『世界の食生活 中国』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

一旦3時半に目覚め、またすぐ眠れて今朝は7時ちょっち過ぎに起きた。

朝食は切り餅四つレンジ加熱しオリーブオイル入れた醤油で食うた。デザートは和歌山産みかん2個。

パット・マルティーノ→ジョン・スコフィールド→パット・メセニー→チャック・ローブ→渡辺可津美とギター演奏をユーチューブで聴いた。

去年最後の外食はモスバーガーやったが、今年初の外食をどこにするかちょっち迷うたものの、昼食に下谷1丁目「炭火焼18」へ行った。頼んだの鶏もも肉のたれ焼き定食で、ご飯、味噌汁、小鉢、香の物が付き900円也。

満足して店出て、郵便局で金下ろし、スーパーで食料買うて帰宅した。

風呂に小一時間浸り考えとった。元日の能登半島地震で悲しんどったのに、2日の羽田空港滑走路での海上保安庁の航空機と日航機の衝突炎上。滑走路の過密もあかんのやない。過密リスクしっかり考えんと。

友人にメール送付した。

 

 

『世界の食生活 中国』ちゅう本読んだ。世界の食生活シリーズの一冊や。

著者はエイミー・シュイ。翻訳が横山美智子。

著者がどないな人なんか書かれとらん。書いとくべきやろ。まず[中国とそこに住む人びと]ちゅうのが書かれとるが、この人の認識とワテの認識には少なからぬ違いがあるしな。

ワテは香港と台湾には行っとるが、中国共産党が支配する中華人民共和国には行った事無いさかいそこの中国料理がどんなもんか知らん。ワテが食うたんは香港料理であり台湾料理や。

司馬遼太郎の本読んで知った事やが、彼の国には「チー・ファン・ラマ」ちゅう挨拶言葉があったそうや。飯を食うたか、ちゅう意味や。食いもんを民に提供出来続ける者こそがトップたる資格なんですわ。つまりトップに立ちたければ、干ばつや洪水など自然災害が起こっても民を食わせ続けられる能力があらねばならんねん。

では、この本で知った事を列記してきます。

中国の北部では、団子やワンタンなどの料理、イスラム教徒の影響で豚肉よりも羊や山羊の肉を好むんやて。

湯葉を“骨の無い肉”と云うそうや。成る程。

南京ダックちゅうのがあって、それは骨取り除いたアヒルに重しを乗せてペチャンコにしてしてから塩漬けにしたもんなんやて。

中華人民共和国の中国人の家庭は、平均すると収入の5分の3を食費として使うとるそうな。今のワテと同じですわ。

中国人は冷凍食品買わんし、缶詰食品を用いる事も滅多に無いんやて。

手のひらに茶碗を乗せるのは乞食の動作。子供の頃のワテ、そうしとったがな。茶碗のご飯を一粒でも残すのは無作法とされる。ワテ、一粒も残さぬよう心掛けとります。

中国人は病気になると、まず食事の内容を変えてみて体内の気のバランスを取り戻そうとするんやて。

「チー・ファン・ラマ」の事も出て来た。こう云われたら、食事済ませたかどうか関係無く、「済ませたばかりですわ」と答える事によって、食事が旨く食える程順調にやっとりまっせ、ちゅう意味伝える事になるんやて。また、中国人は「仕事をしとる」云う時に、「食うべき穀物がある」と云うんやて。収入が確実な仕事しとる時は、「鉄製のご飯茶碗を持っとる」と云うんやて。収入が不安定な仕事しとる時は、「磁器製のご飯茶碗を持っとる」と云うんやて。失業しとる時には、「ご飯茶碗が壊れとる」と云うんやて。

中国人も友達や親戚を訪ねる時は、土産として食いもんを持って行くそうな。

中国人の宴会はごっつ騒がしいが、酒飲む器を手にする度に客の為に乾杯せぬのは無作法とされるんやて。面倒やね。

著者によれば、中国共産党は時折、祭を無駄なもんで非生産的と批判しとるが、ほとんどの民はこないな批判をそれ程恐れず楽しんどるそうな。