185. 2014 横浜 横須賀 2 | BACKUP 2024

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備忘録

 

 

 

案外小さいな、というのが三笠の印象である。それもその筈で、全長130メートル排水量は1万5000トンに過ぎない。大和は全長260メートルあり、排水量が6万トン以上だった。130メートルという全長は、太平洋戦争当時なら巡洋艦程度のサイズにすぎない。
多数の副砲が船腹から突き出る海賊船スタイルも、この後急速に陳腐化した。案内係の元海上自衛官氏によれば、海が荒れると副砲の砲眼から海水が入るため、時化の日は使い物にならないのだという。現在装備されている砲は全てダミーだが、当時砲に鋼鉄のレールにぶら下げられていて、波が高くなってくると船内に引き込み、砲門を閉めなければならなかった。

この退役士官氏であるが、気になる展示物などを見ていると「よくそれに気付きましたね」と突然どこからともなく現れ驚かす。ひとしきり説明すると「それでは」と去って行かれるのだが、暫くすると「よくそれに・・・」と、これの繰り返しだった。
彼の解説で一番驚いたのは、佐世保における爆発・沈没の話である。日本海海戦直後の1905年9月、三笠が佐世保で沈没した。当時の軍艦には信号灯などに使用するアルコールを大量に積んでいた。水兵がこれを度々金だらいにあけ、火をつけて匂いを飛ばしてから酒盛りに供していた。ところがこの時何かのはずみで火のついた金だらいをひっくり返してしまい、たまたまそこが弾薬庫であったため誘爆を起こして沈没に至ったというのだ。日本海海戦における戦死者は十数人に過ぎなかったが、この事故で300人以上が亡くなった。その後三笠は引き上げられ、元通りに修復されたが、同様の事故がその後もあったという。
「気の緩みです」元自衛隊士官氏は、帝国海軍の軍規が必ずしも褒められたものではなかったと言い、それが勝てるはずのない対米開戦そしてミッドウェイにも繋がっていると指摘した。彼は自衛官、つまり軍人としては相当小柄で、それを特に意外に感じたが、やがてその理由も明らかになる。

戦艦三笠への興味尽きないが、横須賀軍港クルージングの予約時間が迫っていた。残念だが、三笠を退艦する時がきた。

 

 

 

 

 

 

今回の旅でとりわけ楽しみだったのがこのクルージングだ。
これを見よ。日本が誇る「そうりゅう型潜水艦」が二隻ならんで係留されているではないか。そうりゅう型の特徴はX舵とスターリング機関である。ネットで調べればすぐわかると思うが、一言でいえば「素晴らしい」ということだ。
海上自衛隊は原子力潜水艦を持たない。しかし彼らに聞くと原潜を特別羨ましいと思わないそうだ。それくらい「そうりゅう型」の性能が素晴らしい。
原潜が優れているのは潜りっぱなしが可能な点だ。だが、先の元潜水艦乗り氏も言っておられたが、可能とは言っても別の制約による限界がある。食糧だ。潜水艦というフネは小さいので、積載可能な食糧にどうしても限界がある。そしてここで彼の体格が思いのほか小さい理由が判明するのだが、同様の理由から潜水艦乗りには身長制限がある。海上自衛隊において、長らく170センチ以上の者を潜水艦乗りに採用しなかった。
男女機会均等法の時代となり、女性自衛官が最早普通の存在となっても、女性の潜水艦乗りはいなかった。それにも理由がある。狭い艦内に個室というものが極端に少なく、着替えする場所もないのだという。そんな艦内を裸同然で男がブラついているような環境が潜水艦という世界だった。そこに女性自衛官を配属するというのは、やはり相当無理がある。昔、「女は乗せない戦車隊」と言ったが、少し前まで「女は乗せない潜水艦」だった。ただし、乗せないのは女だけではない。
自衛隊では納税者の理解を得るためにいろいろサービスをしており、護衛艦に乗るチャンスも結構あるが、潜水艦にだけは簡単に大人を乗せない。機密のかたまりだからだ。兵器というものはそもそも軍事機密のかたまりであろうが、特に潜水艦は軍事機密の宝庫なのである。
さて、次の画像も素晴らしい。

 

 

 

 

 

 

艦番号62。こいつはアメリカ海軍のイージス艦「フィッツジェラルド」である。アメリカ海軍のイージス艦と日本のそうりゅう型潜水艦が並んで絵になるなんて!
そしてさらに興味深いのが、白い船体の艦番号722だ。この艦はアメリカ沿岸警備隊のフリゲート艦「モーゲンソー」である。なぜUSコーストガードの艦が横須賀に?考えられる理由の一つは、技術の優れた横須賀ドックまで整備のため回航されてきた、というものだ。しかし、もしかすると別の理由があるかもしれない。「モーゲンソー」は1969年就役の古い艦だ。もしかしたら南沙諸島であの国にいじわるされている、気の毒なフィリピン海軍に貸与されるのではないか。1967年就役の同型艦「ダラス」が2012年に退役し、その後フィリピン海軍で就役している。

 

 

 

 

 

 

40分の軍港巡りクルージングは正にあっという間だった。しかし、いいものを見せて頂いた。
夜は横須賀のジャズを堪能したかったが、目あての店が休みだったり、体力的にまいっていたりで、結局訪ねた店は一軒だけ。ジャズは次の街、横浜で。