、甲板上に水族館やダンスホールを建造される、というとんでもない不遇時代を過ごした。そんな三笠を救ったのが、ニミッツ提督だった。
ニミッツ提督は東郷元帥のマブダチで、友が活躍した艦の惨状を見かね、アメリカ海軍関係者から金を集めて三笠再建に協力したのだという。その額7億円、現在の貨幣価値でいくらになるか知らないが、三笠再建費用のおよそ半分をニミッツ提督が集めてくれた。
この話を聞かせてくれたのは、艦内案内係の小柄な老人だった。海上自衛隊の退役士官で、潜水艦乗りだったという。面白い話を聞かせてくれた。